さて、
函館日誌もその3となりましたが、
着いて
私の父方のまず
お墓参りに向かいました。
と書きましたが
正確には父のお墓は
横浜にあります。
母と別れ
再婚した父は
新たに横浜に居を構え
結局そこで亡くなってしまいました。
ですが、
函館はそれでも父の生まれ育った場所。
父の兄弟のお墓などは
そのまま函館にあります。
今回も
いつもお墓のお世話などを
してくださっている
父の妹(叔母ですね)
に会って仏壇にお参りしてきました。
仏壇には
父の写真と
小さい頃に亡くなった
私の弟の写真が
並んで立てかけられています。
母とその写真を見るたびに
胸がいっぱいになります。
その叔母が作ってくれた
お昼ご飯は
お赤飯でした。
北海道のお赤飯は
餅米と甘納豆で作るので
甘くて美味しいです。
小さい頃のその味は
今でも北海道に行った時に
食べると懐かしい味で、
大好きです。
納豆にもお砂糖を入れて
よく食べていました。
さすがに今はしなくなりましたが。
そんな懐かしい味の
お昼もそこそこに
次の場所へと向かいました。
今度行く所は
函館から端の場所です。
函館山を背に
左側の街から
今度は函館山を抜け
函館山を右に見ながら
函館の街を縦断です。
さて、その途中、
私の体に
前日の治療の疲れや
もしくは早起きして、
あまり寝ていなかった
疲れが出てきてしまったのか
下痢になってしまいました。
両親を待たせ
しばらくトイレにこもり
トイレから出た後は
少し休ませてもらいました。
お腹の具合が落ち着いた頃に
コーヒーを一杯飲み
また目的地に向かいました。
なんとか
私のお腹も落ち着いて
少し、持ち直したというか、
無事たどり着くことが
出来ました。
さて、その目的地ですが、
ここからは
母の生まれ育った場所なので
母の親戚、友人一同
人と会うのが大変です
自分はドライバーで
母の言う通り
左へ右へ。
小さな街で
あちらこちらと
立ち寄りが多くて大変です
母たちが話し込んで来た頃には
思わず眠ってしまいました。
2時過ぎに着いた街なのに
街を出る頃には
とっぷり日も暮れ
すでに7時をずいぶん回った時間となり
それでも
最終的には
函館市内に戻り
最後に本日最後の
親戚の家に寄りました。
そこで
私の病気のことをずっと心配していた
叔父と叔母は
私の元気な顔を見て
一安心したらしく
病状がどんなだったか
心配だったので
聞くに聞けなかったらしい。
最後に訪ねた家を終え
ようやくホテルに戻ってくることが
できました。
時すでに9時を回り
これで
ようやく食事に行けるかと
思いきや
母が行く先々で
頂いたお土産物の整理が
ハンパじゃありません。
何せ
ほとんど海産物です。
生ものから
乾物まで
ホテルの大きい冷蔵庫にびっしり
当然それらのものを
整理してからの
食事タイムとなったわけです。
駅近くで
お店を探し
もう10時過ぎとなってから
お店に入りました。
ここからが
長い夜の始まりでした…。
函館日誌もその3となりましたが、
着いて
私の父方のまず
お墓参りに向かいました。
と書きましたが
正確には父のお墓は
横浜にあります。
母と別れ
再婚した父は
新たに横浜に居を構え
結局そこで亡くなってしまいました。
ですが、
函館はそれでも父の生まれ育った場所。
父の兄弟のお墓などは
そのまま函館にあります。
今回も
いつもお墓のお世話などを
してくださっている
父の妹(叔母ですね)
に会って仏壇にお参りしてきました。
仏壇には
父の写真と
小さい頃に亡くなった
私の弟の写真が
並んで立てかけられています。
母とその写真を見るたびに
胸がいっぱいになります。
その叔母が作ってくれた
お昼ご飯は
お赤飯でした。
北海道のお赤飯は
餅米と甘納豆で作るので
甘くて美味しいです。
小さい頃のその味は
今でも北海道に行った時に
食べると懐かしい味で、
大好きです。
納豆にもお砂糖を入れて
よく食べていました。
さすがに今はしなくなりましたが。
そんな懐かしい味の
お昼もそこそこに
次の場所へと向かいました。
今度行く所は
函館から端の場所です。
函館山を背に
左側の街から
今度は函館山を抜け
函館山を右に見ながら
函館の街を縦断です。
さて、その途中、
私の体に
前日の治療の疲れや
もしくは早起きして、
あまり寝ていなかった
疲れが出てきてしまったのか
下痢になってしまいました。
両親を待たせ
しばらくトイレにこもり
トイレから出た後は
少し休ませてもらいました。
お腹の具合が落ち着いた頃に
コーヒーを一杯飲み
また目的地に向かいました。
なんとか
私のお腹も落ち着いて
少し、持ち直したというか、
無事たどり着くことが
出来ました。
さて、その目的地ですが、
ここからは
母の生まれ育った場所なので
母の親戚、友人一同
人と会うのが大変です
自分はドライバーで
母の言う通り
左へ右へ。
小さな街で
あちらこちらと
立ち寄りが多くて大変です
母たちが話し込んで来た頃には
思わず眠ってしまいました。
2時過ぎに着いた街なのに
街を出る頃には
とっぷり日も暮れ
すでに7時をずいぶん回った時間となり
それでも
最終的には
函館市内に戻り
最後に本日最後の
親戚の家に寄りました。
そこで
私の病気のことをずっと心配していた
叔父と叔母は
私の元気な顔を見て
一安心したらしく
病状がどんなだったか
心配だったので
聞くに聞けなかったらしい。
最後に訪ねた家を終え
ようやくホテルに戻ってくることが
できました。
時すでに9時を回り
これで
ようやく食事に行けるかと
思いきや
母が行く先々で
頂いたお土産物の整理が
ハンパじゃありません。
何せ
ほとんど海産物です。
生ものから
乾物まで
ホテルの大きい冷蔵庫にびっしり
当然それらのものを
整理してからの
食事タイムとなったわけです。
駅近くで
お店を探し
もう10時過ぎとなってから
お店に入りました。
ここからが
長い夜の始まりでした…。