「偉い」という言葉、
聞いてあなたはどのように感じますか?


「偉い」という定義も
人によって違いますよね。


それなら「偉い人」という定義も
人によって違うと思います。


でも、世の中で多くの人が
「あの人は偉い人だ」と
言っていると、

自分も「あの人は偉い人だ」と
思ってしまうこともあるかもしれません。


母親に

父親は家族のために頑張って働いてくれている
だから父親は「偉い人」だ

と言われたり



父親に

母親は家族のお世話を懸命に頑張ってくれている
だから母親は「偉い人」だ

と言われたり



学校の先生は子供のために頑張っているから「偉い人」

学生は学ぶことに一生懸命だから「偉い人」

上司は部下のために頑張っているから「偉い人」

部下は上司の手足となって頑張っているから「偉い人」

仲間はあなたのためにいろいろしてくれているから「偉い人」



いろいろと聞いたことがあるかもしれません。


でも、これらは「事実」あるいは「真実」なのでしょうか?


私は「それは不明」と思っています。



なぜなら、「この人は偉い人だ」と言った人には
「事実」あるいは「真実」だと思いますが、

その人以外の人にとっては
「その人が、そう信じていること」以外の
なにものでもないと思うからです。


ですから、あなたが「偉い人」とする人は

「あなたが素直に、あの人は偉い人だ」と

思った人だけだと思います。


誰に何を言われようとも

その人の価値観を自分のものとする必要はありませんし、

他人に自分の価値観を決めさせてしまっては

自分自身にかわいそうです。


自分は自分の価値があり、

他人はその人自身の価値があり、

それらは、それぞれ違うこともあるし

似ていることもある、ということだけだと思います。



だから、いくら他人が「あの人は偉い」と言っても

それは「その人の価値」として承認するのみで

自分の思う「偉い人」は自分の感性に従えば

良いのだと思います。



中村常楽