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背表紙。表紙も背表紙もデータで作れなかったから、あとで印刷所でくるみ製本用にカラーコピーしてもらうための。
2011年目次 1〜4月
5〜8月
2012年
2013年
さっきの投稿でも書いたな。誰だよ雪下って、って思うかな。思うよな。2011年秋〜2012年4月まで一緒にやってたバイオリンの人。そうだな、程度で言ったら無善寺のマスターと同じくらい、強烈に自分に影響を与えた人。どちらも、洗脳されかけていたって言い方が正しいかもしれない。
ああ、ここまでの自分と、ここからの自分もずいぶん違うな。そのあと7月に喉さんに会って、雪下くんと一緒にやってた時と180度違う物の見方というか表現に衝撃を受けたし、それで救われたんだ。
5月6日。9時。高さを足している。腕が疲れるので本当に腕を置くやつがほしかった。結局買ってない。それはトイレのカバー。
5月8日9:23。マウスを装着した。作業効率が二倍になった。画期的だった。
5月13日。椅子を買った。組み立てが大変だった。1時間半かかった。
5月18日。一時間半かけて机を組み立てた。
もともとの作業環境。
死ぬほどある。死ぬほどある。とにかく死ぬほどある。自分のようなものが書いた文章が、死ぬほどある。死ぬほどってなんだ? 書いた文章が多すぎて紙にして出すと埋もれて死ぬっていうことか?
2011年から2019年までのブログをまとめて本にしたいと、もう何年も前から思っていた。だけど、そんな時間も取れないまま、もうあきらめていたんだと思う。
これはもう、自分ではなかった。このブログを書いた人は、自分ではなかった。さっさとまとめたいと思った。本当の自分を取り戻したいと思った。退行療法をしてみたいと思った。調べてみたら、金がかかる。だけど、こうやってブログをまとめたりすることが、自分にとっての退行療法になるような気がしたし、実際になっていると思う。セルフアナログデフラグをしている感じだった。
過去のことを振り返るのに、インターネット上のものは読みにくいし探しにくい。紙になっていれば、本の形になっていれば、ふとあの時どうだったかなと思った時、そんなに難しくなく振り返ることができると思った。
本当は、もっと早く終わると思っていた。2020年の四月からはじめれば、六月。そのくらいには終わると思っていた。五月の終わりに、これをまとめ終わったら、インターネット上のブログは、消すのはもったいないけれど、なにかしらすると思う、と書いている。
4月25日からまとめ始めた。ホームステイ週間とか言われたそのはじめの日だ。
ブログは、途中までまとめていた。2011年1月〜7月。そこで止まっていた。2011年1月に一度それまでのブログを本にまとめた時、次にまとめる時に大変にならないよう、少しずつまとめておこうと思った。だけどそれが、雪下くんとの出会いのところで止まっていた。象徴的だった。この時もう、なにかが自分の中で、狂いはじめていたんだろうな。いや、はじめから狂っていたのかもしれない。
放ったらかしの十年分のブログ記事をまとめることは、いや、まとめようとすること、それに取り掛かろうとすることは、容易ではなかった。毎日こつこつ、七時半に起きて、九時か九時半には始めて、午前中に作業をした。
ブログのまとめは、途中ごきぶりに邪魔されたり机や椅子を買ったりして、6月28日に一旦終わっている。そうだこの時、いや四月からまとめ始めて途中で、この量だと、もしすべて印刷したとしたら、分厚い電話帳八冊くらいになるだろうと気づき、ちょっと無理だなと思い、一旦印刷することはあきらめていた。
2013年ごろからiPhoneを手に入れ、ブログを書くため用に使いはじめて以来、写真を撮りまくって載せまくっていたので、写真が大量にあり、まとめるのがとても大変だった。許せなかった。本当に大変だった。
そもそも、はじめは、突然ブログを書かなくなった2014年までをまとめたいと思っていた。それは6月2日に終わっている。だけどそのあともまとめ続け、6月20日に2019年までの本文が終わり、そのあと目次を作り始めた。
目次を二段組にしていたが、一日分をいかに一行におさめるかがとても大変だった。あんなことは二度とやりたくない。文字の大きさとか行間とか余白の設定とか調整した。もう思い出したくない。次やるなら変なこだわりを捨てて適当にやってほしい。全部終わったのが6月28日だ。ここまでは、まだまともだった。
6月29日に、ブログではなく、今度は過去のツイッターを見た。見なければよかったのに。莫大な量があった。ブログには書いていないけどツイッターで投稿していた時期もあったから、こちらも残しておきたいと思い、7月3日から、ツイログからコピーして、Wordに文章を貼り付けていく作業を始めた。
まとめるのではなく、ただ貼り付けた。これも、毎日こつこつやった。8月20日に一旦終わっている。そのあと10月6日に久しぶりにパソコンを開くまで、ブログもツイッターのまとめも、それ以上手を付けなかった。
