「まだ降ってんだろ。ふざけんなよ!」。横を向くと、怒鳴り飛ばす30代 の若い母親と、シュンとして俯(うつむ)く10歳くらいの男の子がいた。
どうやら「こんな雨、平気だからいこうよ」とその子が言ったらしい。それに 対して「ふざけんなよ!」である。青筋を立て、苛立(いらだ)った顔をして 本気である。恐れ入った。
父親なら「よし、いくか!」と一緒に雨の中に走り出したかもしれぬ。
逆に、尻込みする子どもに「いくぞ」と促してもかまわない。ずぶ濡(ぬ)れ になりながら雨の中を走る。そのうち悠然と歩きはじめる。子どもには それが楽しいはずである。楽しむことができる子どもにするのは親の役目 である。家にたどり着いたら頭から熱いシャワーをかけてやる。小さなこと だが、このような経験は、その子に楽しい記憶、ある種の勇気の発露として 蓄積されるにちがいない。
母親にそれを求めるつもりはない。だが「ふざけんなよ!」とは何事か。
ふざけているのは、その母親の頭の中である。「お母さんは雨に濡(ぬ)れる のがいやだから、もう少し待とう」でいいではないか。汚れること、昆虫をいじること、危ないこと、といった自分の嫌悪感をそのまま子どもに 押しつけすぎなのだ。口の利き方も知らない。そのくせ子どもには「早く しなさい。ほんとにグズなんだから」とかいいながら、自分の化粧は、なんの効果もないのに、いつ果てるともなく延々と続けているではないか。
当然、若い母親がすべてそうだというのではない。若い父親でも、子ども よりは自分が大事、という未熟な親はいる。親はなくとも子は育つ、と いわれるが、親がいるのになぜ育たない?
親じゃないのか。ただ子を産んだだけの、ただの男女か。
(イザ!・産経新聞、評論家・勢古浩爾氏)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/12403/
とても素敵な記事だと思いました。
「ふざけんなよ!」という言葉遣いについては別として。
そしてこういった話は若い母親に限った話でもないと感じるわけですが。
私自身もつい先日同じようなことをしてしまい考えさせられました。
子供の発想は好奇心を育て、行動力や自立心へとつながるもの。
親は子供より多くを経験しているから、
後の展開が読めてしまってついつい先走った発想をしてしまう。
子供は子供のえた少ない経験の中での価値観で
考え行動するのだから、叱るべき状況でない限りは、
親の権力で押さえつけるような真似は避けたいものだと、つくづく感じました。
子供に寄り添う目線で接して、子供の持ってる本来の力を活かしてやりたいものです。