製本が当日中に仕上がるかもということで、おととい22時前まで電話が来るかどうか新宿を歩いて待っていたけれど電話は来ず、昨日の昼にふたたびはるばると新宿まで出てきて受け取った。

ブログ9冊と、ツイッターまとめ2冊。本の形になっているものを手にすると静かな嬉しさがある。




表紙をつけて製本してもらったら更に重くなり厚くなりかさばった。やっぱり5キロくらい。


コンパクトにして持って帰った。



おめでとう自分。10年分、10ヶ月よく頑張って作ったな。終活が一つ進んだ。これは自分を終わらせるための作業のひとつだった。

誰にも見せない自分のためのブログ本だけど、本当に偶然にも、こんな日に会ってこの本に触れてくれた人がいて、しかもそれは自分の鍵になる人たちで。とても嬉しかった。ありがとう。

おめでとう、おつかれさま。これは自分用花束。



誰にも見せないと言ったけど、かなり大変だったのと頑張ったのでやはり見てもらいたく、今日、近所の家族を呼んで本の完成を祝った。祝ってもらった。

興味がある人がいたら、機会があったら見てもらいたいな。ライブの時に、また昔みたいに、ブログ本を持っていこうかな。重すぎて、全部は持っていけないと思うけど。



2013年はiPhoneを使い始めて写真が多すぎて2冊になった。上巻と下巻の表紙の写真が最高に良い。雪の中に倒れてるやつ。ちなみに誤字があるけどまあ良い。


本文。


2008年9月から6年間、ほぼ毎日更新していた時の目次。


2014年9月以降。
ここからは、目次作るの楽だったな。



まったく書かなくなった時の目次。とてもきれいだな。



文章の他に、ライブのことも全部まとめた。ライブ記録もまとめた。フライヤーも入れた。一旦全部終わらせたくて。


手書きフライヤーをライブの度に書いて配っていた。


進捗表とか。Excelの表が7ページくらいある。


製作費。表紙以外の印刷は自宅でやって、紙1200枚とインク2セットで3,192円。表紙のカラーコピーとくるみ製本で9,215円。全部で12,407円。持ち込み手数料2,000円がいつからか分からないけど追加されてる。10年前に作った時はなかった。


あとがき。

ちなみに、今、誤字を見つけてペンで二重線で修正したら、なんかものすごくいけないことをしたような気持ちになった。もうやらない。そんなこと、すごくどうでもよかった。書き足す必要なんてなかった。すごくごめん。悲しい。


奥付け。



昨日、はじめて人にこの本にふれてもらった時、命がふれられているような気がしたよ。心かな。たましいみたいなもの。生きていたもののような、生きているもののような気がして、見てもらってさわってもらって、この人(本)たち喜んでいると思います、嬉しいと思います、よかったね、って言ったな。人にふれられると、それで命を与えられたような気もしたよ。


この先、まだまとめるものがあるなって気付いた。ブログなどない頃、本当に誰にも見せない文章を書いていて、自分のパソコンメール宛てに携帯から文章を送っていたりした。これを言うと、少し気持ち悪がられるというか引かれたことがある。

これからまとめたいのは、昔雑にまとめた2004〜2007年、2008〜2009年の文章があって、その後、1998〜2003年の手書き文章があって、最後が1997〜1998年の手紙。それで、全部つながる。

恋愛のことばかり書いてあったり、いわゆる黒歴史のようなものもあるけど、まとめると、多分それは、そういう人として、全部が自分の材料になる。

引き続き、過去を振り返りまとめることでの退行療法をしていこうと思う。


これは2006年の。




これもっと昔。



これは、文章を書きはじめた一番最初の頃。




それから、昨日の夜中、はじめて他人に話したと思う。自分はきっと、音楽をずっとやっていくと思うけど、それとは別に、ここから5年とか10年とかかけて、もう、誰にも見せない本ではなくて、今度は誰かに見せる、発表する本を、作っていきたいなって。

