ゆずが死んでから、2週間がたちました。
遠い遠い昔の話のような。
…実は嘘だったような。
そんな気がして、頭がぼんやりとかすんでいる日々です。
今、実家でこの記事を書いています。
二度と戻るものかと、紬を連れて家を飛び出してから、1週間。
今週に入ってから、紬は急に呼び鳴きを覚え、主人の命令で紬は実家に連れ戻されることとなりました。
動物禁止のアパートだったので、主人の気持ちもわからないではなかったのですが…
それでも、紬の前では無理な笑顔も自然に出るようになっていたので、、
少し考えてほしかったな、と。思っています。
誰に咎められるわけでもなく、飛んで、鳴いて、遊べる実家。
そこがゆずにとって楽園のように思えたのは、きっと幻でしょう。
何も考えない父がいた。
ただ、可愛がるだけの父。
ゆずはあんなにも父のことが好きだったのに、父にとっては「良いおもちゃ」だったのかと思うと、ゆずが不憫でなりません。
…いいえ。
父にはつい責める口調になってしまいますが。
私が父に求める「反省」とあまりにかけ離れているので、そのように考えてしまうのだと思います。
そんなことはないと、こんな結果が待っていなければ、胸を張って言えたと思います。
家族は確かにゆずを愛していました。
一心に、ゆずを思っていました。
どんなに疲れていたって、ゆずを囲むと、家族は元気になれました。
ゆずの、幸せそうな顔だけが見たくって。
嬉しそうな顔が、得意げな顔が、おねだりする顔が、ちょっと驚いた顔が。
たくさんのゆずを見たくって、話題はいつもゆずでした。
今、ふと目を上げると、空っぽの鳥かごがひとつ、部屋の隅においてあります。
ゆずが消えたその時のままに。
朝、ごはんをセットして、ゆずを入れてやるつもりでした。
おなかいっぱい食べれるように。
でも、太りすぎないように。
ちゃんと計って、ゆずのために、入れたごはん。
その日は、ちょっと喜ばせようと、ひまわりの種を忍ばせていました。
ゆずが掘り出して、嬉しそうに食べるのを楽しみに。
それを見て、仕事に行こう。
きっと今日はいい日になるぞ。
…あぁ。
わくわくしていたのが、嘘のよう。
こんな恐ろしいことになることを知らず、その時の私はなんと呑気だったのでしょう。
あの時私が一言、「ゆずは?」と聞いてさえいれば。
悔やまれて悔やまれて、なりません。
たった一言。
たったの一言で、ゆずを守れたのに。
守れなかった。
後悔でも。
懺悔でも。
言い訳でも。
ましてや、謝罪でも贖罪でもない。
涙がぽろぽろと流れ出るこの感情の名前を、私は知りません。
目の奥がぎゅっと痛くなって、自然と眉が寄って、涙が絞り出されてくる。
呼吸が詰まって、一気に吐き出される。
その時に出るのは、嗚咽です。
無力感がどうにもおさまらず、いつでも襲ってくる。
ゆず。
ゆず。
その名だけが、声に出ます。
ごめん。
その一言で片づけられるはずもないことをしたのは、十分に承知です。
今日、ブログを書いたのは、みなさんに、御礼を言いたかったからです。
多くのみなさんに、本当に助けられました。
ありがとうございます。
「ゆずちゃんは幸せだったんじゃないかな」
「ゆずちゃんにまた会えます!」
「虹の橋の下で、ゆずちゃんはまた、肩に乗ってきてくれますよ」…
本当に、救われる言葉でした。
「どうして逃がした」、「逃がしておいて何様だ」…
ブログを読んで、そう思われた方もあるかもしれません。
本当に気を付けてらっしゃった方ならば、そのお言葉も当然でしょう。
それでも、その言葉を押し殺していただいて、、ありがとうございます。
(本当は、責められてしかるべきかと思います)
それでも、家族が夢中でゆずを愛したこと。
憎しみも、悲しみも、飢えも、恐怖も。
5日間でたくさん味わっただろうけれど。
それでも、安らかに。
どうか、安らかに。
せめてもう、それしか願えない私にとっては、
みなさまのお言葉で、願いがかなったように思えました。
あぁ、きっと、ゆずは、
あたたかな虹の橋のたもとで、のんびり毛づくろいでもしながら、
また私を待ってくれていると。
家族の愛情だけに包まれて、少しだけ、お留守番…。
みなさまのお言葉は、「希望」となりました。
ゆず。
おばあちゃんになった私でも、見つけてくれるかなぁ。
ゆずちゃんのこと、皆にいっぱいお話したよ。
ゆず。大冒険したねぇ、えらかったねぇ。
ねぇ、ゆずちゃん。カキカキしてあげようか。
かゆいところは、ございませんか…?
