友人宅で夜にしゃべっていたときのこと。


「この間もここ(キッチン)で友達としゃべってたら、隣のうちから静かにしてくれって、苦情がきたんだよね。」と言う。
「それも女4人でそんなに大声でもなかったし、音楽でうるさくしてたわけでもないし、夜もまだ10時だったのに。」


別に寝室に面しているわけでもなく、お互い窓を開けているから窓越しに声が聞こえるから、という。


「そのくせ、彼らの夫婦喧嘩は何て言ってるかわかるくらい大声で怒鳴り合うから全部聞こえるからね。それもしょっちゅう。どういう神経なんだか。」


きっと、自分のことしか見えていないから、客観的に見えていないのでしょう。


そういえば、元福田首相の言葉が話題になったとか、ブームになったとか。商品化までされたようで、とても日本的だと思えるのですが、イタリア人はそもそも「主観」で動いていて、自分を「客観的」に見る、ということができない人、そういう発想さえない人が、かなり多いのではないかと思えます。


客観的に見て、恥ずかしいから、自分の感情をコントロールして抑える、怒鳴りたい、叫びたいのを抑える、ということがないから、怒鳴りたいだけ怒鳴る、叫ぶ。


抑圧から逃れられずにいつか爆発して他人を巻き込む犯罪にまで発展する日本人の感情を思うと、怒鳴りたいときに他人の目も客観的も何もなく怒鳴っているイタリア人の方が健康的なのかな、とも思うのですが......

でも怒鳴ったところで落ち着くわけではなく、ますます興奮するだけでしょうし、隣近所にまで聞こえるほど怒鳴り合っているのは見苦しいものがありますので、やはり「客観的目」というのは必要なんじゃないかと思います。


多分、日本人は誰でも多少なりと持っていると思うので、イタリア人にもう少し持ってほしいものです.....