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神田勇哉のブログ

フルーティスト 神田勇哉の日記



ムーティアカデミーのSNSより




「イタリア語はつねにレガートだ。」


こう語るムーティさんは、

付点のリズムを弾まないで

レガートでタータと演奏する事にこだわった。


そしてイタリアンレパートリーを演奏する時に

全世界で 付点のリズムや 音符そのものが

正しく表現されていない事を嘆いていた。



どんなに有名な大学で学んだとしても


時代作曲家 関係なく

モーツァルトもワーグナーも含めて

みんな同じ弾き方になってしまっている。


これは大きな間違いだ!との事。




これを聞いて私には思い当たる節があった。



東フィルのアレッサンドロくんは

オケ中で演奏する時、

ソロでもそうでなくても、

いつもいつも歌に溢れている。


だが、例えばみんなが短めにギザミをする所でも

彼だけいつも長い…



最初のうちは先輩方が必死に彼を矯正しようとしていたが、彼も頑固なので、そのうちに

何も言わなくなった。


私はあまり目先の音形を綺麗に合わせようとするのもなんか日本人ぽいな、と思っていたが

今ではなんか慣れて多少のズレもまったく気にならなくなった。笑



彼は「僕はタンギングとは、常に響きが生きてなければならない。と、そう先生から習ったんだ!」

と言っていた…



が、ようやく謎がとけた。


「イタリア語はレガート」なのだ。





イタリア語のルールをもう一つ。


単語のスペルに子音が2個続いたら

「必ずアクセント!」

との事。


これはとっても重要らしくて



ムーティさんのファーストネーム

リカルド Riccardoは cが二つ続くから

ーーーーーーー

       >

リッ か ルド

ーーーーーーー

となる。



このアクセントなしで

「リカルド〜」と素直に言ってしまうと


スペイン人の名前になっちゃうよ。

との事!😅




日本人のアカデミー生の歌手は

歌の歌い方指導で


このアクセント および

LとR の発音で注意されまくっていた。


歌手は大変だ…


フルートは歌詞がなくて本当に良かった…😓





数年前 東フィルのオペラのリハーサルにて

イタリア人指揮者のパオロ・カリニャーニさんが振ってくれた時に


アレッサンドロとは初対面にも関わらず

彼のソロを聞いた時に

「あぁ…イタリアンサウンドだ!」


とアレッサンドロの国籍を言い当てた事があった。



アレも今思えば、

上で語ったような要素の複合なんだと思う。




楽器奏者がこれだけ多国籍、多種多様になっていく中で


生まれ育った語学、文化ってのは

各人に絶対的に内在してるもんなんだなぁ。


と思った。


アベマのひろゆきの番組を見てたら

南アメリカの港町で料理を食べるシーンがあった。





そこで見てて気になったのは


その料理には、とれたての新鮮な魚を使うのだが

煮るなり焼くなり揚げるなり…


必ず火をとおす。  🔥


前番組のアフリカ編でもそうだった。




異国料理で生魚で思い浮かぶのは

イタリアのカルパッチョくらい?


なぜ刺身や寿司みたいな生食は

他の国では興らなかったのか?


衛生上の問題と思うが、

山国ならまだしも、港町でも食べないのはなぜ???





その辺を色々調べてみた。


日本の記録では魚の生食は江戸時代からと言う事がわかっている。

それ以前はハッキリとはわからない。


ただ、青森の三内丸山遺跡では縄文時代に

石器で鯛の刺身を作ったと見られる骨が発掘されているし、(どうやって判断したんだろ?😅)


奈良時代の万葉集にも

「鯛の刺身の味付けが良くない」と歌った歌が残ってるとの事。

この時代は鰹も生で食べていたそうだ。


室町時代にはヒラメの刺身をわさび酢で食べていたとの事、

醤油は江戸時代、元禄になるまで使われなかったようだ。




日本が生魚を食べる文化になったのは

以下の条件が奇跡的に揃っていたからとの事。


・真水の質が高く、量も豊富。

・新鮮な魚の流通網が早めに完成された。

・鍛造の技術が高く、魚の身を痛める事がない鋭い包丁が作れた。

・肉を食べない文化のために魚を多く食べる事になった。


そしてこれらの条件に加え

宗教的に「生食は禁忌である」という思想が日本には無かった事と


後は、シンプル故に生魚のうまみを最大にひきだす「醤油」の発明と

それにつけ合わせる殺菌効果のある「わさび」の栽培なんかも理由みたいだ。




アイヌの「ルイベ」という冷たい刺身なんかも

本土の食文化に影響を与えたといわれている。


ルイベはほぼ凍った状態で食べる刺身。


ゴールデンカムイに出てきた。

ヒンナヒンナ




寄生虫アニサキスは冷凍すれば殺せるので理にかなってるのだが、


実は私自身この技術にお世話になっていた。



ヨーロッパ留学中は貧乏学生なので刺身はまず食べれない、

そんなときは、冷凍の切り身はたべれるよ?