たくさん、話をしよう。
きっとゆずは、顔をぷるぷると振るだけだろうけれど。
途中で飽きて、肩の上で毛づくろいし始めるだけだろうけど。
あきれた表情でも、私は泣きながら、でも心底笑うでしょう。
ゆずちゃん。
だぁいすき。
コメントをいただいた方の中にも、愛する子を失った方もおられました。
ご自身もつらいでしょうに、気遣っていただきました。
羽根だけでも、ゆずが帰って来れたこと。
喜んで、くれました。
私には、冷たい土の中に思えても、温かなおうちの土だと、言っていただけました。
…私にはない強さを、感じました。
悲しみを抱えながらも、人の心に寄り添える強さ。
無理だと。
これは現実だと、分かっていても。
少し前まで、ゆずはたしかに生きていた。
血が通い。
意思があり。
甘えて。
怒って。
鳴いて。
時間を戻してほしい。
あの、幸せな時間を返してほしい。
無事な姿で、ゆずを返して欲しかった…!
そう思うと、私はまだ、強くはなれない。
いっそ、誰かが私に裁きを加えればいい。
ゆずと同じ苦しみを。
そうすれば、何かが見えるでしょうか…
強さとは、何でしょう。
悲しみを乗り越えるとは、どの状態をさすのでしょう…。
あとひとつ。
前回の記事を、転載していただいた方がおられます。
その方は、繁殖もされているとのことで、飼い主様の注意喚起になればと、おっしゃていただき、今回のご縁をいただきました。
どうか…
どうか、ジェミー様の子どもたちが、幸せな生涯を遂げられますように。
そして、いたち猫様。
せっかく譲っていただいたゆずを、こんな形で亡くしてしまって、大変申し訳なく思います。
今さら何を言っても言い訳にさえならないでしょうが…
その日その日、注ぎうる限りの愛情を、ゆずには与えてきました。
本当に、ゆずは幸せな表情を浮かべるようになっていました。
こんな形になって、言えた義理ではありませんが、
ゆずと、出会わせてくれて、ありがとうございました。
この二年間、私は…私たち家族は、本当に幸せでした。
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今回の記事で、ゆずいろタンバリンの更新を、止めさせていただこうと思います。
…と申しますのも、紬のブログを開設させていただいたからです。
決して、紬はゆずの代わりにはなれません。
紬は、ゆずの代わりではありません。
ゆずよりもちょっと後に来た、大切なもう一羽の家族です。
(まだまだ、心は通じていませんが)
しかし、こうして縁あって迎えたものの、そうして可愛がる姿は、ゆずを忘れたと感じられる方もおられるかもしれません。
私の周りにも、そう言う人がいます。
ゆずは、代わりができればそれでいい存在では、決してないのに。
紬は、どうでしょうか。
自分を見る目に、何か他のものが見えているのでしょうか。
分かりませんが、自分が一番でないことは、勘付いているようにあります。
また紬の中にも、前の飼い主が映っているようにあります。
紬のことを、理解できるか。
私は紬に信用されていくか。
これから何年かかるか、十何年かかるか分かりませんが、きっと、かけがえのない存在になると思います。
ブログを通して、その記録を残しておきたいと思いました。
ご不快でなければ、また見てください。
ゆずと同じには、できない。
分かってるよ。
指が怖い。
声が怖い。
顔が怖い。
存在が怖い。
それでいいからね、紬。
こわいよね。
ゆずちゃんのこと、これからいっぱい、話してあげる。
私の大切な大切な、紬のおねえさん。
かわいかったんだよ。
えらかったんだよ…!
せっかちなゆずと、おっとりした紬。
きっと、いいコンビになれたのにね。
見つけてあげられなかった、ゆず。
何度も言うよ。
愛している。
ゆずがくれた愛も、絶対、忘れない。
ありがとう。
本当に、ありがとう。ゆず。
どうか…安らかに。
きっとまた、会える。
その時は、きっとまた、肩にとびのってね。
ゆずちゃん。
だぁいすき…。
大好きよ…。
みぃんな、ゆずのこと、大好きだからね…
忘れないでね…!
約束。
きっと叶う。
願いじゃない。…約束。
きっと、いつか。
読みにくいところばかりで、申し訳ございません。
心が叫ぶままに、書いてしまいました。
ゆずがいなくなってから、たくさんのコメントを、いただきました。
励ましがあって、ゆずを信じて5日間走り回り。
励ましがあって、紬を受け入れられるようになりました。
ありがとうございました。
忘れません。
きっと、忘れません…!
本当に、ありがとうございました。