2019年後半の祝日と休日はいつ??
蟹を飼い始めてから一週間。。。
脱走する蟹が多く、運よく見つけられるところに居た蟹さんは助かるが、玄関へ向かった蟹さんはほぼ助からない。
気温が高い時はエアコンをつけっぱなしにしているが、玄関はエアコンなし。
暑さに弱い蟹さんが玄関に向かったらそれはもう自殺と同じなのだ。。。
もちろん、自殺の意志がないので厳密に言うと自殺にはならないけどね(´;ω;`)
今日も朝にカサカサ音がするのでベットの脇を見たら、居た。
ベットの下に隠れたらもう終わり、とっさにタオルをかけて優しく覆って捕まえた。
少しでも長生きしてね、と言いたいところだが、蟹さんにとって、はたして、我が家で飼われている事が幸せなのかは分からない。
そんな事も考えるなんて事もないのかもしれないけれど、我が家に来たのは運命。
出来るだけ幸せな環境にしたになと思う。
令和の時代が始まった。
昭和から平成に変わった時は、初めての事だったので、ちょっとワクワクしてたが、結局年越しと同じように、何も変わりはしない。
? 本当に変わらない?
私が中年米の旅をしていた時、時代というか、次元の変わりというのか、そういうのを体験というか、見聞きした事があった。
実際私は体験はしたのだが、実感はなかった。
マヤ歴が変わる2012年12月22日、私はマヤ民族の末裔が住んでいる地域にいた。
同じ宿にいた女の子がマヤ歴が変わる特別なセレモニーがあり、あるシャーマンに招待されたとの事で一緒にどうかと。。。
もちろん、セレモニー代は徴収されるが。。。
そんなセレモニーなんかに滅多にいけないだろうし、出不精な私だが、参加を表明。
高級ホテルでのセレモニーになぜか違和感を感じつつも、久々の5スターホテルの居心地に酔いつつも、予測がつかないセレモニーに戸惑いながらも時間が過ぎていく。
たぶん、白いサウナの中で、毒だしをするのか、汗をかかせる、そんな類の、そして、奇妙なタバコのようなものがまわってきた。
それは瞬時に あ、あれかと思いながらも、少しだけ吸う。(倒れた事があるので今回は少しだけと。。)
そして、シャーマンの音楽に酔いたいが酔えない自分が存在している空間に自分を漂わせていた。
セレモニーが終わり、シャーマンの方が用意してくれたホテルの部屋へ行って、眠りにつく。。。明日が変わるのかどうかを考えながら。。。。
朝、新しいマヤ歴になっていたが、何も変わらない日常がそこにあった。
安宿ではない高級ホテルの部屋だったが、ちょっと澄んでいるように見える空を眺めた。
何も変わらない。
世界が滅亡なんて嘘だとはマヤの人達にあらかじめ聞いていたから、そんなのは分かっていたけれど、、、
しかし、なんて適当な、この世の終わりのような番組で人を惑わすんだろうって呆れはてたテレビ番組とそのいんちきな世界。
日本の番組というかテレビがいかにくだらないか、また教えてもらったのだ。
視聴率という金儲けに踊らされてた私達。テレビというより、番組を作る人達というか、結局それを見たいと思う我々がそうさせているのか?
