職場を神の国に変えるⅡ。 | 『透明』

『透明』

透明で在りたい。
どこまでも…
どこまでも…

透明で
ありたい。


前回の職場を神の国に変えるの記事の続きとなります。







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「職場を神様の国に変えるクリスチャン」(byバン・ソンギ牧師)

~聖霊の力を表す~



前回は、神様が、私たちの仕事を、どのように見られ、
仕事をする姿勢や、その仕事に取り組む過程で、
神様が望まれることは何かを知り、

それを実践するための、超えるべき4つの段階を
お話しました。



そして、実は、これらの段階を超え、私たちが、
向かわなければならない段階が、
まだあるのです。



それは、職場の中で、聖霊の力を示すということだ。



聖霊の力は、教会の中ではそれほど聞きなれない言葉ではない。



残念なことに、聖霊の力は祈祷院や礼拝堂の中だけに起きることと、
考えられがちである。


しかし、聖霊は私たちの生活のどの領域にも現れ、その力を示される。
私たちが働く世の職場でさえも、切に求めればいつでも来て下さる。






聖霊の力は特定の教派の専有物ではない。
使徒パウロは、テサロニケ教会で、自分の行うべき仕事
について説明し、



「私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、
ことばだけによってではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです
(第一テサロニケ1:5)」




と語った。




それならば、クリスチャンは自分が生きている全ての領域において、
聖霊の力を体験できるはずだ。




(中略)



事実、職場での伝道も、ごく自然な会話をしながら、
福音の話をしていくというやり方もあるが、その時に、
聖霊の力を見せることが出来れば、


それは、はるかに実りが大きいものとなる。



主も、弟子たちに、福音の証人になるようにとおっしゃりながら、
「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、
あなたがたは力を受けます」


と語られた。



職場の同僚の中で、問題を抱えている人たちのために祈り、
その問題が、解決されるという経験をしたならば、



それを通して、聖霊の力を実感することができるし、
はるかに実り多い伝道となることが、期待できる。






職場が危機に直面した時、
クリスチャンたちが集まり、祈ることも、
聖霊の力を示す機会となる。




以前、ある企業の中で持たれている宣教会の、
早朝祈祷会にて、御言葉を語って欲しいという依頼があった。


職場内で、早天祈祷をするということにも驚いたが、
早天祈祷をする理由が、問題を抱えた会社のためだという
話を聞き、



本当に感動を覚えた。



その会社は、キリスト教と関係のない会社であったが、
クリスチャンの従業員が、聖霊の力の道を開いて下さったのだ。



社長は勿論、多くの従業員が、彼らの祈りを通して、
聖霊の力を間接的ではあっても、体験したのではないかと思う。




このように、聖霊の力を仕事の場で示してみると、
次第に職場を変えることが出来る。












かつては、職場で起きる不条理や不義を、団体の力を
借りて、解決しようとした。



しかし、多くの場合、そのような努力は、世俗的なものへと
変質しやすく、政治的に利用されることが多い。


本当に職場の変化を臨むクリスチャンは、
職場を物理的な力で変化させようとするよりも、



むしろ霊的な力で変化させるようにするべきである。



職場で働くクリスチャンが、職場を変化させようと
するのであれば、まず、自分たちがいる職場に、


神様の国が臨むように、祈らなければならない。


使徒パウロが王と高い地位にいる、全ての人のために
祈りなさいと言っているが、
これはすなわち、


私たちが敬虔であり、慎み深くいる中で、穏やかに、
そして、平安に生活するためである。



これと同じで心で、会社の事業主や、
その組織の責任者のために祈るべきだ。




彼らが神様を信じない人たちだとしても、
会社を経営する上で、神様の意思通りになるよう、
祈るのだ。



(to be continued...)

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この記事を読み、あることをが、思い出されました。





以前働いていた職場での出来事を、
思い出されました。



その職場では、ある一人の女性スタッフによって、
多くのスタッフが、振り回され、


けれども逆らえずに、


精神的にも、肉体的にも、疲れきり、
誰もが、苦しんでいました。



皆が、どんどん痩せていき、顔色も悪くなり、
笑顔さえもでなくなってしまっていました。



そして、あたしは、そんな彼らを見て、
とてもとても、憐みの心で、いっぱいになったのです。



だから、あたしは、堪らず、
切に、涙を持って、神様に祈りました。




彼らを憐れんで下さい、彼らに癒しを与えて下さい、
彼らを救って下さい、彼らを助けて下さい神様…


身も心も、疲れ果て、苦しんでいます…と。



そして、ある時、あたしは、一人のスタッフに、
ごく自然な笑顔を見せ、ごく普通に、


お疲れ様、と、声をかけたんです。


でも、それは、聖霊様の導き出した。



あたしが、意図した行動ではなく、
聖霊様が働かれたのです。



そして、その時、
“癒された”
という確信が、心に広がったのです。





幸いなことよ。
弱い者に心を配る人は。
主はわざわいの日にその人を助け出される。

主は彼らを見守り、彼を生きながらえさせ、
地上でしあわせな者とされる。


どうか彼を敵の意のままにさせないでください。

主は病の床で彼らをささえられる。
病むときにどうか彼を
全くいやしてくださるように。(詩篇41:1~3)







そんなことが、鮮明に、思い出されました。




あたしは、どこかで、神様の力を現わされるのは、
教会や、クリスチャンの兄弟姉妹だけで、


祈りも、伝道をしていないのに、
まずその祈りからでないといけない、


と、勝手に制御してたことを悟りました。





そして、分かりました。



どの場所においても、神様はおられ、
人を憐れむ、愛を持って行うことは、


どんなことであっても、相手が誰であっても、


神様の心を感動させることが出来るのだ、
ということを。










ハレルヤ!




この続きは、また、次回、
アップ致します。


次回は、
職場を通じての世界宣教」です。


次回で、完結です^^





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