鞠のブログ

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現在私は親族が営む農業の手伝いと、
身内の見舞いでいっぱいいっぱいな状態なのですが、
実はわたしには4月からたくさんの社会的役割が用意されてます。
学校のPTAと、子供会と、自治会の役に一度に当たれる年なんて、人生の中でもそうそう無いのでは💦

昔めっちゃ病弱で、子どもの育つ社会に何の貢献もできなかったわたしにとっては、
頼んでくれる人がいる事がありがたい✨
でも、こんなに一度にできるのか??と不安に思いながら引き継ぎに参加していました。

来年度の話を聞く会合にいろいろ参加して、
不思議に不安は減少して気持ちが明るくなりました。
一言で言えば、
何の仕事をすれば良いのか、すごくわかりやすく整理されている!!
何から始めなくちゃいけないのかわからない混乱がない!!

その根底にあるのは、
次にその役に当たった人が困らないように、ちゃんと情報を伝えておこうという愛情でした。

わたしはこんなに仕事ができるのよ。
的アピールでも無く、
わたしがこんなに困ったんだから後の人も困ればいい!
的イジワルさでもなく、
ちゃんと困らないように情報が整理されてて、とても感動しました✨✨


わたしはこれまでボランティアというものを見下げていたかもしれない。
報酬がない仕事なんだから、みんなテキトーで良いと思っているのではないかと。
そんな事を思った自分を反省するぐらい、そこには「子どものために役を引き受けた人が困らないようにする工夫」が盛り込まれていました。

今の世の中、
PTAとか引き受けたくない人の方が普通に多いけど、
誰かやらないといけない事に、こんなに丁寧に仕事をする人がいた事に感心しました。

わたしも、微力ですが4月から地域のためにできることを頑張ります!!


この一言が最後かもしれない


私は随分昔からいつもそれを意識している気がします。
なので、
家族とどんなに仲違いしていても、
出かける時には必ず顔を見て挨拶をしています。

心を病んでいる人や発達障害の人と関わる仕事をするようになって、
ますます一言の重みを感じるようになったように思います。
この一言がこの人を追い込んでいないだろうか。
今の一言はちゃんとこの人の心に響いただろうか。
そして、また明日も会う事ができるだろうか。
そういうことを常に考えながら、話をしています。


6年前の3月11日の朝に交わした挨拶が最後になると思っていた人は少なかったでしょう。
あれから、1日1日を大切に思って生きていますが、
自分の発する言葉も、この一言を言えるのは今しかないかもしれないと思うと大切に思わずにはいられません。


日々後悔の無いように大切にしていきたいと思っています

精神・発達障がいのある人の就労支援の仕事をして10年近くになりますが、
その中で、言い切れることは
「自分の足元がぐらついていたら人の支援なんてできない」という事です。

先日中学生になる私の娘が、
「友達の力になれなくて、どうしてあげたら良いかわからない」
と話していました。
家庭的事情があって、
生きているのが嫌になったと話す友達に、
娘は、自分が同じ立場にないのでどう言葉かけして良いかわからなかったとのこと。

なにも
悩みを抱えた人と同じ分量で不幸を背負う必要は無いのです。
今同じように大変な状況でも無いのに、「私も同じようにしんどいよ」ということはある意味失礼なのではないかと思っています。
自分が、地に足をつけた生活ができているから、今本当に困っている人の力になれるんだよ。
娘はまだ幼すぎてその話の意味がわからなかったかもしれませんが、できる限り伝えました。

今大変な人に寄り添うことは大事だけど、
一緒に落ちていくことは、共依存という状況を生みます。
冷たい、と時に言われても、
自分の立ち位置を変えず、いつでも変わらないスタンスでその人の支援をできる人が必要な時は確かに存在するのです。

他の人がその人を見離しても
自分はいつも変わらない位置にいて、支援できる立場であれたらいいかなと思って支援を続けていきたいと思っています。