このところ随分長い間お休みしてしまいましたが、また続けますのでよろしくお願いいたします。


 さて8月24日に「宵待草」のSPレコードコンサートを行いました。

 そのことについてお話しいたします。


 使用したSPレコードは、私が30年かけて集めたものです。

 「宵待草」のSPレコードは28種ありましたが、その中から15点を選んで使用しました。

 ここでまず、私の集めた「宵待草」関係のSPレコードを紹介いたします。


男性独唱(3点)

 内木実

 奥田良三

 藤原義江

 

女性独唱(10点)

 井上協子

 川路美子

 三枝喜美子

 柴田秀子

 高峰美枝子

 長門美保

 中村淑子

 ベルトラメリ能子

 三浦環

 四家文子


楽器演奏(8点)

 佐藤秀郎(ハーモニカ)

 杉田良三(バイオリン)

 ディック・ミネ(ハワイアンギター)

 長内端(アコーディオン)

 バッキー白片(アロハハワイアン)

 前野港造(サキソフォン)

 マルセル・モイーズ(フルート)

 モーリス・マルシャル(チェロ)


ダンスミュージック・オーケストラ(7点)

 コロンビアオーケストラ

 リーガル・ジャズバンド

 レコーディング・ジャズバンド

 コロンビア

 キング

 ビクター

 ウィーン・ボエーム


             計28種


 今回この機会に夢二作詩の「宵待草」についてもう一度じっくり調べてみました。

 この詩を作ったきっかけは、夢二が好きな女性と会う約束をしたのに、その時間に女性が待っても待ってもこない、そんなせつない思いにかられたときに浮かんだもののようです。長田先生の調査によると「宵待草」の原詩は明治45年6月1日、雑誌「少女」で発表されたもので、もとは次のような8行詩でした。


 遣る瀬ない

 釣鐘草の夕の歌が

 あれあれ風にふかれて来る。

 まてどくらせど来ぬ人を

 宵待草の心もとなき

 『おもふまいとは思へども』

 われとしもなきため涙

 今宵は月も出ぬさうな。


 


館長のブログ-宵待草「少女」
「少女」第四巻六号 明治45年6月1日


さて原詩を作ってから約1年半の間に夢二はこれを練りに練って3行詩にまとめました。この詩を大正2年11月5日夢二著、小唄集「どんたく」の中で

 最初の8行詩は「遣る瀬ない」と断定的に始まり、また長くて要を得ず、理論的・観念的な気がしました。

 94文字を36文字に縮め、これ以上削ることのできない素晴らしい詩になったと思います。

 3行詩になったことで、宵待草の詩が多くの人に共感を呼び、誰の心にもすぽんと入る名作。

 これは夢二の心を見事に言葉にしたものだったからです。

その心が多くの人の心に感動を呼んだのではないでしょうか。

 作曲家の多忠亮はこの詩を一読してすごい感銘を受け、そして夢二の許しを得て、あの名曲が生まれたのです。

 その結果「宵待草」は数倍の感動を呼び、歌い続けられています。

 昭和13年松竹で宵待草が映画化されたとき、高峰美枝子が歌を歌い、それに西条八十が2番をつけました。その2番は


 暮れて河原に星ひとつ

 宵待草の花が散る(のちに花の露と変更)

 更けては風も泣くさうな。


 さてこの2番は西条八十が夢二に「君が書いてみたらどうだ」と言われたので作ったと言っています。

 西条は有能な詩人ではあるけれども、この2番が夢二の心と同じ様に感じて作ったのではなく、理論的に頭で作ったような気がしました。



余談になりますが、柴田秀子の「宵待草」の裏面には、同じ夢二作詞、多忠亮作曲の「花をたづねて」という曲が入っています。

これと比較をすると「宵待草」がいかに優れているか、はっきりわかると思います。


それにしても同じ曲が28回もレコードになり、世に残ったことはこの「宵待草」がいかにすごいか如実に物語っているように思います。

このSPレコードコンサートはまれにみる、1つの曲を15種の演奏できいていただいたのですが、前奏の長さやフレーズのリピートの仕方など、変化にとんでいてとても面白く感じていただけたようです。

皆様も機会があったら、是非「宵待草」を聞きに記念館にいらしゃって下さい。。



 待てど暮らせど来ぬ人を

 宵待草のやるせなさ

 今宵は月も出ぬさうな


と発表しました。

さらに、今年はコンサートを4回開催する予定です。


①「歌で綴る夢二のロマン」(要予約)
歌/竹久 晋士(竹大和) ピアノ伴奏/桜 京子 朗読/富永 悦子(嫩子(ふたばこ)
2009年5月24日(日) 午後2時より

館長のブログ

         竹久晋士(竹大和)


 竹久夢二の詩に小椋桂が作曲をした「あけくれ」というアルバムがあります。この歌を歌った竹久晋士は夢二に深く心酔し、夢二の次男不二彦氏が名付け親となったアーティストです。また、彼は日系3世で、母親は夢二がアメリカに渡っていた時、夢二と面識がありました。
 竹久夢二の心をこの人以上に理解して歌える人はおそらくいないと思います。ですから必ず夢二のロマンを皆様に心地良く伝えてくれると思います。


