【Episode 025】 見守るもの | 思いの坩堝

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モノカキになると誓った元単身赴任会社員の文章修行場です!

― かの江戸川乱歩は、恐怖小説に凄みを出すために、電気を消した地下室でろうそくの明かりを頼りに執筆したという。

男は新人ホラー小説家。
黒一色で統一された生活感のない殺風景な部屋で、締め切りに追われている。

ホテルのように無駄を排した完璧なまでに隙のない環境に比べ、男はいかにもくたびれていた。そのことを男自身は気にしていないようにみえる。ぼさぼさの髪はふけが浮いていて、目頭と目尻にはもれなく乾ききった目脂がこびりついている。あごについている何かはおそらく歯磨き粉と何か食事の残滓だろう。自分の身体そのものでさえこの有様なのだから身なりについては押して知るべしだ。いつ洗ったのかわからないよれよれの灰色のスウェットの上下に、これまた手首や首周りが垢じみて黒く変色した半纏をまとっていた。家の中よりももはや公園の隅などに並んでいる青いビニールテントが似つかわしく思われる程のひどさだ。

その代わり男は人一倍熱心に仕事をこなしてきた。

着想がわくまでは随分時間がかかるものの、一度執筆に取り掛かると文字通り神がかり的な集中力で仕上げられることは、男自身が認識し、また編集者等も認めるところであった。男が文章を書くことでかろうじて糊口をしのいでいられるのは、まさにこの集中力の産物であることは間違いのないところではあるが、それだけではない。何より数年前には満足に文章を書くことさえできなかった彼が、瞬く間にホラー作家としての地位を得ることが出来たのは、ひとえに物語の持つある「重み」のせいであった。「重み」でわかりにくいようならば、「凄み」とでも言うべきか。具体的にどこがどう、などと説明することのできるものではないし、実際そうしたところで興をそぐばかりなのだが、つまり客観的に考えればたいしたことのない内容であっても、彼の手にかかると読む者誰しもが背筋の凍る思いをせずにはいられない、そういった作品を数作立て続けに量産することに成功した作家ということである。

とはいえ、どんなに他に比するもののない刺激的な内容であったところで、それを何度か繰り返し味わった者がその感覚に慣れてしまうのは必然的なことであった。いやむしろ最初の刺激が強ければ強いほど次の刺激はさらにその上をとその欲望に際限がないのが人というものだ。男の作品のレベルは一定していたが、その刺激の単調さに飽きてしまった読者は、それが例え初期作品に熱狂したファンであったとところで、真新しい自分に都合のいい他の新人作家を発掘することに忙しく、早々と男を見限っていった。つまり、男の人気はどんどん落ちていく一方だった。

そして、ついに最後通告を告げるべく出版社から新人の編集者がよこされたのだった。ネット全盛のこの時代に、原稿の催促のためだけに編集者が実際に1人の作家(しかも新人)に張り付くなど、男には信じられなかった。
「先生の作品、『ほうじ茶x の乱心』、初めて読んだときから大好きです!なのにうちの会社ったら、この企画でコケたら先生にもう連載の話はないって言われて来てるんです…!先生!頑張りましょうね!見返してやりましょう!」
「大丈夫です。安心してください。今これまでにないプロットがあるんです。きっと売れますよ、この話。ただもうちょっと寝かせる必要があるようなんです」

何のプロットもないくせに、いつの頃からか取り繕うことばかりうまくなる。
まったくもって非建設的な日々が過ぎていく中で、ある日男の頭の中で閃光がほとばしった。

スイッチの入った男は、編集者が部屋の隅で雑誌を読んでいる間にパソコンに向かうと、猛烈に入力し始めた。
一心不乱わき目も振らず、という言葉を模範的に体現するように、男は外部との接触を絶ち、全力で原稿書きに没頭した。

そして、編集者が見守る中、最後のページを打ち終わると、その目の前で不意に消えてしまった。
小説家がいた場所には、ただ下着とパジャマと眼鏡が残るばかりだった。

後からその担当者に確認したところでは、そのとき気づいたのは非常に些細なことだった、反論されたら沈黙するしかない程度のことだった、とのことである。

例えばそれは、棚の上に重ねられたダンボール箱がきっかけもなく不意に落ちてくることであったり、使っていないキッチンの水道蛇口のノズルからしずくがやけに大きな「ぽちゃん」という音をたてて落ちる音であったり、いつ使うかもわからないままたまっていくスーパーのレジ袋が「かさり」という音であったり、冷蔵庫が突然うなる「ブウン」という音であったり、カレンダーが風もないのに「ふわり」とめくれる音であったり、重ねた食器が「カチャリ」ということであったりしたという。


男にはわかっていた。この話を書き終えたら自分は消滅することを。


ここ最近、執筆の最中の視界の隅に、やたら白い何かが入るのだ。
それは振り返ったところで決して姿を見せてはくれない。

しかし必ずそこにいる。ただただじっと。

 男が渾身の作品をパソコンに入力しているその背後からも、それは、画面を覗き込んでいるのがわかる。首筋にその細い息遣いが伝わるからである。その異形の者と男とは、夏のある日取引をしていた。男の話が異形の者達を喜ばすほどの面白いものであれば男は有名になるはずだった。ただし、つまらなかったときには、例えば眼を、あるいは耳を、嗅覚を味覚を触覚を、手を足を…その何者かに提供するとの契約である。そして、これまでは、連戦連勝だった。そしてついに今日、瞬く間にデビューしつつもいつの間にか落ち込んでしまいつつある自分の、人生最大の大逆転をかけて、男は賭けをしていたのである。

その結果…異形の者達がくだしたのは、つまらない作品、ということであったのだ。

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