そのことを、もしかしたらここに書くことはないかもしれないけど、分からないけど、でもきっと、どこか別の場所で、生き続けていくんだと思う。


この10年、いや、ブログをはじめて12年、出会ってくれて、読んでくれて、ありがとうございました。




優城貴子





※2011年に、前のブログ本が完成した時のブログ記事。これ、昼のライブの前に、午前中に製本が完成して受け取りに行ったのかな。いそがしい人だな。ライブありがとうございました記事に混ざってるし、読むとこんなこと思ってたのかと思ったけど記録のために一応載せておきます。

ブログ本表紙2011〜2020年

 

 

 

 

 

背表紙。表紙も背表紙もデータで作れなかったから、あとで印刷所でくるみ製本用にカラーコピーしてもらうための。

 
 

2011年目次 1〜4月

 

5〜8月

 
9〜12月
 
 

2012年

 

 

 
 

2013年

 

 
 
2014年
 
 
 
 
2015年
 
 
 
2016年
 
 
 
 
2017年
 
 
 
 
2018年
 
 
 
2019年
 
 
 
 
2020年
 
 
 
 

絵を見るみたいに目次を見てみると、楽譜みたいでおもしろい。音楽みたいだなって。時間の流れとともに生きることは、音楽みたいだなって。







 


2020年4月16日。この写真はブログまとめとは関係ない。だけどこういう作業環境だった。丸椅子と折り畳みテーブル。机の足に椅子の足が当たった。机の高さが足りないなと思って高さを足していた。


2011年7月、雪下くんとの出会いのあたりまでまとめて、そこで止まっていた。

 


さっきの投稿でも書いたな。誰だよ雪下って、って思うかな。思うよな。2011年秋〜2012年4月まで一緒にやってたバイオリンの人。そうだな、程度で言ったら無善寺のマスターと同じくらい、強烈に自分に影響を与えた人。どちらも、洗脳されかけていたって言い方が正しいかもしれない。


ああ、ここまでの自分と、ここからの自分もずいぶん違うな。そのあと7月に喉さんに会って、雪下くんと一緒にやってた時と180度違う物の見方というか表現に衝撃を受けたし、それで救われたんだ。



5月6日。9時。高さを足している。腕が疲れるので本当に腕を置くやつがほしかった。結局買ってない。それはトイレのカバー。

 


5月8日9:23。マウスを装着した。作業効率が二倍になった。画期的だった。


 

5月13日。椅子を買った。組み立てが大変だった。1時間半かかった。

 

5月18日。一時間半かけて机を組み立てた。

 


もともとの作業環境。

 

10月5日。使ってないプリンターをもらった。この時からリュックのチャック壊れてるじゃん。
 

11月2日から印刷を始めた。必要な紙を買っておいた。


この床にプリンターを置くやり方は、腰が痛くなるから数日でやめた気がする。丸椅子にプリンターを置いたら落っこちたから、床に置けばそれ以上落ちないと思った。
 
一日作業していた日もあった。
 

どのくらい紙が必要かとか。
 

ツイッターはどのくらいのページ数になりそうかな、とか。
 

目次の編集。二段組にした時の段と段の間をつめて、一日の目次が出来るだけ二段にならないようにしようとした。色々試行錯誤したが、最後は諦めて、文字を小さくしすぎず、だいたいの大きさを8かなんかに決めた気がする。
 
目次を詰め込もうとして文字の大きさを変えたり、なんとかしようとした。これ一日やってる。次の日もやってる。
 

11月7日。更新が途切れた2014年分の印刷をした日。これは2013年の。笑顔の写真が少し悲しい。


目次と照らし合わせて確認した。
 

2015〜2018年分の印刷。このころ、もうブログの投稿をあまりしなくなっていた。表に出すような言葉が、なかった。たくさん、たくさんあったはずなのに。

石巻、南三陸、女川。言葉がない写真だけの記事。
 
Word。


クリアケースに入れた。

 
乾かしている。


11月9日。印刷の進捗表。

 
あ、ツイッターまとめのほうの余白設定だ。11月10日。


ところで今、製本してもらいに新宿に来ているのだけど、今日中に出来るかもしれないと言われたので21時半頃まで待とうと思うけど、21時半までに電話が来なかったらあきらめて帰ろうと思う。

