韓国生活も1月9ヶ月が過ぎました。これまで、いろいろな経験をし、その度に驚いたり、悲しかったり、嬉しかったり、ドキドキしたり、自分を見つめ直したり、多くの感情変化がありました。今回はこれまでを振り返り、その時の気持ちや考え、今後の抱負などを綴ってみたいと思います。



韓国に引っ越して来た2012年2月、当時3才、8才、10才の子どもたちは、韓国語がほとんどわからない状態で、唯一話せたのは「アンニョンハセヨ」くらい。私も片言話せるのみだったので、近所の市場に買い物に行く時もドキドキで、品物を見定める余裕はなく、とにかく指をさして「オルマエヨ?」という繰り返し。金額を言われて咄嗟にその値段が払えず、多く出したり、少なく払ってしまったり…。

失敗もたくさんしました。逆循環のバスに乗り、終点も過ぎ、車庫まで行ってしまったり、病院で、自分が呼ばれたと思い込み診察室に入っていってしまったり、電話の聞き取りができず、わかったつもりで返事をし、その後あたふたしたり…。その度に恥ずかしい思いをしながら、心は強くなっていきました。


「習うより慣れろ」ということで、やれることは何でもしました。韓国語教室、料理教室、裁縫教室、陶芸体験、伝統文化体験、ボランティア活動などなど。
いろいろな経験をするうちに、たくさんの出会いがあり、感性も磨かれ、知り合いもいっぱい増えていきました。
あんなにドキドキしていた市場も、今では楽しみの一つになっており、行きつけのカフェ、パン屋さん、海苔巻き屋さん、豆腐屋さん、果物屋さんもできました。


振り返ると、慣れない環境での初めてのことが多く、ストレスを受けたのも事実でした。ある日目の上にできたしこりは、痛みもなく大きさも変わらず、その後半年以上消えませんでした。
そして、定期的な頭痛もありました。韓国語が音のように聞こえる状態から、言葉として聞こえる状態になるまでも時間がかかりました。
また、悲しいわけではないのに、涙が流れるということもありました。心の中にある言葉にならない感情が、身体に与える影響は、想像以上に大きいものであると実感しました。ただ、その時に、そのつらさを共感してくれた友達、家族の存在がありました。このことが、どんなに心の支えになったか、感謝しても感謝しきれません。


そして、子どもたちもそれぞれの環境で頑張りました。
涙をこらえ、緊張の中迎えた初登校の日から、それぞれ努力し、幼稚園、学校で友だちもでき、韓国語もかなり上達してきました。
今では家での会話も日本語より韓国語が多くなってきており、子どもの適応能力の早さに驚いています。
また、子どもたちを見ていると、日本的感覚と韓国的感覚が良い感じに混在しているのを感じます。思っていることをはっきり言うようになったこと。相手の気持ちを考えて行動すること。自由な発想で積極的に動くことなど…。
日本にずっと住んでいたら分からなかったこともいろいろ知り、経験し、視野を広げているようです。1年9ヶ月前には想像もつかないほど、たくましく成長しています。


しかし、ここまでになるには大変なこともありました。
まずは言葉の問題。韓国語がほとんどわからない状態からの学校生活。一から学び、何度も読み、書き、話し、繰り返す日々。友達との会話も身振り手振り。
多文化家族支援センターでの言語発達教室、週末の移住言語教室、訪問教育、多種多様なイベントへの参加、考えられる全てのことはやり、走り続けた日々。
気づけば、友達と冗談を言ったり、ケンカをしたり、メールをやりとりしたり、いつ?どうやって覚えたのか?とこちらが驚くほどできるようになっていました。

続いて、教育環境の問題。学力重視の環境で、言葉を学びつつ授業に適応していくことの難しさ。ただでさえ遅れをとっている中、学校での授業も学習塾と並行しつつ難易度が高いところもあったり、幼児期から学力向上に努めてきた子どもたちと肩を並べていくことのつらさも感じたり…。

根本的に学ぶとは何か?ここにきて違和感の中から追及する気持ちが湧いてきました。どの子もその子の個性を活かしながら、喜びを持って学んでいくのがよいのではと…。
学力重視の中で失われていく心の持ち方、人を思いやる気持ち、違いを認め合うことなど、これからの課題になっていくのではと感じています。

また、習慣の違いにも戸惑いました。
ある時、日本に5年住んでいた韓国人の友達が言いました。「日本は、学校からの手紙にも、持ち物一つひとつに説明があるよね。例えば、ちり紙だったら、トイレットペーパーなのか、ポケットティッシュなのか、おしぼりなのか。韓国は、一言、ちり紙。手提げ袋も、何センチ×何センチの大きさと細かくあるけど、韓国は、ズバリ、袋。どちらが良い悪いでなく、日本のやり方に慣れていたから、韓国に来てビックリした。どれを用意すればよいのか迷ったり、結局どれでも大丈夫だったのだけど…。それと、日本では余裕を持って1週間以上前にお知らせをもらうけど、韓国は明日までに用意ということも多いよね。いろいろ違うから慣れるまで大変だね」と。

確かに、この違いには驚きました。
今はだいぶ慣れましたが、最初は何でこんなにアバウトなのだろう?何でこんなに急なのだろう?と…。
その反面韓国は、いろいろな物事に対して自由というか、伸び代があると感じました。子どもたちの通う学校では、カバンは自由、髪型や服装に関しても比較的緩やかで、雪が降れば授業を変更して雪遊びをしたり、現場学習の一環として、休み以外での家族との旅行も認められていたりと…。日本は、逆に決まりが多すぎて、窮屈な感じがすると、ここに来てさらにそう感じるようになりました。

この違いも経験したからこそわかることなので、今後も違いを認めながら、さらに多様な魅力を見つけていけたらと思っています。


韓国での生活での失敗も恥も、全て良い経験。子どもたちの前向きな姿、言葉に、未来に向かっていく力を感じ、私自身が勇気をもらいました。
みんな子宮の中で育まれ生まれてきた命。そして、この地球に住む地球人。国際社会といいながら、今迄日本の中で日本人に囲まれた環境にいた私たち。韓国に来て、韓国はもちろん、様々な国の人にも触れ、新たな世界、考え方が見えてきました。
これからも、経験を力に、いろいろな活動を通して、さらに視野を広げ、親子共々成長していきたいと思います。