【金平苗族瑶族傣族自治県概略 】(金平ミャオ族ヤオ族タイ族自治県概略)
金平ミャオ族ヤオ族タイ族自治県(略して金平県)は紅河哈尼族彝族自治州(以下紅河州)南部、哀牢山脈東南端に位置し、東は箇旧市、河口県、西は緑春県、北は元陽県と接し、南はベトナムに隣接する。紅河州の州政府所在地蒙自市まで126km、ベトナム北部ライチャウ市まで51km。道路は「開河高速」、「永金高速」、「S212省道」、「蛮金公路」がある。現在金平県は13個郷鎮と1農場があり、内94個村委員会、1204個村集落、人口は32万、苗族、瑶族、傣族、ハニ族、彝族、漢族等民族が居住し、人口の約9割は少数民族だという。
山岳地域で交通便が悪く都会との行き来は従来少ないため自然環境は昔のままの地域が多く“中国長寿の郷”とも言われるほどの長寿秘境地。茶の生産量はすくないが、近年古茶樹の分布が確認され、シーサンパンナ州にも稀に見える「厚軸種」茶樹の存在は注目を集めている。
【金平県の沿革】
西漢元鼎6年(前111) 前漢が牂牁郡を設置し、現在の金平県境内は牂牁郡西随県に属する。
三国時代 益州興古郡西随県に属する。
隋 南寧州総管府黎州の管轄下
唐 南詔が雲南を統一し、南詔国通海都督府に属する(794)
宋 大理国の時 通海郡が秀山郡に変更され、金平県の地は秀山郡大甸地に属する。
元 雲南行省が設立され、行政は路、府、州の名称が付けられ、金平県は臨安路大甸地に属する。
明、清 金平は四つの少数民族の勢力によって分割され、土司の群雄割拠の状態。
清光緒16年(1890)改土帰流が行なわれ、土司時代終焉。
民国23年(1934) 金平県を設置
新中国建国後 1951 金屏県に改名
1953年 金平県の県名に戻る。
1985年 金平苗族瑶族傣族自治県に改名、紅河州に属する。
(以上《金平県志》1994年出版よる編集)
【金平県の気候 】
乾期と雨期に分かれる。11月から4月中旬までが乾期であり、晴天と日照が多く、湿度が低い。4月下旬から雨期であり、5月~10月までは年間降水量の4/5を占める。私は5月と7月二回行ったことがあり、幸い雨に合わず、雨期というほどの天候を感じなかったが、霧の発生は大変印象的だった。
金平県馬鞍底郷の宿にて@202405