簡単にわかる塩の歴史 | がん副作用に負けない!!輝く女性の健康知恵袋!!

簡単にわかる塩の歴史

塩は私たちの生活に非常に欠かせないものですが、一体いつから作られるようになったのでしょうかはてなマーク


まず、塩作りが始まったのは、穀物中心の食生活に変化した縄文時代の終わり頃から
始まったのではないかと言われています。


最初の製塩は、海藻を燃やし後に残った灰を塩味として使っていました。

灰の状態なので、きっとおいしくはなかったと思います汗



弥生時代になると、海藻を焼かずに太陽で乾燥させて、そこに海水をかけることにより
濃い海水を取り出して、土器で煮詰める方法が発達しました。



奈良時代になると既に「塩浜」と言われる、浜を利用した塩つくりが行なわれました。

また、安土、桃山時代になると瀬戸内海のほか、各地で塩田による製塩が行なわれるようになりました。


当時は「揚げ浜式塩田」といって、海水を浜に撒き、天日で乾燥させることを繰り返して行い、塩の結晶がたくさんついた砂を集め濃い塩水をとることにより塩を作る方法が取られました。


ちなみに今でもこの方式で作られている塩が能登半島で見られます。


その後、この砂を「沼井(ぬい)」と言われるろ過装置のような場所に集め、海水を注ぎ、砂に付着した塩の結晶を海水に溶かすという方法に変わりました。

この方法を「入り浜式塩田」と言い、約300年、昭和30年代まで続きました。


「入り浜式塩田」と平行して、昭和22年頃には、電力を用いた「流下式塩田」が始まりました。


これは海水をポンプで吸い上げて、流下盤という小石の斜面に海水を流し込み、次に枝条架という立体装置に海水を少しずつ流し、天日と風で段階的に塩水の濃度を高めていって、最終的に釜で煮詰めて塩を作る方法です。


陽射しの弱い冬でも安定生産ができ、「入り浜式塩田」と比べて生産量は2.5倍~3倍と大幅に増加し、労力は 10分の1になったと言われていますえ゛!


そしてその後、イオン交換膜製塩法という、イオン交換膜を利用して、塩田と同様に海水の塩分濃度を濃くしてかん水(海水より塩分濃度の濃い塩水)を作る技術が発達していきました。

これは、電力を利用して海水中の塩分を集める方法です。


しかし、このイオン式交換膜製塩法で作った精製塩は、あろうことかミネラルは吹っ飛び、純度99%のナトリウムのかたまりでしかない、自然塩とは全く違う化学塩だったのです汗


また、追い打ちをかけるように、昭和47年に「塩田法」が施行され、今までの製法で自然塩を作ることができなくなり、「イオン式の塩だけしか認めません!」ということになってしまったのです。


この塩田法は、消費者から選択の自由を奪ってしまいました。


イオン式の塩が人体にもたらす影響の学術的な裏付けもとらないまま、高度に精製された化学塩を
日本人は20年以上も強制的に食べさせられていたのです。


その後、平成9年にようやく塩田法は廃止されましたが、未だに自然塩の普及率は低いのが現状です。


大自然のミネラルをたっぷりと含み、生命のエキスである自然塩は、人にとって必要不可欠なものです!!


しかし、現代の日本人のほとんどはこの自然塩が不足しているために、冷えやむくみ、体力低下を始め様々な症状を引き起こしています。



私たちは、自然の恵みである「塩」についてもっともっと勉強して、正しい知識をつけることが重要であると感じています。


そして、一日も早く化学塩がなくなり、質の良い自然塩が再び普及していくことを願っていますうえ




次回は「減塩のウソ」をお送りしますケアベア ピンク