good mooooooning tokyo(・ω・)/

まだベッドの中です。
目が覚めかけて何かをもやもや考え出した
夢の続きから発展したというのかも・・・・
思い出せない

思い出したとこから書くと
『日本で「寄付文化」が発展しない事について』
なかなか普遍化するのは難しい

だからそのような活動に関わってる人は
よく「偽善的」「偽善者」などと言われる・・・・
まったく持っておかしな話だ

寄付=偽善で
寄付しない=善なのか?
たとえそれが寄付でなくても
他人のために活動すること自体(NPOやNGO)「偽善的」に扱われる

たとえ「偽善」でなく、好意的に受け止められても
活動するアクターは「特別な人」となる


昨日奥谷さんに(奥谷さんの記事
「ホームレスとかワーキングプアの問題ってどう思いますか?」って聞いた


アメリカは「寄付文化」の国で、自分より大変な人にお金をあげることが
なんの抵抗も無く、当たり前のようにされる
それは宗教の影響もあるだろう
「貧しいものに手を差し伸べよ」の精神
アメリカの金持ちは、お金をバンバン寄付する(少なくとも日本よりは)
お金をもうけたらやることのリストに
「寄付」が標準装備だ

そういった税制の優遇措置も日本より整っているのだろう
↑寝起きだからそこまで調べてない・・・・

日本はお金を持ったら一人勝ちして逃げる
だからそうじゃない人は「特別」
確かに、一昔前にくべれば
そういった人が増え、企業がCSRなどを頑張りだしたが
正直、「特別な人」から見たら
まだまだだよ・・・・・という話をよく聞きます
もちろんそのために頑張っている「特別な人々」が
私の周りには、たんといるのですが
「特別」な人や行為と称されることは望んでいないし
むしろ「特別」であることが空しい


日本とアメリカは文化も思想も対極にある
対極にあるからこそ無批判に「アメリカ」を受け入れられたのかもしれない
経済の仕組みなんてのは全然違う文化のとこに
経済のエンジンをそっくり持ってきて、その後もアメリカの動向にあわせ
チューンナップしてきた

だが今、「アメリカを追いかけよう。」といえば、誰もが立ち止まる
「アメリカ」を無批判に受容することを拒むだろう
少しは成長してれば

しかし「アメリカのやり方」が悪いんじゃない
「アメリカを無批判に猿真似してきた」ということが駄目なんだ
ようは、日本がだめなの
Japan is America!といわれたからといって
「アメリカはだめだ~。」となる、その思考が駄目だ

確かに経済を主導してきたのはアメリカだけど
アメリカは自分でまだまだ立ち直れるんじゃないかな?
でも、日本は?

無批判に受け入れてきたツケが
ボスの横をふんぞり返って歩いてきたツケが回ってきてる


そうじゃない、エルメスが流行るから持つんじゃない
ヴィトンが流行るから持つんじゃない
それを取り入れた自分をどう表現できるかが、いつも置いてきぼりなのが
悲しい風習


あぁぁ、「寄付文化」の話が吹っ飛んだ

ようは、美味しそうなとこだけ「アメリカ~」ってなって
結局対極にあるものだから根本的なとこは受け入れられない
だから「寄付文化」が定着しない
それはわかる
しかし・・・だからといて「偽善」で済ませるのは
なんとまぁ、他に説得力のある言い方は無いものかと情けなくなる

「偽善」というからには、何がどう偽善なのか・・・・
一度たりとも納得行った答えをもらったことは無い

うちの母は、多分前世が武士なので
「ぼろは着てても、心は錦~」とか
「武士は食わねど高楊枝」(私は、小さい頃「爪楊枝」と言っていたw)
などと刷り込まれた

日本には確かに人から乞わないことが美徳で
物を乞うくらいなら餓死したほうが誇りがある
とあらわすような言葉が沢山ある

それはそれでいい
「アメリカ」「武士魂」は等価である
ようはそれをどう取り入れて具体化するかが大事
どっちだっていい

前述したように、うちの母は武士道だけど
かといって、募金だってするし
いざ子供たちが食べれないようなことになったら
きっと私たちには高楊枝させない

自分だけが「高楊枝」でいる
人にそれを押し付けない
だから、武士道の塊だけど
弱きを助ける

そこだよねぇ、日本に足りないのはと寝起きから思うw

結局「偽善」だと思う理由はど~でもいいけど
それは自分がいざ乞う立場になったとき思えばいいことで
受け取らなきゃいいことで
手を差し伸べてくれる人を「偽善者め!」と言えばいいだけで