ノストラダムスの大予言だって、その時はカナダに居たが、1999年から2000年になって滅亡滅亡って騒いで、結局デジタル問題が国によっては賑わせていただけで、2000年問題と呼ばれ、999の桁数3桁を4桁表示される機器を交換で事なきをえたし、、、
しかしこれは、-30Cにもなるカナダでは電気が止まるとは死活問題だから、違う意味でカナダでは騒がれていた。
それも、なんとかクリア。
結局、年表や暦が変わるたびに躍らせられてる私達。
あ、でもね、一人のシャーマンの修業をしたまさる君という人が、世界は変わったと言っていた。
そう、世界は変わったと。
衝撃というか、ある意味感みたいな感覚で納得した私だった。
中南米の旅に出ると、スピリチュアルな話や体験談や、日本では頭のおかしい部類(本当は別におかしくもないが。。)に入ってしまうような人が結構な割合でいる。
まさる君は、特に面白いという子ではなかったけれど、話術をまとい、大した経験もない者が偉そうに喋る若者とは違い、澄んだ心に闇を抱えているような人だった。
そう、この詐欺師的な生活の中で居ない、日常とは違うにおいがした人だった。。。
その純粋という言葉が妥当なのかはわからないが、そういう類の人がまさる君だった。
彼は、「僕、シャーマンの修業をしてたんだ」と言った。 まっすぐな言葉だったし、私はそれは本当だと思った。
話を聞いていると、どうも、世界一周をしようと旅にでたら、どういうわけか、ペルーで修業に入る事になったそうだ。
旅もいわゆる修業の一環だと私は思うのだが、それにしても本当の修業をするとは。。。。 恐れ入ります。
まさる君の話は、雲の上のような話だった。
修業するのに、多額の金額を払ったと言ってた。 いくらかは忘れたが、多分、半年から1年くらいは旅に出れるような金額だった記憶がある。 それが高いか安いかなんて、我々が判断することでもないし、金額はある意味どうでもいい。
ペルーのある村の奥地だそうだ。
どんな生活をしてたかというと、生活というより修業ですが、塩も何もつけずに、ジャガイモなどを自分で調理をして食べる、そして、人に会わない事が決まり事のようらしく、そして修業とは別というか修業の一つに入るのかは分からないが、そこでスペイン語を独学で学んだそうだ。
最初は蚊に刺されたり大変だったが、そのうちに刺されなくなり、調味料を抜いた食事のせいか、思考も身体も変わる、それは日本の坊さんが食する精進料理に似ているのかもしれない。
そんな話を聞いていて、私の知り合いで、肉食を止めたら、普段見えないものが見えてきたと言ってた人がいたなーと思いだした。 肉が施行を濁らせるんだとか。。その人は、現在おーすとらりあでアーティストとして活躍しているらしい。
そう、あの話と今話している事がつながっている。。。と思い出している私。
まさる君は、そこで一年くらい修業をしたそうで、ある時、世界が変わったと思った日があったという。
シャーマンのリーダーに、その事を話たら、よく気づいたなと言われたそうだ。 ??? なんかすごくない? 雲の上の話のような。。
そう、その日は、マヤ歴の変わる日だった。
私が驚いたのは、ペルーはマヤ文明ではない、インカ文明だ。文明が違うのだ。 インカはマヤ歴はない。
人種でいうと、背格好は似ているが、文明が違うので、マヤ歴が変わる、それを違う場所で感じたという事は、距離は関係しないのか、それとも次元が違うだけの事で、この場所で感じるというよりも、物質の世界のレベルでの話ではないかもしれない。 四次元、五次元、六次元と、、、
簡単にいうと、この世ではあるけれど、ほとんどの人は感じ取れない世界って事。
違う文明の栄えた場所で、暦も違うが、世界が変わったと言った彼の言葉に幾何の衝撃を覚えたのはいうまでもない。
あの時、確かに私はマヤ文明の地にいたが、私には何が変わったのか分からなかった。
あの日、あの時間をはっきりと覚えてる。 空が少しだけいつもよりも澄んでみえただけだった。 そう、私には。。。
私がその次元を体験できるレベルの人でなかっただけ。
でも、世界は変わったのだ。
まさる君が言うには、世界は良い方向へ変わったのだという。
それを聞いて、少しだけ私の心が晴れたのはいうまでもない。
まさる君と出会って、わかった事。
それは世界は繋がっている、つながっていると実感した事だった。
すべてが繋がっている。 出会う人も、そして、時間も。。。
どんな経験も大切で、愛おしい。 今振り返ると涙があふれてくる。
後で分かる事、今、周りが見えなくても、いつか自分が歩んだ道は、身になっているんだと。。。
そして、何かに先導されて旅にでた私。 どんな国でも無事でいられ、様々な経験と体験をしたのだ。
だから、前に進んで行くことが正しいんだと。。。 私が私に言っている。
今、思い出しながら書き記しているが、少し前までは文章を作る事も嫌になっていた。
今日突然書きたくなってきて、書きまくっている私。 そういう時間がまたやってきたのだ。 だから、私は書く。
そして、また疲れたら、休めばいいのだ。
この私のブログで、少しでも共感できる人がいれば、それでいい。
旅の思い出を書き出す事とは、私の人生の意味をさらに分かるために、私の魂がそうさせているのかもしれない。