といった悪い入れ知恵を知人からされたのだ。


パヴェ・ドゥ・ソーモンてのを買って来て



解凍して刻んで食えば、立派な刺身になった。



ただ、今思えばめっちゃ怖い事。😨


この出荷元の工場では当然加熱する事を前提に出荷してるので、

どんな鮮度のものを使ってるのか

カットする包丁は綺麗か汚いか

それらは保証されていないのめ、


勝手に生食して

いま元気で生きてるのは運が良かっただけってもんだ。


へたすりゃ頭の中に寄生虫に入り込まれて

一生障害持ちか、最悪死んでいたかもしれない。






色んな国に行くと思うのが、日本ほど

多国籍料理が食べれる国は無いって事。


そりゃ、今では世界中で中華が食べれるようになったがそれは中国の方達の努力の賜物、



トルコ人の作るケバブも世界どこでも食べれるが、

本来トルコ料理ってのはもっと素晴らしい料理で、


その中でドネルケバブは日本料理でいえば

「おにぎり」にあたる。

つまりザコ。


トルコ人が苦労の末に

他国でも通じるようにデフォルメして開発した

涙の結晶なのだと聞いた。





日本国内では、毎日グルメ特集がテレビでやってて

旅番組で知らない国の料理を知って ググると

必ず東京都内にはその国の料理の専門店がある。


こんな国はきっと他にないだろう。




フランス行きゃいわゆるヨーロッパ料理屋しかないし、

中国いけば中華料理屋しかない。


そしてこの前韓国いったら

韓国料理屋が多かった。




というか、日本人が超グルメ民族なのである。


和食だけでなく中華、インドカレー、イタリアン、フランス料理、そしてハンバーガー。


ロシア料理もスペインバルもタコスもタイ料理だっていつでも食べれちゃう。



それぞれが日本ナイズされてるのは否定しないが、

これってすんげー事。




昔ウルルン滞在記を見ていたら

ステイ先で演者が、うどんかなんかの日本料理を作ってあげたら、


そこのおばあちゃんが

「私は要らないわ」って言ってて

私はテレビみながら

「いや食えよ!」って憤慨した事があった。笑



じゃ日本人は?というと


うちのもう死んだじーちゃんも

母がたまーにトッポギとかを買って来て食卓に出したら

「こいつぁうめーもんじゃねーな」

なんて失礼な事を言っていたので、


世代とか性格とか育ちもあると思う。





11/29 横浜にてマグナムトリオやります。


チケットはこちらから✨


・チケットぴあ

https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2422931


・みなとみらいチケットセンター

https://minatomirai.pia.jp/list/onsale.jsp?month=202411


皆様にお会い出来るのを

楽しみにしております。😆





さてマグナムでもよく使う

「常識を覆す」という言葉。


あちこちでも、使われるので

もはや安い言葉ではあるけど、


実生活でやるのは簡単ではない。



僕も身近な仕事や作業にて

先輩や先人から受け継いだもので、


「効率悪いな」と思う事や

時代にそぐわないモノは どんどん変えていってるつもりだけど、


大きな単位で見てしまえば、1人の真面目な労働者、

大きな改革なんてものは出来っこない!

と知っている。




さて現在参加中のアカデミーにて、


ムーティさんはリハーサル中、事あるごとに

「世界中のイタリアのオペラ上演は悪習に満ちている」と語っていた。


歌手が大きい声で張り上げながら

楽譜に書いてないフェルマータをつけたして歌う。


そしてそれを大喜びする聴衆、評論家。



楽譜のどこにもそんな事書いてないし

実際にヴェルディ自身も

「書いてない事はやらないでくれ」と言っていた。


との事。



「私はこの数十年間、世界の音楽界と戦ってきたのだ。」

と語る姿を見て


世界のマエストロ、ムーティくらいのトップクラスになっても

道理が通らない事もあるんだなぁ…

と思った。




他にもこう言っていた。


世界中に向かって「それは違う」と正して回るのは、無謀な戦いだって事は分かっている。


でも私にできる事は、こうやって若い世代に

イタリアオペラのあるべき姿を伝えて回る事。


そのためにこのアカデミーを開催している。



私はしばらくしたらあの世に行くだろう。


だけど、もしあなた達が今回学んだ事を

今後やり続けていなかったら…


化けて出てやる!




こんな感じにお茶目な所も挟みつつ

時には激怒しつつ、


完璧に出来るまで絶対に手を抜かない、

そんな感じでリハーサルは進んで行ったのでした。





楽譜に書いてある事から表現や作曲家の意図を想像するのが演奏家の仕事だが、

僕はそれが個人の解釈なら少しくらいの逸脱は良いんじゃない?


なんて思っていたが、



ヴェルディの書いた細かい指示、


例えばテムポ指定や

グランディオーソ、トランクイロなどの楽語、

音の高さや休符一つとっても

「全て完璧に計算されている!」との事で、



私もオペラを何作品もやってるので感じていたが、

ヴェルディがめちゃくちゃ神経質な人で完璧主義いうのは本当だった。🤣