行く前に電話して確認した時、今日中に出来ますと言われたからわざわざ遠くまで来たんだけど、はじめ、明日の夕方になりますって言われた。明日になるんなら近くのとこと同じなんだよな。

本当は出来上がってからゆっくりお茶するつもりだったんだけど、もし今日中に出来上がっても、開いてる店はそうないだろうし、お茶って時間じゃないし、さっさと帰って寝た方がいい時間だろうな。

ここも20時に閉まる。緊急事態宣言中だから。







 
 
 

 


死ぬほどある。死ぬほどある。とにかく死ぬほどある。自分のようなものが書いた文章が、死ぬほどある。死ぬほどってなんだ? 書いた文章が多すぎて紙にして出すと埋もれて死ぬっていうことか?

2011
年から2019年までのブログをまとめて本にしたいと、もう何年も前から思っていた。だけど、そんな時間も取れないまま、もうあきらめていたんだと思う。 

これはもう、自分ではなかった。このブログを書いた人は、自分ではなかった。さっさとまとめたいと思った。本当の自分を取り戻したいと思った。退行療法をしてみたいと思った。調べてみたら、金がかかる。だけど、こうやってブログをまとめたりすることが、自分にとっての退行療法になるような気がしたし、実際になっていると思う。セルフアナログデフラグをしている感じだった。

過去のことを振り返るのに、インターネット上のものは読みにくいし探しにくい。紙になっていれば、本の形になっていれば、ふとあの時どうだったかなと思った時、そんなに難しくなく振り返ることができると思った。


本当は、もっと早く終わると思っていた。2020年の四月からはじめれば、六月。そのくらいには終わると思っていた。五月の終わりに、これをまとめ終わったら、インターネット上のブログは、消すのはもったいないけれど、なにかしらすると思う、と書いている。


4月25日からまとめ始めた。ホームステイ週間とか言われたそのはじめの日だ。


ブログは、途中までまとめていた。20111月〜7月。そこで止まっていた。20111月に一度それまでのブログを本にまとめた時、次にまとめる時に大変にならないよう、少しずつまとめておこうと思った。だけどそれが、雪下くんとの出会いのところで止まっていた。象徴的だった。この時もう、なにかが自分の中で、狂いはじめていたんだろうな。いや、はじめから狂っていたのかもしれない。

放ったらかしの十年分のブログ記事をまとめることは、いや、まとめようとすること、それに取り掛かろうとすることは、容易ではなかった。毎日こつこつ、七時半に起きて、九時九時半には始めて、午前中に作業をした。


ブログのまとめは、途中ごきぶりに邪魔されたり机や椅子を買ったりして、628に一旦終わっている。そうだこの時、いや四月からまとめ始めて途中で、この量だと、もしすべて印刷したとしたら、分厚い電話帳八冊くらいになるだろうと気づき、ちょっと無理だなと思い、一旦印刷することはあきらめていた。 

 

2013年ごろからiPhoneを手に入れ、ブログを書くため用に使いはじめて以来、写真を撮りまくって載せまくっていたので、写真が大量にあり、まとめるのがとても大変だった。許せなかった。本当に大変だった。

そもそも、はじめは、突然ブログを書かなくなった2014までをまとめたいと思っていた。それは62に終わっている。だけどそのあともまとめ続け、6202019年までの本文が終わり、そのあと目次を作り始めた。

目次を二段組にしていたが、一日分をいかに一行におさめるかがとても大変だった。あんなことは二度とやりたくない。文字の大きさとか行間とか余白の設定とか調整した。もう思い出したくない。次やるなら変なこだわりを捨てて適当にやってほしい。全部終わったのが628だ。ここまでは、まだまともだった。


