時雨でございます。   前回のお話⇒ ≪本当にあった話 五話≫


「自分で自分の事を認める。感情的な面も含めて、自分が恐怖に犯されてる弱い人間である事を自らが認めてあげる。そこに成長がある」


そう老人は弘美に教えてくれた。でも、一番大切な事は一体何なのか?弘美はまだ解らなかった。



老人は言った


「君は自分の恐怖に勝てなかった。でもそれは決して情けない事でもないのじゃ。皆がそうなのじゃから。だから、気がついた今、今後はそうならないように努力をすれば良い。君は仕事をしながら、本来やらなければならない事をやらなかった。それは、部下に幸せになって貰う事じゃ。そして取引先など事業に関わる全ての人たちに喜んで貰う事。これを徹底的に実践することが最終的に自分に幸せに繋がるのじゃ。自分の仕事や部下たちから幸せな人の輪が広がっていけば、これこそが世の中の大きな貢献となる。幸せな社会の土台ができる。大袈裟かもしれんが、これがより多くの人が行えば、幸せな世の中になる。これは理想でも詭弁でもない。それが遠回りに思えて、一番の近道なのじゃ。これも世の中の真理なのじゃ。例えば幸せな家庭を築く事、幸せな地域作り、それも全てが社会貢献になる。社会貢献の小さな輪が増える事で世界の貢献に繋がるのじゃ。」


弘美は老人の淡々とした発言のと、スケールの大きさに驚きと感動が入り混じってる状況でした。



弘美は思った


「確かに話のスケールは大きいけど、とても一般的で当たり前の事にも思える。でもこの当たり前が出来ない人の多い事。家族の幸せそうな笑顔を見て不幸に思う人なんていない。自分も皆が幸せな気持ちになる。どうしてこんな単純な事に私は気がつかなかったのだろう・・・」




老人は言った


「ワシは愛が必要じゃと言った。その愛とは、相手を幸せにしようとか、喜ばせようという気持ちの事じゃ。ワシは、事業していた頃は若くて、従業員や客の幸せよりも売り上げの事などに気が捉われていた。そして最後には事業が苦しくなった時に、信頼しているはずだった従業員にも裏切られ、商売を潰す事になったのじゃ。誰が悪いか?全てワシが悪いのじゃ。従業員や顧客の事よりも、自分のエゴを守ろうとしたからじゃ。自業自得じゃ。」



弘美は言った


「立場は違えど、まさに、私も同じような状況だと思います。他人事とは思えません。私も部下たちに幸せになって貰いたいなんて思いは一切ありませんでした。私には愛が欠けていたと思いますが・・・」




老人は言った


「何もそんなネガティブにならんくても良い。気がついたのだから上出来じゃ。人間は、恐怖によって行動する時は本当の幸せから遠ざかるのじゃ。本当の幸せは愛に生きる時に齎せる産物なのじゃ。人間は愛に生きる事で本当の幸せや、人との繋がりを感じるのじゃ。ただ、ワシは最初から完璧を求めてるのではない。恐れても良い。それが人間じゃ。大切なのは、恐れに支配されない事じゃ。恐れの中でも愛を選択できる勇気さえあればいいのじゃ。全てを恐れに支配されてはならん。そして、その鍵を握るのが自尊心なのじゃ。自分自身を自分を自尊心で満たす事がポイントなのじゃ」



弘美は言った


「自尊心ですか?プライドの事ですか?」


老人は言った


「ワシが言う自尊心とは、自分の事を価値ある存在として認めて、尊重し、信頼する心の事じゃ。自尊心を満たせない者はその不足分を他から認められる、埋め合わせられる事で補おうとする。でもそれは人から評価に依存する事であって、人から認められたいという恐怖が常に付きまとうのじゃ。逆に自尊心を自分自身で満たせる人は人からの評価には恐れない。君は自分の事をどれだけ認めているかね?」



弘美はギクっとした。



「・・・正直、今の私は部下にも裏切られて自分がとても情けなく、自分を認めるなんて気には一切なれません。自分が結果を出して、周りの評価も高い頃はとても自信があって気分も良かったです」



老人はいった



「君は結果に固執しておる。それでは結果が出ないと自分を尊重する事が出来ないではないか?でも、人間というのは結果に関してどうしても波が出るものじゃ。どんなに優秀なオリンピック選手だって結果には波が出るものじゃ。完璧な人間などこの世にはいないのじゃ。常に結果を出す事でした自尊心を満たせないなら、それでは疲れてしまうではない?違うかね?」