どこかの国の王位継承の座を捨てて
ホームレスになって餓死した彼のように振舞うなら、大いに結構
それが誇りというのなら、welcomeで受け入れる


しかし今、助けを求めてる人の前で
「私は偽善者になりたくないので、あなたに手を差し伸べることはしません。」
というのは「偽善者」より生きてて恥ずかしい

「手を差し伸べる」という言い方が気に入らなかったら
そこは解釈を変えればいい
自分が気持ちよく何かを解決できる表現にクリエイトすればいい
想像力が足りない
というか、言い訳するために創造しない
言い訳できる理由を据え置く

今、世の中にある「寄付文化」を受け取る側の対象者は
第三国の人々や国内の周縁部の人々だ
だいたい、その人々の搾取があって
自分たちがのうのうと生きていられる構造に気付いてない


だから「寄付」なんかではなく、正当な「対価」であって
その「対価」が正しくいきわたらないからこその話だ

私たち先進国の豊かな人にしかカネがまわんないサイクルのなかに
第三国の経済・日本の周縁部が動力として組み込まれているってことを
まったく・・・遠い国の話だと思っている
ここまで言ってもまだ思っている

しかし、これを人々がを糾弾しないことで
市民知は下がり続け、政治は荒廃し
国は立ち行かない
お金持ちだけ逃げていく
パンピーは乞う側となる
まったく気付いてない


力のある企業や人は、きっと日本を捨てて
海外に非難する
日本は廃墟になるよ。冗談ぬきで・・・
そこで初めて嘆いたってね
「偽善者にはなりたくないので、あなた方に手段は講じません。」
といわれたらどうするよ

そのときに大騒ぎするのは
「特別じゃない人々」
「偽善でなく善だった人々」

当事者で無いから考えないのは
地球規模で公害
だって、資源だけ使って生きてくってことでしょ?
まじ、迷惑なんですけど・・・・


「日本がそうなったらヤダ!」といち早く察知して動いてる人が
「特別な人」と呼ばれる人であり「偽善者」と呼ばれる人である
いつかは「偽善者」のお世話になるか
誇りを持って餓死するか、見てみたいけど
他の人を犠牲にするわけにいかない・・・・ので
気付いてる人は動く

「特別な人のやり方」がすべてあっているとは言わない
変えなきゃいけないところも沢山あるだろう
だからこそ、精度をあげなければならない
精度を上げるという意味は
先進ではなく「後進」という結論かもしれない
そういったことをふまえての、社会のあり方を模索しなければいけない

それを見過ごして通り過ぎることで
市民としての能力は下がる
しかし、その能力でしかこの社会は救えない



911を実行したのはテロリストだけど
それを起こさせるまでに追い詰めたのは誰か?よく考えるべき
テロリストとの和解に奔走する日本人も沢山いる

その「和解」にフォーカスしない人々は
無批判にテロを受け入れ、同意しているのと同じだと私は感じる
自分がそのようなことに気付いた時、とても恥ずかしく思った


そして911を起こしたアクターの一人に自分もいるのだと感じた
そうなりたくない。今からでも。

まずは何もできなくても
知らなければいけないことにフォーカスする事
世界中の人がこれをするだけでも、大きく変わる

マスコミに扇動されて、報道されているときだけ
感情的に騒いでいるのは、メディアの都合のいいアクターであって
社会の都合のいいアクターではない
ぜんぜん都合が悪い・・・

わからなかったら聞けばいい
身近な「偽善者」に・・・


全員がアクターになる前に世界は変わることができる



そんなことを思って目が覚めた。
今日の目覚めは壮大ですw
寝る前にムネスケ読んだからかな(//・_・//)