ブログネタ:この授業はいらない(いらなかった)と思う 参加中


日本にあってイタリアにない教科、というとこれが、けっこうあるんです。

体育とか、音楽とか、家庭科とか、道徳ももちろんありません。

学校によっても違うかもしれませんが、日本で言うところのクラス全員で体操着に着替えて走ったり、先生のピアノに合せてクラス全員で歌ったりとか、ないようです。

「日本のほとんどの学校には小学校から体育館があって、プールもある。」というと、びっくりされます。(教育環境に関して日本は恵まれていると思います。)

サッカーが強くて、他のスポーツ分野でも活躍していて、音楽も?音楽の国なのに?
というのは、特定の分野に進みたい人が、放課後に専門学校に通ったりして専門家を育てているようです。

日本のような宿題や塾もないイタリアでは、多くの10代の若者がだらだらと何もせず、遊んでいるようです。


外国語に関しては、英語だけではなく、フランス語やスペイン語、ドイツ語、中には日本語や中国語を勉強している人たちもいます。
ラテン語も日本でいう「古典」みたいな感じで、勉強した人たちも多いようです。
現在は使われていない言葉だからイタリア人にとっても「役に立つ」というわけではないでしょうけど。

でも「役に立つ」って何でしょう?
「今の仕事に知識を使える」→「それで給料をもらえる」という原価価値なのでしょうか?

そういう損得勘定で差し引き計算して考えるのって、どうなんでしょう。(すごく日本人的な気がします)

直接的にその知識が(利益となって)役に立たなくても、受験の後ですっかり忘れてしまうことになっても、そのとき普段使わない脳を使ったことが、その後の脳のあり方に変化をもたらしたかもしれません。
「無駄だったものはない」と言うわけではないのです。何が無駄だったのか、結論を出すほど、自分のことがわかってないと思います。

イタリアと比較すると日本の教科は「広く浅く知識知識」という感じがしますが、音痴の多いイタリア人 を見ていると、それはそれで、(一通り何でもやる日本の教育でも)いいのかも、とも。
それと、学校の掃除を生徒がやること、あれは日本のよい習慣だと思います。イタリアは家庭環境によって「きれい好き」と「掃除ができない」が極端ですから。

今思うと、あってほしかった、と思うのは「仏教や神道への知識」。日本語でも説明できないのに、外国語で説明できないでしょう。
「古典」ももう少し掘り下げて一通り読破していたら。イタリア人でちゃんと学校に行った人はダンテくらい読んでいます。
外国や外国語の知識は足りなくても「外国人だから」で済まされるとしても日本の知識や日本の文化を知らないと....

日本の学校では、欧米の楽器を演奏することはあっても、日本の楽器には触れたことがなかったり、油絵はやっても日本画はなかったり、着物の着付け、茶道、華道、よほど「習い事」としてやらないと、学校の授業では日本の文化は組まれていません。

剣道や柔道、合気道などの武道はどうなんでしょう?何年も、というのは希望者だけにして、誰でもちょっとでもかじる程度にやる機会があったらいいのに、と思います。男女とも。
どれも、将来その道を進むかどうかは別として、ちょっとでもやったことあるかどうか、で、人生、違ってくると思うのです。


ちょっと昔(戦前くらいまで?)の日本人(男性)は、漢詩で即興で詩を作ったりしていたんでしょう。(司馬遼太郎の本の世界)
かっこいいなあ、と思います。


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