弘美は言った


「それでは・・・結果に波があるなら、行動というプロセスを自分の自信につなげて自尊心を保てば良いでしょうか?」


老人は軽く頷きながら温かい顔つきで言いました



「いや、結果に波があるように行動にも波がある。人間は頑張りたくても頑張れない時だってあるのじゃ。精神的に疲れてる時、体力的に疲れてる時、皆完璧には行動できないものじゃ。だから、行動によって自己評価をするという指標では、それが出来なかった時に自分を責めてしまう。鬱病患者などがまさにそうじゃ。行動出来ない自分を更に責めるのじゃ。」


老人は更に言った


「行動によって得られるもので物事を議論しない事が重要なのじゃ。例えば、子育てを例にして、もしその子が親が期待する行動をした時に『良い子だ』と褒めたとしよう。でもそれはその子の行動に対して評価した訳である。だが、それはその子自信を褒めた訳はない。行動によって出た結果を褒めたのじゃ。大切なのは、その子自身の存在を認め、それ自体を褒めてあげる事なのじゃ。生きてるだけで、存在があるだけで褒めるに値するのじゃ。だが、それを褒める、認める事をしないと、その子自体が自分の存在の有無が不安になってくるのじゃ。このままの自分ではダメではないか?と思えてきてしまうのだ。行動や現象に対して褒めるのも大切じゃが、まずは何より、その存在がある事自体を認めて上げる事に、人の自尊心とは強化されるものじゃ」



弘美は今までの人生で考えても見なかった哲学、思考方法に出会い、何とも言えない驚きと感動をしていた。まさには「感無量」とはこの事だった。



老人は更に例え話を言った


「もう一つ、例をあげよう。昔、秀才の女の子が居た。その子は成績が良いことばかりを褒められて育った。行動による結果ばかりを評価された彼女は、良い成績を出さないと自分には価値がないと思うようになった。つまり、結果を出せない自分は価値がないという判断基準が備わってしまったのだ。そして彼女、その後も高校も大学も勉強勉強になり、社会に出ても、結果を出さないと自分の価値を見いだせない不幸な人生を歩むようになってしまった。」




弘美は思った


「まさに、私の事じゃかしら・・・」



老人は更に言った


「もう一つ、例がある。ある男の子の話じゃ。その男の子は、父親から『男なんだからもっと積極的に行動しろ!』と言われておった。でも彼は男らしく積極的に行動するのが苦手だったのじゃ。それを見た父親が『お前はどうしてもっと男らしく積極的に行動できないのだ?』と嘆いた。これは、その子の行動に対して嘆いてるが、その子の存在すらも否定する結果になる。そしてその男の子は、男らしく行動できない自分に自信が持てず、存在すらも否定された気持ちになったのじゃ。大切なのは、その子達の行動を元にその子自身の事まで評価してしまう、存在価値を決めてしまような事はせず、その子の存在はどこまで行っても尊重し認めてあげる、これが重要なのじゃ。」




「部下にしても、子供にしても、彼にしても、彼女にしても、そして兄弟にしても親にしても、大切なのは、互いが存在を認め合う事なんじゃ。『君はそのままで素晴らしい存在なんだ』と言ってあげる事。子供も良い成績を出した時に褒められ認められる事が幸せではなく、悪い成績を出しても、その存在を尊い抱きしめられることで満たされるのじゃ。自分の存在そのものを受けれてくれる事で自尊心が満たされるのじゃ。君はそのままでも素晴らしいと認めてあげる事じゃ。我々人間の存在価値とは、取った行動や結果も重要じゃが、それ以前に、存在する事にあるのじゃ。これに人々が本当に気がついた時に各々の自尊心は満たされるのじゃ」



弘美は何かスケールの大きい壮大な話を聞いてるかのような気持ちの中にも、至極当然、当たり前の事を聞いてるかのような不思議な気持ちになりました。


老人は言った


「君は今、今までの人生には無かった、考えて来たような考えてはいなかった、新鮮な話をワシから聞いてるじゃろう。人生の発見とはそんなものじゃ。知っていたようで知らなかった、聞いていたようで聞いてなかった、そんなものなのじゃ。今からワシが人生における3つの重要な事を明かそう。それを知る事で君の人生も多く変わる事じゃろう」



続きは本当にあった話  七 話 でお話します。



つづく