②「第1回 ピアノで奏でる夢二のロマン」(要予約)
ピアノ/安達 淳一
2009年6月28日(日) 午後2時より
 日本の生んだ天才(音楽家で夢二のような人)ピアニスト(前橋在住)。まるでピアノと一体化したようなその演奏・・・夢二の宵待草やクラシックなど名曲の数々をお楽しみください。


③「歌と朗読で紡ぐ夢二のロマン」(要予約)
歌/大滝 てる子 ピアノ伴奏/長谷川 幹人 朗読/岡本 妙子
2009年9月20日(日) 午後2時より

館長のブログ
        大滝てる子
 
 テレビ東京他で活躍のアナウンサー・岡本妙子、故霧島昇・松原操の三女である声楽家・大滝てる子。愛のあふれる夢二の人生を歌と朗読でつづります。


④「第2回 ピアノで奏でる夢二のロマン」(要予約)
ピアノ/安達 淳一
2009年11月8日(日) 午後2時より
 要望が多く、今年は2回、このピアノコンサートを企画しました。


どれも魅力あふれる素晴らしいコンサートです。皆様お誘い合わせのうえ、ぜひお越しください。(各回定員100名限定)

 しばらくブログをお休みしていましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、今年は竹久夢二生誕125周年の年になりますので、当館でも様々な記念事業を開催致します。


 まず企画展は二つの大きな柱で構成いたします。
1つは「竹久夢二山へよする物語」です。
夢二と永遠の恋人彦乃は大正三年、東京日本橋港屋で運命的な巡り会いを果たします。
 人目を忍んで彦乃は、ひそかに想いを手紙に託し「山」より「河」様へ
 夢二はそれに応えて「河」より「山」へと切々と書き送りました
 京都で待つ夢二のもとへ思い余って彦乃は逃避。そこで幸せな日々を送ります。しかし幸せはつかの間、彦乃は胸を患い父親に連れ戻されてしまうのです。大正九年、彦乃は病床で夢二の名を呼びながら二十五歳の短い一生を終えました。こうして二人の恋はたった五年間で幕を閉じます。
 夢二、三十七歳のときです。その心の深い悲しみは生涯消えることはありませんでした。
夢二は詩人として、画家として、一人の女性への愛をうたい、絵画に描きました。その作品を、写真や二人の恋文と共にご紹介いたします。二人の愛の物語をぜひご覧ください。
 会期は2009年5月23日(土)~2010年3月20日(土)です。


 2つ目は「夢二の挿絵と幅広い芸術の世界」ですが、夢二の挿絵は優に1万点を超えます。今まですべての挿絵をご覧になった方はほとんどいらっしゃらないと思います。この企画展では当時の出版物を用い、毎月100図ずつご覧いただきます。またそれと合わせて、3か月に一度、作品を展示替えいたしますので、いついらしても違った作品をお楽しみ頂けます。


 それから、「黒船屋」の特別公開も例年通り9月に行います。公開期間は2009年9月9日(水)~9月23日(水)で、予約が必要です。詳しくは電話でお問い合わせください。


江戸時代、絵画の印刷は手摺木版に頼るしかなく、色数をたくさん使い、できるだけ写実的にしようとした傾向を感じます。写実的に描けば描くほどそれらが生きた人間から遠ざかっていく欠陥が見受けられます。夢二は対象をあまり写実的に表現しなかったことによってかえって物の本質をとらえ生き生きと表現できたのだと思います。夢二の作品と他の作品と比較した場合、幕とか布とか着物とかの素材感はどちらが優れて表現されているでしょうか。夢二意外はあまり写実的に表現しようとしたので、それらの素材感がそがれているように思います。


以下、何点か夢二の版画と他者のものとを並べてお目に掛けますので、その違いを皆さんの目でよみ取ってください。



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江戸時代の版画の方が彫りも摺りも技術的に優れていたように思われますが、大正時代のそれも決して劣っていたのではありません。むしろ優れていた面も多かったのではないでしょうか。だからこうして江戸時代の浮世絵の枠を超えた作品が生み出されたのだと思います。

③木版画


(三)夢二の浮世絵と江戸の浮世絵との違い


夢二の木版画はその製作工程が江戸時代のものとまったく同じだったので、あえて浮世絵と呼ばせて頂きます。


まず江戸時代と夢二の活躍した大正時代との大きな違いは、絵画を印刷するのに江戸時代は木版画で摺る以外にまったく他の方法がありませんでした。しかし大正時代に入ると印刷技術が飛躍的に進歩し、あえて手摺木版でなくても絵画を印刷することができるようになりました。


技術がどんなに進歩したとしても、手摺木版でなければ表現できないものがあり、夢二はそこに気がついていたのでしょう


まず多色版画の工程順序は色分けから始まり、そしてその色数によって版木の枚数と摺りの回数が決まります。最初に決められるのは墨線(輪郭)でしょう。その輪郭で両者を比べてみると江戸時代と夢二のものとの違いが歴然とします。


ここで、具体的な事例として、喜多川歌麿の「青楼七小町 鶴屋内 篠原」と夢二の「一座の花形」をお目に掛けましょう。まず両者の違いを輪郭で見てください。


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歌麿は髪の毛の一筋一筋、また髪飾りの輪郭をきちっとした線で囲んでいます。着物の輪郭は硬く、すごく直線的です。それに対して夢二の「一座の花形」の髪の描写や髪飾りの輪郭と比較するとその違いが良く分かります。


次回は何点かの事例を見て両者の比較をしたいと思います。