第 38回 『もう説』の東アジア史 (西の人 と 東の人) | お試しブログ

第 38回 『もう説』の東アジア史 (西の人 と 東の人)

1368年
中国島では、元 (蒙古族) ~ 明 (漢民族) へと政権交代しました。

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明朝実録によると、
初代 明の太祖・朱元璋 (後の洪武帝) は、17代 元の皇帝・天元帝の次男である地保奴 (ティポヌ) を琉球へ島流し した‥ と、ある。

新たな政権である「明」は、古い政権であった「唐」の時代まで行われていた『冊封体制』を復活させました。

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中国島を支配 (統一) した国は、秦 → 漢 →隋 → 唐→‥ →‥ → 宋 (南朝) → 元 (北朝) → 明 (南朝) → 清 (北朝) → 中華民国 → 中華人民共和国 ‥ と、何度か遷都し、政権交代をしています。

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初代 明の太祖・朱元璋 (後の洪武帝) は、農民出身で白蓮教徒であった。

http://www.yk.rim.or.jp/~kimihira/yogo/04yogo08_1.htm

白蓮教とは、
さいしょ 念仏を唱える阿弥陀信仰であったが、やがて弥勒信仰を加え、唐代にはペルシアから伝わったマニ教 (明教) と混合した。*マニ教 (明教) は、ゾロアスター教から派生している。

白蓮教では、世界は「明と暗」の二宗あり、弥勒仏が下生 (現世に登場) して明宗が暗宗に勝利すれば極楽浄土が出現すると説く教えであった。このような「現世否定」⇔『来世願望』という救世主待望の教えは、現体制に不満を持つ民衆の心を引きつけ、しばしば農民反乱と結びついて大きな勢力となった。

時の政権 (朝廷) → 宋 (南朝) も元 (北朝) も危険な邪宗として取り締まった。しかし、元朝の末期にはその勢力は各地に拡大し、紅巾の乱 (白蓮教徒の反乱) へと発展した。そして、元朝を倒した白蓮教徒 (反乱軍) の隊長・朱元璋がそのまま「明」の初代 皇帝・洪武帝 (朱元璋) として即位していました。

言わば、「元 ~ 明」への政権交代の背景には宗教がありました。*実は‥ その前の「宋 ~ 元」への政権交代の背景にも宗教がありました。

中国も日本と同じく → 前の政治と後ろ祭祀 →「祭政一致」の国であったように思われます。


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東アジアの仏教について、
中国 → 朝鮮 → 日本へと伝わった仏教は、原始仏教の教え→「苦」ではなく ⇔ 道教の教え →『救』の色をしていた。*東アジアの仏教 ≒ ほぼ道教の色をしていた。

道教 (修験道 / 山岳信仰) は、非常に間口が広く、仏教、景教、ゾロアスター教、マニ教、神道、儒教など‥ さまざま複数の信仰を吸収する宗教であった。

中国では、儒教 (政治と学門)道教 (祭祀と生活) ‥ という役割があり、儒教は倹約家 / きつい / 分離 道教は欲張り / ゆるい / 吸収 に通じ、儒教は宗教というより学門の色をし、マジメで合理主義 ⇔ 道教は神話的、ゆとり、非合理的で宗教というより生活の色をしていた。

儒教は科挙など‥ 国家公務員の?‥ 用いられ、

道教吸収する宗教であり、仏教のようで景教など‥ 数多くの宗教が吸収されていましたが、 あまりにも複数信仰を吸収していたので、逆に宗教という意識は薄れ、生活習慣の1つであったようです。

例えば、日本の真言宗も仏教に分類されてあるけど、儒教、密教 (ひみつ景教) など‥ 複数の信仰を含み 日本の仏教 ≒ ほぼ道教の色をしていました。

合理的で白黒ハッキリさせる「儒教」の色が強くなると、廃仏棄釈など‥ 分離に通じ ⇔ 非合理的であいまいな『道教』は「儒教」をも吸収していました。 *どちらが正しいと事はなく、儒教は分離 ⇔ 道教は吸収の特徴を持ち、東アジアの『仏教』は「儒教と道教」の二面性を持っていました。

