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バチあたり解散LIVEについて

ブログのほうはかなりご無沙汰しておりましたあせる

既にオフィシャルでもご報告させて頂いておりますが、和太鼓ユニット バチあたりは今年11月までの活動をもって、解散することとなりました。

2009年の結成から、新しい太鼓スタイルの提示を目標に活動を続けてまいりました。
その過程では、同じ志を持ったメンバーが増えていったり、舞台上での事と運営的な事を担うブレーンを交代してアプローチを変えてみたりと、色々な試行錯誤を繰り返しながらバチあたりというものを作ってきました。

そんな中、メンバーそれぞれの個人的な活動機会も広がっていき、また、太鼓界においてはだんだんと中堅クラスを担うようなメンバーも増えてきて、今後の在り方をこれまでよりも更に具体的に考えた結果、これからはメンバーそれぞれが太鼓界において持つべき責任というものを個別にしっかりと請け負っていくために、今の”バチあたり”という形からは卒業しようと、これが解散を決めた一番の理由です。

これからのバチあたりというものを楽しみに応援し続けてくださっている皆様には大変申し訳のない決断だと思っています。
皆様の応援があってこそ、これまでこの形を継続してこられたことは、感謝の念が絶えません。
しかし今回の決断は、この太鼓界でメンバーそれぞれが更に飛躍していくために、どうしても必要なことでした。
どうかご理解頂いた上で、今後の私たちのこともご支援頂ければ幸いです。


また、こちらもオフィシャルの報告にありますが、解散LIVEについての変更事項のご報告をさせて頂きます。
当初の予定では最後のLIVEを開催するにあたって、これまで活動休止させて頂いていた間瀬勇大、そして最近ではサポートにまわっていた私含め、5人全員揃っての出演を考えており、皆様にもその予定でお知らせさせて頂きました。

しかし、期日も近づいてきて、いざ最後のLIVE内容の方向性を協議した結果、解散LIVEは近年の核となっている峰岸哲/大川真史/本山游平の3人の出演により開催させて頂くことをご報告させて頂きます。

バチあたりの初期では、私が主に舞台の構成演出を務め、楽曲も自分のものをメインに使用して演奏活動を行ってきました。
しかし近年ではそのポストを交代して、新しいバチあたりとして活動をしてきた経緯もあり、どこを焦点に解散LIVEを行うかが今回の私たちの議題でした。

そんな中、様々な意見をすり合わせた結果「近年創り上げてきたバチあたり」という形のまま終わりたい!という核メンバー3人の熱い意向を受け止め、解散LIVEの出演はそのメンバーのみという形に変更を決めた次第です。

自分自身にはもちろん自分なりのバチあたりへの想いがあり、最後に向けての取りたい形というのもありますが、それはもちろん人数がいれば人数分だけその想いは存在します。

違う信念をぶつけ合う場合、とことんまでその信念を出し合う必要があります。
そしてお互いに出し切った先に、どの方向に進むべきかが見えてきます。
そうすることで、相手の信念を信じることができ、それを自分の信念と置き換えて同じ方向を向くことができる、自分はずいぶん長いことそう考えて生きてきました。

今回の協議ではそれができたと思っています。
だからこそ、3人のその想いを受け止めて、この変更事項に賛同した次第です。

私個人として解散LIVEに出演しないということは、先日の成増アクトホールでの公演が、バチあたりとしての最後の出演という形になりました。

解散LIVE、私も含め5名での出演を楽しみにしてくださっていた皆様には重ねて申し訳ありませんが、今回の出演者変更、何卒ご理解頂けますようお願いいたします。

最後になりますが、これまでバチあたりとしての石塚由有を応援頂いた皆様、本当にありがとうございました。
皆様にはこれまでたくさんのエネルギーを頂きました。
そして勉強をたくさんさせて頂きました。
いつでも、その瞬間の自分があるのは皆様のおかげだと感謝しております。

今では個人の活動とともに、indra-因陀羅-というプロジェクトも動きだしてきています。
今回の決断を機会に、また今後も活動を飛躍させていきたいと思いますので、どうぞこれからも応援よろしくお願いいたします。