629に、ブログではなく、今度は過去のツイッターを見た。見なければよかったのに。莫大な量があった。ブログには書いていないけどツイッターで投稿していた時期もあったから、こちらも残しておきたいと思い、73から、ツイログからコピーして、Wordに文章を貼り付けていく作業を始めた。


まとめるのではなく、ただ貼り付けた。これも、毎日こつこつやった。820に一旦終わっている。そのあと106に久しぶりにパソコンを開くまで、ブログもツイッターのまとめも、それ以上手を付けなかった。

製本したらどのくらい費用がかかるか調べたら、2万くらいで出来そうだった。高いなと思ったけど、2万円で自分の心が整理できるのなら、それで自分の気が済むのなら、別にいいなと思った。

実際に印刷しようと考えてデータを見てみたら、B5で作っていたはずが、A4の設定になっていた年があった。2010年と2011年。2010年のものはもう本にしているから手をつけなくてもいいのに、データを全部修正した。用紙のサイズ変更をしても本文は縮小されなくて、いちいち手作業でうまくまとまるように直していった。 

 

こういう、気を使う変な修正がとても大変だった。疲れすぎると動悸がしたりした。首と肩がこって、お腹が動悸がした。パソコン作業はなぜか本当に体がもたなくて、四月からはじめた時も、一日一時間くらいが限界だった。背中と腕が変な感じになって、両腕はすごくだるくなって、腰が痛くなり、手や指が腱鞘炎のようになり、午前中に作業をすると、午後は昼寝をしてしまった。寝ようと思って寝るわけではなくて、寝てしまったという感じだった。525に整形外科に行き、それからずっとリハビリを受けている。

58にノートパソコンにマウスを装着したら、作業効率が二倍になった。マウスの偉大さを痛感した。椅子を買った。513に椅子を組み立て、518に机を組み立てた。この、机と椅子が売り切ればかりで、探し回るのが本当に大変だった。そしてこの時、この、椅子を買った時、椅子の入っていた段ボールに飛び跳ねる虫が入っていて、ついでにごきぶりの卵もついていたようだ。最悪だ。この時期、毎日朝から出てくるごきぶりでノイローゼみたいになった。

体が痛いのは、タブレットで作業しているときはまだ大丈夫だった。首にタオルを巻くといいらしいと知って、これは夏か秋くらいからやっている。あと作業する時と寝る時は腕にアームウォーマーのような、本来は紫外線よけのものをつけている。

タブレットの時はましなので、パソコンのブルーライトで体が痛くなることもあるのかなと思い、ブルーライトカットシートを買おうと思いもう半年以上経った。


昨日、調べてみたら、パソコンの設定でブルーライトをカットできることが分かった。ナイトモードにすればいいだけだった。そんな些細なことさえ知らずにずっとやって来た。今日は数時間パソコン作業をしたけれど、いつもよりひどくならなかった。やはりブルーライトのせいだったんだろうか。目って大事だな。でももうすべての作業が終わろうとしている。

11
月に、ついにブログの印刷を始めた。すごいな。えらい。黒が多い写真は乾きにくい。いや、多分すぐ乾いているんだろうけど、一応広げて並べて数時間乾かした。雨の日は印刷しない。家が印刷工場みたいだった。プリンターは、丸いすの上に置いていたら落としたので、もう落とさないようにと床に置いて印刷していた。そうしたら腰が痛くなったので、しまっていた折り畳みの机を出して、その上に置いた。写真だらけのページもあり、この紙両面印刷用じゃないけど大丈夫かなと度々思った。 


112日から9日まで、朝起きてすぐプリンターの電源を入れるということが何度もあった。ちょっとおかしいんじゃないかとも思った。世界がくるくる回っていて、まっすぐ歩けないくらいぐらぐらしていた日があった。印刷してから、一日分、ブログがインターネット上のものから転記が抜けていたことに気づいた。無理しすぎて疲れているんだなと思った。

