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2012-02-22 03:29:28

龍田川・紅葉

テーマ:Diary...
ついに…

念願のMy小鼓を購入しましたクラッカー

江戸時代に造られたといわれるこのMy小鼓は
一体これまで何人の演奏家の手に触れてきたんだろう。

長い長い年月を経て
2012年現在、オレのところにいます。

これから一生、どうぞよろしくお願いします馬

-Punkline@r Gori-太鼓奏者【石塚由有】
-Punkline@r Gori-太鼓奏者【石塚由有】
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2012-02-21 03:36:27

リハと稽古と練習と

テーマ:Diary...
電話帳消失騒動、皆様ご連絡ありがとうございますニコニコ
だいぶ復旧してきましたが、いまだ完全復旧には至らず………あせる

まぁ、こういうことがあって、人間色々学ぶ機会もあるのだなと目


さてさて、今日のお題。
リハと稽古と練習と。。。
常々自分でははっきりと使い分けてるものなんだけど
自分としてはある意味勝手に定義づけてるところがあります。

辞書で言葉の意味をひいたり、ネットで「◯◯ 定義(意味)」等を調べると
さほど違いはないんだけど、こういう業界の活動の中で
「今日は◯◯の練習日」
「今日はあのライブに向けてのリハーサル」
「今日は◯◯の稽古」
自分としてはその場に参加するにあたって、この単語の違いで
事前準備やその場に対する意識の違いがある。

そうやってその場の位置づけを自分の中ではっきりすることで
そこに向かうための感覚的なものが変わってくるし
迷いが無い分、その「場」で吸収できるはずのものを
最大限、自分の中で消化できる。
…と、昔から自分は思っていて、そういう積み重ねをしてきたつもり。

「稽古」という言葉は
「古(いにしえ)」を「稽(かんがえる)」という意味がある。
これは、先人の方達が創り上げたものを理想像と捉え、そこにたどり着くにはどうしたらよいかと
己を磨くこと。
または直接、その先人の方から、その理想像に向かって必要な要素を教わる・盗むことができる場。
以上の定義から、オレが「稽古」という場に考えるものは
何か普遍的な「目指すべきもの・到達すべきもの」がある環境で、そこに向かい
自分自身の我を捨て、その辿り着くべき理想に身を委ねて己を形成していくことだと考えている。

「練習」という言葉は
これはオレの勝手な解釈だが、「習(ならったこと・ならいながら)」を「練(ねる)」場だと考えている。
先人の方達が創り上げた・または自分より水準の高いものが存在することを前提としている点では
「稽古」することと意味に大差はないかもしれないが、
「練る」という点がオレ的にミソであり、絶対的なものに対して、自分自身のエッセンスが加わる
余地がある場だと考えている。
習ったことを自分自身のものにしようとしている内は「稽古」とかわりないが、
その時間をその辿り着くべき理想像と過ごしている中で、新しい発見が生まれることが多々ある。
これがいわゆる「練習」の成果なんじゃないのかな。
または同じ題材を「習った」複数の人間と「練習」することで、色々な感覚が混ざり合って
その「練習」の場を共有した人間同士の間で生まれるひとつの新しい達成地点。
こういう在り方が許される場所が「練習」なのだと考えている。

「リハーサル」という言葉は
日本語訳で多く出現するのが「通し稽古」だ。
これはかなり広い意味で使われていて、ひとつの舞台を創り上げている様々なシーン・要素を
全て通して、本番と同じ進行でやる稽古であったり、
またはもっと短い範囲の中で、例えば曲のパーツごとに稽古や練習を重ね、最終的に一曲として
つなげ、本番でやる最終的な形を最後の稽古・練習とすることもリハーサルという。
「リハーサル」と言っている時点で日本語でないので、「稽古」や「練習」と比較するのもおかしな
話だが、現代の日常では広く使われる言葉なので、オレはその辺りにも勝手にこだわりを持ってる。
「稽古」という言葉が生まれたその昔、いわゆるゲネプロや、本番直前の全編を流す稽古・練習のことをその当時なんと言っていたかは知らないが、
オレが思う「リハーサル」とは
これからあるその本番に向けて、必要なパーツの確認をしたり、または必要になった新しいパーツを提示しあったり、最終的な段取り確認をする場であると考える。
ということは、オレが思う「稽古」でもなければ「練習」でもなく、そこに参加する各々が、各々の時間の中で「稽古」「練習」を重ね続けてきたものを持ち寄り、その最低水準をクリアしたものをパーツとして、本番に向けて組み立てする場だと考えている。