2014年7月16日  
石塚由有

「因陀羅 流儀-indra style-」山梨公演/中止・延期のお知らせ

明日2月16日、桜座で予定されていた「因陀羅 流儀 -indra style-」山梨公演は、この度の大雪による交通状況の乱れもあり、お客様の安全を第一に考慮し、中止・延期を決定いたしました。

振替公演の日程はまた後日、ホームページやFBにてお知らせさせて頂きます。

なお、お支払い頂いたチケット代金の返金手続きを行います。
お申込頂いた皆様には順次ご連絡させて頂きますので今しばらくお待ちください。

今回のライブを楽しみにしてくださった皆様には大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご理解頂けますよう、よろしくお願いいたします。

深夜?早朝?の雑感

自分らしさ
個性

って何?


何にしろ、自分が生きていく中で「これが自分の武器」とか「これが自分の在り方•性格」とか、それを思えるのは全然いい事だとは思うんだけども。

でもそれは、それを世間が認めてくれてたり、それによって周囲に良い影響をもたらしてたり、そういう何がしかの実績が自他ともに在ってこそだとも思う。

そうやって、周囲に良い刺激や影響を与えられる、自分の能力•性格•その他諸々、それをちゃんと自覚できてこその「自分らしさ」なんじゃなかろか。


個性って?
個別の性質?(笑)

そりゃ、人間違えば違うだろうなニコニコ

だけどオレは思うに、個性って自分自身の中に創り上げるもんなんじゃないのかな。

違う言い方すれば、自分の中に創り上げる努力をしていないものは、個性とは言わない、と。(乱暴な言い方かもしれないけど)

個性はあっていい。
その主張が自分を輝かせるものだし。

そしてその個性がそれぞれあるからこそ、
人は皆、己以外の人間を必要として、その輝くエネルギーに良い刺激や影響を与えてもらえる。


あー、だんだん何言ってんのかわからなくなってきたけど


とにかく
自分らしさ
個性

というものは、人が違えば違うんだから、違くていいじゃん、という主張から来るものではなく、

もっと確実に
自分はこれが武器だから、とか
自分のこういう性格から来る言動•行動が人に良い影響を与える、とか

何がしか自分自身が信じられる、自分自身の力を自覚してこそ主張できるものであってほしいなー


これが好きとか嫌いとか

それ自体を判別してるのも自分自身


こういう性格でありたいな、とか
こういうことをできる人間でありたいな、とか

全てゼロから自分の中から湧き出させて自分らしさを形成してる人間って、この世にいないと思うんだよね。

誰かみたいな、ああいう性格の人間でありたいとか

誰かみたいな能力を自分もできるようになりたいとか

もっとも単純なところでは、それを好き嫌いで判断していると思うけど、少なくとも、その瞬間には自分じゃない人の影響を受けて、感銘を受けて、それを自分自身に反映させてる

そしてそれを自分自身の武器にしたり、自分の言動や行動にかえていってる


それは、自分自身が他人に与えられたものを踏襲して、自分自身としている作業


そうやって確信を持っていったものが、自分らしさなんじゃなかろか

この作業を経た上で、インプットする個体が違うから、同じつもりでもアウトプットが少し違う

その個体のエッセンスが加わる

これが個性なんじゃなかろか


なので、オレの結論としては
その作業を何もしてない内は
自分らしさも
個性も
ない、と。

何も踏襲しない内に
オレはこうだから、とか
そんなこと言ったら何も始まらない

逆に言うと
踏襲する作業を自覚している人は
踏襲している人を否定しない

そういう作業が、色んなことを生み出す力があることを理解しているから

あー、これは芸の世界にも言えるなー


というか、そういう作業をして
自分らしさや個性を
ちゃんと自分自身に創り上げてる人は
そんな主張することもないし、
その主張が必要な場所にはいないんだよね、よく見ると。

自分らしさをちゃんと自覚してるから、自分が必要な場所、いるべき場所をちゃんと理解してる。

これと逆に、この作業をしていない「個別の性質」な理解の人間は、いるべき場所さえ見極められず、どこへ行っても「自分はこうだから」ばかり口にしてる気がする。

本当は、そんなこと主張しなくても、そういう自分創りをしてれば、お互いに認め合える場所にいられると思うんだけどな。


とかなんとか言いながら
自分の胸に手を当てて考える
早朝。