製本したらどのくらい費用がかかるか調べたら、2万くらいで出来そうだった。高いなと思ったけど、2万円で自分の心が整理できるのなら、それで自分の気が済むのなら、別にいいなと思った。
実際に印刷しようと考えてデータを見てみたら、B5で作っていたはずが、A4の設定になっていた年があった。2010年と2011年。2010年のものはもう本にしているから手をつけなくてもいいのに、データを全部修正した。用紙のサイズ変更をしても本文は縮小されなくて、いちいち手作業でうまくまとまるように直していった。
こういう、気を使う変な修正がとても大変だった。疲れすぎると動悸がしたりした。首と肩がこって、お腹が動悸がした。パソコン作業はなぜか本当に体がもたなくて、四月からはじめた時も、一日一時間くらいが限界だった。背中と腕が変な感じになって、両腕はすごくだるくなって、腰が痛くなり、手や指が腱鞘炎のようになり、午前中に作業をすると、午後は昼寝をしてしまった。寝ようと思って寝るわけではなくて、寝てしまったという感じだった。5月25日に整形外科に行き、それからずっとリハビリを受けている。
5月8日にノートパソコンにマウスを装着したら、作業効率が二倍になった。マウスの偉大さを痛感した。椅子を買った。5月13日に椅子を組み立て、5月18日に机を組み立てた。この、机と椅子が売り切ればかりで、探し回るのが本当に大変だった。そしてこの時、この、椅子を買った時、椅子の入っていた段ボールに飛び跳ねる虫が入っていて、ついでにごきぶりの卵もついていたようだ。最悪だ。この時期、毎日朝から出てくるごきぶりでノイローゼみたいになった。
体が痛いのは、タブレットで作業しているときはまだ大丈夫だった。首にタオルを巻くといいらしいと知って、これは夏か秋くらいからやっている。あと作業する時と寝る時は腕にアームウォーマーのような、本来は紫外線よけのものをつけている。
タブレットの時はましなので、パソコンのブルーライトで体が痛くなることもあるのかなと思い、ブルーライトカットシートを買おうと思いもう半年以上経った。
昨日、調べてみたら、パソコンの設定でブルーライトをカットできることが分かった。ナイトモードにすればいいだけだった。そんな些細なことさえ知らずにずっとやって来た。今日は数時間パソコン作業をしたけれど、いつもよりひどくならなかった。やはりブルーライトのせいだったんだろうか。目って大事だな。でももうすべての作業が終わろうとしている。
11月に、ついにブログの印刷を始めた。すごいな。えらい。黒が多い写真は乾きにくい。いや、多分すぐ乾いているんだろうけど、一応広げて並べて数時間乾かした。雨の日は印刷しない。家が印刷工場みたいだった。プリンターは、丸いすの上に置いていたら落としたので、もう落とさないようにと床に置いて印刷していた。そうしたら腰が痛くなったので、しまっていた折り畳みの机を出して、その上に置いた。写真だらけのページもあり、この紙両面印刷用じゃないけど大丈夫かなと度々思った。
11月2日から9日まで、朝起きてすぐプリンターの電源を入れるということが何度もあった。ちょっとおかしいんじゃないかとも思った。世界がくるくる回っていて、まっすぐ歩けないくらいぐらぐらしていた日があった。印刷してから、一日分、ブログがインターネット上のものから転記が抜けていたことに気づいた。無理しすぎて疲れているんだなと思った。
11月9日に2019年までの印刷が終わり、引き続き、発行情報なども作っていた。ライブの紙のフライヤーを入れてあるファイルを見て、それもまとめようと思い、小さくして印刷した。印刷したブログのチェックもした。ブログの中から思い出の写真を選んでまとめはじめたり、描いた絵もまとめ始めた。ちょっともうこんなことする必要なかったかもしれないし、キャパシティーを超えすぎていた。
この時、同時に、貼り付けただけのツイッターを、編集して二段組にきちんとまとめる作業も11月8日からやっていた。 11月14日にパソコンがまったく動かなくて壊れたかと思ってバッテリーの再起動などしていた際、電源コードがつながっていないだけだと気づいた時、もうだめだと思った。休まなければいけなかった。だけど結局、一日だって完全に気を休めることができた日はなかった。
本当は、11月中に製本に持って行きたかったんだと思う。編集していた発行年月日が、2020年11月20日と書いてある。だけど11月後半はブログなどの作業はしなかった。
ツイッターの方は、紙にするつもりはなかった。Wordに残せればいいかなと思っていた。莫大な量だった。特に2019年と2020年。死ぬほどあったのはこっちのほうだった。しかも、ブログのように内容がまとまっていない。ばらばらな文章が大量にある。ツイッターの文章はブログと違ってなんか気持ち悪い。あんまりじっと見るようなものじゃない。なんていうか、その時々のマイナスな感情の突発的な発露だし、消した投稿も多いけど、なんだか見ていて嫌な気持ちになる。特に昔のものは。
