順空和尚の一分で読めて一生忘れない悟りのお話メルマガより
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【追善のための一文字法話26 -孝-】
生きていて何が嬉しいかといって「誰かの生きる力になれた」と実感できることほど嬉しいことはありません。
中でも「自分の子どものために、自らの力が役に立った」という時、私はこの上ない幸福感を抱きます。
そして思うのです。
そうした幸福感覚は、〈この世〉と〈あの世〉と場所を隔てても、すなわち、お浄土に旅立たれた存在においても同様ではないかと…。
世間では「孝行をしたい時に親はなし…」とよく言われますが、仏教には「生前の孝行は孝養、没後の孝行は供養」という言葉があります。
親に限らず、先に逝ってしまった家族に対して、私たちは
「ああしてあげればよかった…」
「もっとこうできたのに…」
という後悔の念を抱くのですが、“その人”に対して「孝を尽くす」のは、今からでもけっして遅くはありません。
その気持ちは「供養」という形を通して、相手に伝えることができるのです。
では、なき縁者に対して私たちがしてあげられる「孝行=供養」の中、最上のものは何でしょうか?
冒頭に申し上げたことを当てはめるならそれは、
「子孫・縁者が“その人”と共に過ごした日々を思い出し、“その人”の言葉や面影を偲び、そこから生きる知恵や勇気を受け取って、自らの人生を好転させること」
だと思います。
その時になき人は、
「私は現世を離れてなお、残してきた家族の力になれた!」
という大きな喜びを抱き、幸福感で満たされると考えるのですが、いかがでしょうか?
勿論それは〈親より先に早逝された方〉にとっても同様で、残してきた老親のため、自分の人生が力になれたことに“その人”は安らぎを感じるはずです。
「親父は自分をこう叱ってくれたっけ…」
その人の言葉を思い出して、人生を修正し、
「貧しい中、おふくろは好物を作ってくれたよなぁ…」
その人の苦心を思い出して、自らを奮起させ、
「あなたは私に数えきれない贈りものをしてくれました…」
その人の優しさを思い出して、周囲を思いやり、
「あの子の笑顔は美しかった…」
その人の笑顔を思い出して、感謝の涙で心を清める…
「孝」という字は「老+子」から成り立っているそうです。
老いた者と子とが一つになっているこの文字には、人と人がつながり絆を持って生きる、豊かな精神性が込められていると感じます。
子が親を偲び、また逆に、親が子を惜しむ…。
そこには老と子が混然となって織りこまれる、悲しいけれど美しい〈人生というタペストリー〉が浮かびあがります。
なき人の善を追慕し、自分自身が幸福になること。
それこそがお浄土の“その人”に贈ることができる、最上の追善供養なのです。
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以前の自分と比べると、心に響く言葉に気づくようになってきました。
順空和尚の一分で読めて一生忘れない悟りのお話は
宝地図ナビゲーターの望月俊孝さんが紹介されていて知りました。
感謝!!@あつやん