「猫 (ねこ) と 祆教」 その1
海の向こう側から、
船に乗って、
「中国人」がやって来ました。
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(・・? ここで1度、
中国人 を imagine / 想像して見る。
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現代の人々は「中国人」というと『アグネスチャン / 東方の人』を想像します。
⇔ ところが、
古代の人々は違いました。
古代の人々は「中国人」というと『胡人 / 西方の人』を想像したと思います。*当時、西域の人々は「胡人」とも呼ばれていました。胡麻、胡椒、胡弓など‥
むかし、中国政府は「内政」をする人々と『外交』をする人々の姿 (ミタメ) がかなり違いました。
今の中国は、8割ほど‥ 漢民族が住んでいると云われていますが、その漢民族も多種多様です。
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中国島を支配 (統一) した国は、秦 → 漢 →隋 → 唐→‥ →‥ → 宋 → 元 → 明 → 清 → 中華民国 → 中華人民共和国 ‥ と、何度か遷都し、政権交代をしています。
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そのうち 元 (蒙古族) を除く国は、すべて漢民族になっていますが、本来は違いました。例えば、北方の清は満州族でしたが後ほど漢民族に同化しました。そのほか、西方の秦、南方の呉など‥ 今では漢民族になっていますが、本来は違いました。
中央の漢民族が持つ中華思想には、中華の源 (みなもと) → 中原の夏 (か / 華) から「はみ出た」→ 東夷 (とうい)、北狄 (ほくてき)、西戎 (せいじゅう)、南蛮 (なんばん) という4つの夷国 (鬼の国) という考えがありました。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%80%9D%E6%83%B3
とても信じられないお話ですが、
中国の中央集権体制を維持する『冊封体制』という制度は、中央 → 中心から「はみ出た」4つの夷国 (鬼の国) / 地方の国群が「外交」を行い ⇔ 中央の漢民族は「内政」を行いました。*初めて中国を統一した「秦」は西戎 (せいじゅう) = 夷国 (鬼の国) / 異民族に分類され、その後、中央の漢民族に同化しています。
ついつい、今の中国人、今の政治家など‥ 思い浮かんできます。今と昔と、中国の政治家、特に外交官は ミタメ が違いました。
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1368年
中国政府は、元 (蒙古族) ~ 明 (漢民族) へと政権交代します。
初代 明の太祖・朱元璋 (後の洪武帝) は、農民出身ため、内政 (農制など‥ ) に力を入れ ⇔ 外交は周辺国 (家臣となった国群) に限り、唐 (古政府) の時代の『冊封体制 (外交政策) 』を復活させました。
南方から起きた「明 (新政府) 」と北方生まれの「唐 (古政府) 」とで、冊封した国群 (外交を行う人々) の様子が違っていました。
「明」が冊封した国群は、朝鮮、安南 (ベトナム)、琉球、シャム (タイ)、チベット、ビルマ、マラッカ (マレーシア) など‥ 4つの夷国 (鬼の国) のうち、東夷 、南蛮が主に外交を行っていました。
古い「冊封体制」は西の人 ⇔ 新しい『冊封体制』は東の人 が主に朝貢 / 貿易をしていました。 同時に、朝貢国に接する中国側の外交官 (通訳など‥ ) も 前半 (西の人) と後半 (東の人) とで ミタメ が違っていました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12014390041.html
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内容は複雑していますが、
今と昔と、中国の政治家、特に外交官は ミタメ が違う。 と事をインプットして「猫 (ねこ) と祆教」について考えて見ました。
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もともと、
日本に猫 (ねこ) はいなかった。
http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12181318081.html ところが、ある事をキッカケに猫 (ねこ) が日本にやって来ました。
6世紀ころ、印度 → 中国 → 朝鮮半島の百済を経て 正式に 仏教が日本にやって来たと云われています。
その時、日本に 正式に 仏教を持ち込んだのは蘇我氏でした。ところが、日本へ初めて来た仏様 (仏像) は難波の川に棄てられていました。
http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12061956750.html 日本への 「仏教」 の導入 / 賛否を巡る 物部氏と蘇我氏 による『崇仏廃仏論争』をしていました。
そのとき棄てられた仏様 (仏像) は『阿弥陀様』でした。
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ここから先、
「都市伝説」のような お話と おもう人もいると思いますが、蘇我氏が持ち込んだ仏教には祆教 (ゾロアスター教) が隠れていました。
*松本清張氏も そのような説を唱えています。
例えば、
江戸時代の隠れキリシタン (キリスト教徒) は仏教の「観音さま」を『マリア様』と見立てて秘かに信仰していました。
もしかすると?
初めて仏教を持ち込んだ蘇我氏も仏教の「阿弥陀様」を 祆教 (ゾロアスター教) の最高神・アフラ マズダ →『光明』と見立てて秘かに信仰していた人々が古代の日本にも来ていたのでは?‥ と可能性があります。
蘇我氏の拠点は大和の明日香 (あすか / 飛鳥) でした。
http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12010501047.html 大和の明日香 (あすか / 飛鳥) には、ペルシア系中国人 (胡人) の足跡が数多く見られます。
大和の明日香 (あすか / 飛鳥) には、ペルシア系中国人に似た石像があり、彼らは仏教の中に隠れた祆教 (ゾロアスター教) の信徒であったかもしれません。
一説によると、
仏教の阿弥陀信仰や弥勒信仰は 「ミトラ神 / ミトラス教」 の変形だと云われています。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12017637610.html
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/唐代三夷教
西方起源 (古代ローマから) の「三夷教」と呼ばれた明教 (マニ教) 、祆教 (ゾロアスター教) 、景教 (ネストリウス派キリスト教) 、3つは中国の古い信仰で「三夷教 /3つ信仰」 すべてに ミトラ神 / ミトラス教 が隠れていたと云われ、ミトラス教 は各宗教に隠れながらも 東西南北 さまざまな形態、伝路により仏教の中の弥勒信仰や阿弥陀信仰にも通じていました。
ー(・・? ー・ー
前述、 明 (新政府) の太祖・朱元璋 は、唐 (古政府) の時代の『冊封体制 (外交政策) 』を復活させた。とありますが、朱元璋 は白蓮教徒でした。
白蓮教とは、
さいしょ 念仏を唱える阿弥陀信仰であったが、やがて弥勒信仰を加え、後ほどペルシアから伝わったマニ教 (明教) と混合した。*明教 (マニ教) は 祆教 (ゾロアスター教) から派生している。
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古代の日本にやって来た中国人 (外交官) は、西の人 / 胡人 (ペルシア系中国人) が多かった。そして、胡人 (ペルシア系中国人) は仏教 (阿弥陀信仰) の中に隠れた祆教 (ゾロアスター教) の信徒が多かった。と、インプットして見ると?‥
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あの時、
http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12181318081.html 仏教とともにやって来た 猫 (ねこ) は、ペルシア系の猫 (ねこ) であった可能性も? 考えられます。
ペルシア系の猫 (ねこ)
*ペルシャネコではない
ペルシャネコは14世紀頃?生まれ、
ペルシア系の猫 (ねこ) は6世紀頃、仏教とともに日本にやって来た? かもしれません。
江戸時代の隠れキリシタンならぬ、古代の隠れ 祆教 (ゾロアスター教) の信徒が仏教のふりして?‥
⇔ 一方、
んなわけない
‥ と、異論もあります。