現代社会の中で、この3つのワードはほとんど差のない感覚で認識されていると思う。
というか、その言葉の違いでニュアンスをここまで変えて感じなくてもいいんじゃないかと。
そう思う人もたくさんいると思う。
どの言葉でその場を表現したって、大枠では、やることは変わりないのだから。

ただ、その場に携わる必要のあることを仕事とし、それを専門の分野としてやっている人間である以上、本来その場に求められている「核」の部分に認識の差・温度差があることは時間の無駄であると
オレは考えてる。
最終的に辿り着きたい場所が高いところにあるのは皆一緒。
昇り続けようと思ったら終わりがないのはわかっているのだから、
それならば、今この瞬間、できるだけ高いところから始めたい。
それには、そういう自分を創り続ける必要があるし、そういう自分を創り上げるには
その場をどういう種類の感覚ひとつにしぼって時間を過ごすか、見極める・狙いを定め続ける必要が
あると思う。
意識の持ち方ひとつで、その場のその時間は、何にも変えられない価値ある時間にもなり、
特に変化のない、なんでもない時間にもなる。

どう考えたって、人間1人に与えられた時間は限られてるんだから
それなら価値ある時間だけを過ごしたいと思うじゃん。
時には寄り道することも必要だという考えもあるけれど、
楽しくも苦しくも価値ある時間にできるかどうかは最終的には自分次第。
芸の世界に生きると決めた自分が、できるだけ価値ある時間を過ごし続けるために
例えばこの3つの言葉とその場を、こういう風に定義して生きています。


…という話でしたニコニコ
2012-02-20 01:21:53

…が。。。電話帳が…。。。

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携帯電話の電話帳が…………叫び



今日は昼から鳩山へ車
今後の鼓韻の会についてのミーティング後、練習会場である町民体育館へ。

練習開始前に携帯イジったのが最後かな。
こん時は何も異常なし。
それからの練習中はずっとバッグの中に入れっぱなし。

練習終わり夜帰宅。

バッグから携帯出したら電源切れてた。

朝は充電満タンで、今日はほとんどさわってないから「あれ?」と思ったんだけど
とりあえず充電器差して電源ONひらめき電球

いつもの起動画面とは違う色々な表示が…
なんか嫌な予感が…


ひとしきり見た事無い画面が終わった後
いつもの待ち受け画面に変わったので、ホっとしたのもつかの間。

留守電とかないかチェックしようと電話画面にしたら………

電話帳が一件もねえええええええ

そしてさらにネットワークも不通状態でメールもできず。。。。


その後、試行錯誤の結果、ネットワークだけは復活したのだが
電話帳だけは復旧不可能ドクロ

機種の設定メニューに「本体メモリの初期化」というのがあるんだけど
もしなんかの間違いで(バッグの中で偶然が重なって)そのボタンがタッチされていたのなら
電話帳のみならず、画像やスケジュール、メモなんかの情報も全て消去される。

でも今回被害にあったのは電話帳と、アプリ等。
画像や他のデータは残っていたので、全く別の原因があるのかもしれない。

バックアップとってなかったのは悪いんだけど、かなり愕然としております汗
前の携帯から、ある程度は復旧できるんだけど、結構前のものなので古い情報しかわかりません…。
メアドや番号変わってる人もいるし、この携帯になってから入力した情報は無いしで
悲しみに明け暮れていますガーン

石塚由有の連絡先をご存知の皆様、大変申し訳ありませんが
皆様の連絡先を教えてくださいあせる
よろしくお願いしますダウン


あ”あ”ぁぁぁ……………叫び叫び叫び叫び叫び

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