宋 (南朝) ~ 元 (北朝) に政権交代する前に、中国で廃仏棄釈運動が起き、 元 (北朝) ~ 明 (南朝) に政権交代した後、朝鮮で廃仏棄釈運動が起き、明 (南朝) ~ 清 (北朝) に政権交代した時 → 中国から亡命して来た朱舜水 (儒家)の影響により、江戸幕府 (藤原北家 / 北朝) ~ 明治政府 (藤原式家 / 南朝) に政権交代した時に、日本で 廃仏棄釈運動が起きていました。

中国 → 朝鮮 → 日本で起きた「廃仏棄釈」の根は同じ朱子学 (儒教の1種) 影響がありました。*日本古来の信仰形態は神道 という説は事実ではなく ⇔ 政治色 (儒教色) をしている。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11989270636.html

儒教は学門道教は生活

儒教は合理的道教は非合理的

儒教はマジメ (きつい) 道教は不真面目 (ゆとり)

儒教は短命 道教は長生き

儒教は分離道教は吸収

儒教は改革道教は癒着

儒教は政治道教は祭祀色

東アジアの仏教』は「儒教道教」の2つ色をしていました。

政権交代する時は政治色 (分離 / 儒教色) が強くなり ⇔ 祭祀色 (吸収 / 道教色) が強くなると権力との癒着が強くなる傾向があったようです。*どちらが正しいと事はなく、東アジアの『仏教』は「儒教と道教」の二面性を持ち、原始仏教の「苦」ではなく ⇔『救』になっていた。


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宗教の説明は長くなりましたが、
明の初代・朱元璋は、白蓮教徒であったが、その事は秘密 (ひみつ) にし、白蓮教を連想する文字の使用を禁じました。

朱元璋は農民出身だので、内政 (農制など‥ )に力を入れ ⇔ 外交は周辺国 (家臣となった国群) に限り漢 ~ 唐まで続いた『冊封体制』を復活させました。

冊封体制とは、
中原の国から「はみ出た」→ 東夷 、北狄、西戎、南蛮という4つの夷国 (鬼の国) であっても、明が中国 (中心の国) である事を認めた国群に対して「朝貢 / 貿易」を行う。そして、明の家臣となった国群が他国に攻められた場合は、明が援軍を送る → 軍事同盟を結ぶ‥ と、いう制度でした。

明と冊封した国群 (家臣となった国群) の内政干渉せづ、絹製品、陶磁器など‥ 数多くの貿易品を得る事ができる反面 ⇔ 形式上は独立国とは言え、事実上は明の従属国という空気が流れていました。

言わば、昔の「冊封体制」とは「世界の中心」⇔ 今の『安保体制』とは『世界の警察』→ 昔は中国が中国 (冊封体制) ⇔ 今は米国が中国 (安保体制)‥ ような役割をしています。


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「明」は「唐」の時代まで行われていた「冊封体制」を復活させていましたが、南方から起きた「明」と北方生まれの「唐」とで、冊封した国群の様子が違っていました。


「明」が冊封した国群は、朝鮮、安南 (ベトナム)、琉球、シャム (タイ)、チベット、ビルマ、マラッカ (マレーシア) など‥ 4つの夷国 (鬼の国) のうち、東夷 、南蛮が主に外交を行っていました。



古い政権 →「漢、隋、唐」が冊封した国群は、4つの夷国 (鬼の国) のうち、北狄、西戎が主に外交を行っていたように思われます。

古い「冊封体制」は西の人 ⇔ 新しい『冊封体制』は東の人 が主に朝貢 / 貿易をしていました。 同時に、朝貢国に接する中国側の外交官 (通訳など‥ ) も 前半 (西の人) と後半 (東の人) とで ミタメ が違っていました。