1192019年までの印刷が終わり、引き続き、発行情報なども作っていた。ライブの紙のフライヤーを入れてあるファイルを見て、それもまとめようと思い、小さくして印刷した。印刷したブログのチェックもした。ブログの中から思い出の写真を選んでまとめはじめたり、描いた絵もまとめ始めた。ちょっともうこんなことする必要なかったかもしれないし、キャパシティーを超えすぎていた。


この時、同時に、貼り付けただけのツイッターを、編集して二段組にきちんとまとめる作業も118からやっていた。 1114にパソコンがまったく動かなくて壊れたかと思ってバッテリーの再起動などしていた際、電源コードがつながっていないだけだと気づいた時、もうだめだと思った。休まなければいけなかった。だけど結局、一日だって完全に気を休めることができた日はなかった。



本当は、11月中に製本に持って行きたかったんだと思う。編集していた発行年月日が、20201120日と書いてある。だけど11月後半はブログなどの作業はしなかった。

ツイッターの方は、紙にするつもりはなかった。Wordに残せればいいかなと思っていた。莫大な量だった。特に2019年と2020年。死ぬほどあったのはこっちのほうだった。しかも、ブログのように内容がまとまっていない。ばらばらな文章が大量にある。ツイッターの文章はブログと違ってなんか気持ち悪い。あんまりじっと見るようなものじゃない。なんていうか、その時々のマイナスな感情の突発的な発露だし、消した投稿も多いけど、なんだか見ていて嫌な気持ちになる。特に昔のものは。

2018
年ごろから、自分が変化していくとともに、文章量が増えていった。そもそも、2019年までのまとめをしようとしているのに、その作業をしている2020年の投稿が一番多くて一番まとめるのが大変という理不尽な状態だった。ブログを書いていない分、全部ツイッターに書いてあるような感じだった。2020年は、ツイッターだけでブログ本一冊くらいになった。 


12
月は、11日にツイッターのまとめをしただけだった。


1月、2020年のブログを印刷したり、ブログの表紙と背表紙を印刷したり、ライブ記録の詳細をまとめたり印刷したりした。絵と写真のまとめも1月にやっと印刷した。

1
21日から、ツイッターのまとめも印刷しはじめた。はじめはツイッターは印刷するつもりはなかったが、もう全部出してしまえば楽になると思った。とにかく紙に出してしまいたくて、次の年を編集しながら印刷した。目次はブログと違い、ページ数や日時すら書かず、こだわらず適当にやった。最初の写真は、ツイッターの目次。


また、朝起きてすぐプリンターの電源を入れることがあった。123日の手帳に、体いたい無理するな、と書いてある。

1
月はたくさん作業をした。18日からはほとんど毎日作業していた。具合が悪くて一日なにも出来ないと、なにもできなかったことが嫌で、22時から作業したこともあった。吐き気がした。だめだと思う。


ツイッターの印刷は2019年までは28日で一旦終わったが、そのあと、ツイッターに載せていないけど、残しておきたい写真を見つけたり、プロフィール写真の変化をまとめたり、削除した投稿のスクリーンショットを載せたり、フォロー数の変化をまとめたり、こんな細かいこと絶対やらなくていいだろと思うようなことを、やらなくては気が済まない感じになってしまったのでやっていたが気持ち悪くなった。ここが一番だめだった。あとちょっとで終わるのに、あとちょっとが長かったし大変だった。整理できないかと思った。目も心も疲れた。お腹の調子が悪くて不思議だったが、変に頭を使う作業のしすぎのせいだったんだなと今は思う。

変になりそうだったので、一旦やめて、二月になってからやった。210日に目次を全部印刷して、表紙や背表紙も印刷した。エクセルの進捗表のまとめに入った。大変だった。



前書きを書こうと思ったけど、もう終わるのであとがきにした。あとは、作業の過程を写真で振り返るものをまとめて印刷したら終わる。早く製本に持っていきたい。本当は210日にキンコーズに行きたかった。