2018年ごろから、自分が変化していくとともに、文章量が増えていった。そもそも、2019年までのまとめをしようとしているのに、その作業をしている2020年の投稿が一番多くて一番まとめるのが大変という理不尽な状態だった。ブログを書いていない分、全部ツイッターに書いてあるような感じだった。2020年は、ツイッターだけでブログ本一冊くらいになった。
12月は、11日にツイッターのまとめをしただけだった。
1月、2020年のブログを印刷したり、ブログの表紙と背表紙を印刷したり、ライブ記録の詳細をまとめたり印刷したりした。絵と写真のまとめも1月にやっと印刷した。
1月21日から、ツイッターのまとめも印刷しはじめた。はじめはツイッターは印刷するつもりはなかったが、もう全部出してしまえば楽になると思った。とにかく紙に出してしまいたくて、次の年を編集しながら印刷した。目次はブログと違い、ページ数や日時すら書かず、こだわらず適当にやった。最初の写真は、ツイッターの目次。
また、朝起きてすぐプリンターの電源を入れることがあった。1月23日の手帳に、体いたい無理するな、と書いてある。
1月はたくさん作業をした。18日からはほとんど毎日作業していた。具合が悪くて一日なにも出来ないと、なにもできなかったことが嫌で、夜22時から作業したこともあった。吐き気がした。だめだと思う。
ツイッターの印刷は2019年までは28日で一旦終わったが、そのあと、ツイッターに載せていないけど、残しておきたい写真を見つけたり、プロフィール写真の変化をまとめたり、削除した投稿のスクリーンショットを載せたり、フォロー数の変化をまとめたり、こんな細かいこと絶対やらなくていいだろと思うようなことを、やらなくては気が済まない感じになってしまったのでやっていたが気持ち悪くなった。ここが一番だめだった。あとちょっとで終わるのに、あとちょっとが長かったし大変だった。整理できないかと思った。目も心も疲れた。お腹の調子が悪くて不思議だったが、変に頭を使う作業のしすぎのせいだったんだなと今は思う。
変になりそうだったので、一旦やめて、二月になってからやった。2月10日に目次を全部印刷して、表紙や背表紙も印刷した。エクセルの進捗表のまとめに入った。大変だった。
前書きを書こうと思ったけど、もう終わるのであとがきにした。あとは、作業の過程を写真で振り返るものをまとめて印刷したら終わる。早く製本に持っていきたい。本当は2月10日にキンコーズに行きたかった。
九年ぶりに、ブログをまとめる作業をした。十年分あった。10ヶ月近くかかった。まとめる気が少しでもあるなら、十年も放っておかないほうが絶対にいい。仕事やめてでも自分を振り返ったりまとめたりする時間を作った方が、この人の場合は絶対にいい。
ブログは10年分で1682ページ、ツイッターは381ページくらいになった。文字数は数えていないから分からない。ブログとツイッターを合わせても、分厚い電話帳8冊にはならなかった。3冊くらいかな。重さは5キロくらいかな。
十年経って気づいたことがある。十年前より消費税が上がって、製作費が高くなる気がしたが、紙とインクだけだと、十年前より安い。十年前は電気屋や文房具屋に行って直接買っていたが、今回は全部インターネットで買った。ポイントを使ったから安くなった。十年前はクレジットカードなんて持っていなかったと思うし、好きじゃなかったから、クレジットカードでこんなに買い物をするなんて想像ができなかった。ただブログを十年分まとめただけなのに、歴史を感じた。
あと、ブログではないもの、SNSの浸透で、一見、人とのつながりが簡単になったように見えるが、実際は、自分の場合は、ややこしくなったし、まとまりがなくなった。ツイッターに投稿したものを、内容ごとにまとめてブログに書けばよかったが、それをしなかったから、結局ばらばらのまま、なんだか自分までばらばらになった気がする。
ブログをまとめようと思ったのは、2014年、突然ブログを書かなくなった時、ツイッターのつながりを全部切った時、のあたりのことを、それまでのことを、知りたいと思ったからのような気がする。はじめの頃、ざっと目次だけ仮に印刷した時、2014年までと、2014年の途中からの断絶を見て、自分の心の、何かを感じた。
2020年の年末に、ツイッターで人の狂った様子を見ているのが嫌で、それからあまりツイッターを見なくなった。一月からは、ライブをやった時や映画を観に行った時など、数えるほどしか投稿していない。ブログは、2019年からは、最低限の投稿しかしてない。
去年の秋ごろ、自分の言葉が、誰にも届かないような気がした。言葉とは、不特定多数の、誰も見ていないかもしれないツイッターやブログに書くよりも、興味を持ってくれたひとりのために書く言葉が、本当の言葉であるような気がした。
ああ、本当に、やっと終わるんだな。去年の四月から。長かったな。だけど終わったら、それはただ、紙にまとめただけで、これからはじめる作業の材料ができただけなんだ。これをもとに、また、はじめなくちゃいけない。まだ、時間がかかりそうだな。
2月11日の夜遅く、全部終わった。
これから、印刷所に行くよ。