人間教育 五十一
山本伸一は、ここで話を転じて、キリスト教が、
なぜ、普遍的な世界宗教として発展したのか
を考察していった。
「その一つの理由は、キリスト教は、民族主義
的な在り方や、化儀(けぎ)、戒律(かいりつ)に
縛られるのではなく、ギリシャ文化を吸収しな
がら、世界性を追求していったことにあるとい
えましょう」
民族や国家、あるいは、そこに受け継がれて
いる文化や風俗、習慣が、教義の普遍性より
も先行し、絶対視されるならば、その宗教は
世界化することはない。民族宗教や国家の宗
教などとして終わってしまう。
日蓮大聖人が、「其(そ)の国の仏法は貴辺
(きへん)にまか(任)せたてまつり候(そうろう)ぞ」
(御書一四六七㌻)と仰せになっているのも、
その地域の人びとの諸事情や文化を考慮し、
仏法を弘むべきであるとのお考えの表明とい
ってよい。
日蓮仏法は、本来、万人の生命の尊厳を説く、
人類のため、人間のための宗教である。
決して、偏狭(へんきょう)な“日本教”などであっ
てはならない。したがって、日本の文化や風俗、
習慣などに縛られる必要はないのである。
日蓮仏法の教えの「核」となるのは、宇宙の根
本法である南無妙法連華経を信受(しんじゅ)し、
どこまでも、「御本尊根本」「題目第一」であると
いうことである。そして、共に地涌の菩薩として、
広宣流布の使命に生き抜く師弟の、自覚と実
践である。
伸一は、言葉をついだ。
「キリスト教が世界に広がった二つ目の理由は、
病人や貧者、あるいは罪人など、社会の底辺
であえぐ民衆のなかに飛び込み、民衆のなか
で戦い抜いたことにあるといえます」
最も深い苦悩を背負った、一個の人間と向き合
い、救済の手を差し伸べることは、万人に幸せ
の道を開こうとすることだ。そして、蘇生した一人
の感動は、大きな共感の輪を広げる。
また、民衆は社会の大地である。民衆に語り、
民衆が納得し、その賛同と支持を得ることこそ、
宗教興隆の確固不動の基盤となるのである。
=2011年4月15日・聖教新聞=