この前の24時間テレビでお話しさせて頂いた女川の現状のお話し!!
そして噂の「女川どうしよう」ステッカーヾ(@°▽°@)ノ
ちょっとPCのデスクトップの写真なのであみあみになっておりますが
ステージでも少しお伝えしましたが
実はお話しするにあたって高政のかまぼこの高橋さんと
メールのやり取りをさせて頂いていましたo(^-^)o
そこで色々と現状を教えて下さったので
その内容をここでお伝えします☆(もちろん了承済み)
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震災から約1年と半年が過ぎようとしています。
私が住んでいる宮城県女川町は人口の10人に1人が亡くなり、町の8割が壊滅してしまいました。
それでもなお、自分の生まれ育った町が大好きで、何とかしようとしている人たちが日々生きています。
想像してみてください。
家族を含めてあなたの親しい10人を思い浮かべてください。
そして、そのうちの誰か1人が亡くなった悲しみを。
あなたの知り合いが100人ならば10人が、1000人ならば100人が死んでしまったやるせなさを。
起こってしまったことは仕方がない。
前を向いて生きていくんだ。
自分のふるさとに笑顔を取り戻すんだ。
そういう覚悟で私たちは今も女川にいます。
今は悲壮感を漂わせながら生きている人間は本当に少なくなりました。
少しずつ復興していく街、再開した魚市場、ちょっとずつ太ってきたカモメ、みんなの笑い声。
ステッカーの『女川どうしよう』という言葉は、読む人の気持ちによって2通りに受け取れます。
悲しみに暮れながら「女川…どうすればいいんだろう」というネガティブな言葉。
そして、この街を、自分のふるさとを、『女川をどんな風にもう一度創っていこうか!』という前向きな
気持ち。
私たちは前向きです。
頑張れば頑張るほど、結果が報われると信じながら、つらい中にも未来を見続けながら今日を生き、
明日を夢見ます。
確かに毎日大変ですが、いつも 夢見る力 でいっぱいです。
そんな私たちを心のどこかで時々思い出してください。
沿岸被災地にとって一番つらいのは、世の中から忘れられてしまうことです。
被災地から遠ければ遠いほど、想いは届きにくいし、早く忘れられる。
それは仕方のないことです。
でも今回、ゆゆちゃんからこのような貴重な機会をいただきました。
皆さんに思い出していただくきっかけをもらいました。
どうか、テレビなどで 女川 の地名を見かけたら、ちょっとだけ気にしてみてください。
『女川どうしよう』ステッカーは、人気番組”水曜どうでしょう”公認・非公式グッズとしてのお計らいを
いただきました。
それは、女川にディレクターさんが来ていただき、「忘れねえよ。忘れちゃいけねえよな」という
お気持ちをいただいたんです。
女川どうしよう!女川をどんな街にしてやろう!
そんな気持ちでこれからも頑張ります。
これからも私のふるさと女川をよろしくお願いします。
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時間が経つにつれ、場所も東北から遠くなるにつれ、意識が薄れているのは本当で
でもTVや周りから震災の話を聞くと、今でもあの光景ははっきり思い出しますよね。
話を伝えたり、現地に行った状況を広めたり
それだけでも何かに繋がるんですもんね^^
またみんなで女川行きたいですねo(^-^)o
蒲鉾本邦 高政
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