九年ぶりに、ブログをまとめる作業をした。十年分あった。10ヶ月近くかかった。まとめる気が少しでもあるなら、十年も放っておかないほうが絶対にいい。仕事やめてでも自分を振り返ったりまとめたりする時間を作った方が、この人の場合は絶対にいい。


ブログは10年分で1682ページ、ツイッターは381ページくらいになった。文字数は数えていないから分からない。ブログとツイッターを合わせても、分厚い電話帳8冊にはならなかった。3冊くらいかな。重さは5キロくらいかな。

十年経って気づいたことがある。十年前より消費税が上がって、製作費が高くなる気がしたが、紙とインクだけだと、十年前より安い。十年前は電気屋や文房具屋に行って直接買っていたが、今回は全部インターネットで買った。ポイントを使ったから安くなった。十年前はクレジットカードなんて持っていなかったと思うし、好きじゃなかったから、クレジットカードでこんなに買い物をするなんて想像ができなかった。ただブログを十年分まとめただけなのに、歴史を感じた。

あと、ブログではないもの、SNSの浸透で、一見、人とのつながりが簡単になったように見えるが、実際は、自分の場合は、ややこしくなったし、まとまりがなくなった。ツイッターに投稿したものを、内容ごとにまとめてブログに書けばよかったが、それをしなかったから、結局ばらばらのまま、なんだか自分までばらばらになった気がする。

ブログをまとめようと思ったのは、2014年、突然ブログを書かなくなった時、ツイッターのつながりを全部切った時、のあたりのことを、それまでのことを、知りたいと思ったからのような気がする。はじめの頃、ざっと目次だけ仮に印刷した時、2014年までと、2014年の途中からの断絶を見て、自分の心の、何かを感じた。

2020
年の年末に、ツイッターで人の狂った様子を見ているのが嫌で、それからあまりツイッターを見なくなった。一月からは、ライブをやった時や映画を観に行った時など、数えるほどしか投稿していない。ブログは、2019年からは、最低限の投稿しかしてない。

去年の秋ごろ、自分の言葉が、誰にも届かないような気がした。言葉とは、不特定多数の、誰も見ていないかもしれないツイッターやブログに書くよりも、興味を持ってくれたひとりのために書く言葉が、本当の言葉であるような気がした。

ああ、本当に、やっと終わるんだな。去年の四月から。長かったな。だけど終わったら、それはただ、紙にまとめただけで、これからはじめる作業の材料ができただけなんだ。これをもとに、また、はじめなくちゃいけない。まだ、時間がかかりそうだな。



211日の夜遅く、全部終わった。


これから、印刷所に行くよ。









                                          

 
長いです。

◆1月31日(日)三鷹おんがくのじかん
SHOWCASE.125
開場12:30/開演13:00/終演18:00
出入自由・料金自由+ドリンク代

北村優樹
優城貴子(13:40〜14:10)
yatara
サカイユウダイ
蒼伎敬
Daisuke Kazaoka
ざしきわらし

メルマガでは前々日の告知、ツイッターでは前日の告知にも関わらず見に来てくださった方ありがとうございました。

1納豆は好きですか 
2普通の人 
3蝶 
4強制的反省文 
5さよならパレード


2013年以来、7年ちょっとぶりの出演でした。前回はSHOWCASE.13だったので、今回125で、ものすごい年月が経ったんだなと思いました。

前回出演してからずっと、また出たいと思っていたのに、エントリーフォームを書くところまでは出来るのですが最後の送信ボタンが押せず、そんなことを何度も繰り返し、7年も経ってしまいました。今回は勇気を出して送信ボタンが押せたので、すごいと思います…。

6才の女の子にアイドルになれるよと言われて嬉しかったです。頭が良くてなんでも出来るとも言われました。あのライブで頭が良さそうな要素は何ひとつなかったと思いますが嬉しいです。