例えば、奈良の東大寺・大仏建立時に来日した景教の宣教師・李密医 (り みつい) は、ペルシア系中国人 (西の人) でした。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11348308860.html  そして、遣隋使、遣唐使、平安時代の弘法大師・空海も 東方キリスト教の聖地・長安を訪れています。*東方キリスト教の聖地・長安は『西方』にありました。


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さいしょ、明の都は南京、3代・永楽帝 (成祖) の時代に都を北京に移した。 そして、3代・永楽帝は、外交に力を入れるようになった。

明の初代・朱元璋は「内政」に力を入れていましたが ⇔ 3代・永楽帝は『外交』に力を入れるようになった。

「内政」に力を入れると、国の体制維持はできるが発展は難しく ⇔『外交』に力を入れると、国は発展するも政権交代に通づ可能性がありました。

そこで、3代・永楽帝が利用した勢力は、前王朝・元の時代から採用されていた「宦官」と呼ばれる人々でした。

宦官 (かんがん) とは、
「明」の前の王朝である「元」の時代に貿易を担当していた人々で、後宮 (祭祀を行う) に勤めるために去勢された役人の事で、明の時代に ペルシア系中国人 (西の人) が 「宦官」になる傾向がありました。

しだいに彼らは権力を持つようになり、明朝の宮廷では、前の政治は『儒家』⇔ 後ろ祭祀は「宦官」という勢力争いを展開して行くようになります。

『儒家』は内政重視 ⇔ 「宦官」は外交重視‥ し、対立していた。

とりわけ、明朝 3代・永楽帝の時代は、「宦官」たち ペルシア系中国人が活躍し、中でも『鄭和』の艦隊は世界地図を作成し、地球一周をするほどの大航海、外交貿易をしていました。 *鄭和もペルシア系中国人で、マゼランよりも前に地球一周をしていたと云われています。


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明朝 3代・永楽帝が亡くなると、
「宦官」の権力は衰退し ⇔『儒家』の権力が増し → 外交よりも < 内政に重きを置くようになります。

田中宇氏によると、

再び、明朝が内政重視して間、むかし外交重視していた 『鄭和』の艦隊が作成していた「世界地図」は、西洋島に渡りました。しだいに、西洋人 / 欧州人が世界支配を画策し続ける発端の1つになったといいます。


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欧州の中でも、後半から英国が勢力を増し、インドに「東インド会社」を設置していました。

実は‥ その インドには、ペルシアから来たゾロアスター教徒が細ほそ住んでいました。

彼らは、石造りを得意としていました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12010501047.html


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前述 ー・→

白蓮教とは、さいしょ 念仏を唱える阿弥陀信仰であったが、やがて弥勒信仰を加え、唐代にはペルシアから伝わったマニ教 (明教) と混合した。*マニ教 (明教) は、ゾロアスター教から派生している。

←・ー と、載せていましたが、



久慈力氏によると、
弥勒 (ミロク) 菩薩は、サンスクリット語で 弥勒 (マイトレーヤ) を意味し、ギリシャ語ではクリストス 、英語ではキリストで、弥勒信仰においては、救世主が復活して民を救済するというキリスト教的な信仰が、仏教に混合し、あるいはゾロアスター教のミトラ神が仏教に混合して弥勒信仰」が生まれていると考えているようです。

「弥勒信仰」は三位一体?‥
仏教徒の弥勒菩薩は釈迦、景教徒の弥勒菩薩はキリスト、ゾロアスター教徒の弥勒菩薩はミトラ神となって シルクロードを歩いて来た?‥ と、


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明の初代・朱元璋は、白蓮教徒であったが、その事は秘密 (ひみつ) にし、白蓮教を連想する文字の使用を禁じました。

朱元璋は農民出身だので、内政 (農制など‥ )に力を入れ ⇔ 外交は周辺国 (家臣となった国群) に限り漢 ~ 唐まで続いた『冊封体制』を復活させました。


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確か?‥

フリーメイソンの源 (みなもと) は、

石工職人?‥


夜の街 ぐぅぐぅ 流れ星


違うけど同じ?‥

同じけど違う?‥

やはり、箱を開けると‥