久しぶりにお会いできた方もいて、数年越しでもいらしてくださることが本当に嬉しかったです。そして、ゆうきさんの歌はゆうきさんだね、みたいな感じのことを言ってくださったので、自分ではこの一年の曲は以前とかなり変わったと思うのですが、自分の本質のようなものはやはり変わっていないのかなと思いました。

あと、強制的反省文が印象に残ったと言われて、時々言われるので、ああそうなんだ、と思いました。

三鷹は私の出身高校があり、昨日、高校の同級生が見に来てくれたのですが、私がライブをやっていることも知らず、見に来るのももちろんはじめてでした。舞台をやっていることは知ってたけど音楽は知らなかったと言っていましたが、むしろ舞台のほうが最近はレアなので、なんでだろうおかしいなと思いました。

それにしても、ピアノの演奏だけならまだしも、自分で作った、自分の気持ちを詩にした歌をかつての同級生の前で歌うなんてことは、正気の沙汰じゃないなと思いました。気が触れてないとできないことですね。この人こんなこと考えてるのかと思われるかと思うと恐ろしいです。

また3月に予定が合ったら出たいです。


自分のために、2013年の自分が書いたものを残しておきます。

・おんがくのじかん行き方

JR三鷹駅南口から徒歩3~4分。

南口を出てまっすぐ。
CORAL横のエスカレーターを降りて、ずっとまっすぐ。

途中、信号を渡り、もうひとつ信号を過ぎます。

右手に、赤い大きな看板の、薬tomod'sがあったら、その少し先、三鷹整骨院の地下です。

通り過ぎがちな入り口。


たぶん前も置いてあった本と、ぶどうジュース。


ライブ後、無善寺で何度かご一緒した蒼伎敬さんと初めてちゃんと少しお話をしました。店長の菊池さんとも、ちょっとお話と相談をしました。とても丁寧に色々教えてくれました。なかなか思い切れなかった話が出来たことが嬉しかったです。


夜、11月以来ずっと気になっていた場所に行くことができました。去年の夏、ずっとひとりでつらかったけど、そこの人たちは皆、真っ当でやさしかった。昨日、つないでくれた人がいて、心配していてくれた人がいて、話してくれた人がいて、偶然にも出会ってくれた人がいて、ありがとうこざいました。

「心の準備は大丈夫ですか」と言われてからある飲食店に入る時、まさに乗り込むという言葉が相応しかったし、入った時の自分への反応や、その後も、最後みんなと別れる時まで、なんかもうドラマみたいな感じでした。

その時のことは、刺激的すぎて疲れすぎて、今日朝から久しぶりにとても具合が悪く、まだやり残したことがあるのにと本気で思いました。いまだに足腰が立たなくて震えるような感じで、今日はもうあきらめました。



孤高に見えた。そうか。そんなつもりはないのにな、ひとりになりたくてなってるわけじゃないのにな。私は、みんな、そちら側の人間に見えた。でも、そういうわけでもなかった。

「貴子さんは、誰も傷つけない選択をしたと思います」「ずっと、会ってみたかった」「一方的な話しか聞いてないから、本当のことや詳しいことはよく分からなくて」「音を聞いて、自分をしっかり持っている人だと思いました」

こう言ってくれた人がいて、その人に最初会った時の印象には度肝を抜かれたのだけど、音を聞いただけで人が分かるというこの人も、すごい人なんだなと思いました。

「別の場所でも、みんなとつながれますから。共演できますよ」

ずっと、自分とは全然違うタイプの人かなと思っていたけど、その後その人のSNSに対する考えの文章を読んで、あ、なんだ、同じだ、と嬉しく思ったりしました。

昨日会った人たちと、またどこかで共演できたらいいなと思います。




ずっと、人とつながりたくてたまらなかった。
ずっと、人とつながることが怖くてたまらなかった。

2014年にツイッターですべての人とのつながりを切ってから去年の10月まで、わたしはずっと、誰ともつながらず、活動をしてきました。


昨日、まるで水を渡すように、会った人とその場でつながることが出来ました。不思議でした。