御礼 | ゜〇。.。.。☆ Make YOU graceful ☆。.。.。〇゜  

御礼


ご報告がたいへん遅くなりましたが、15日の木曜日に無事に告別式を終えて、アトムはお骨になって

再び我が家に帰ってきました。


14日のご報告以降、本当にたくさんの方から温かいお言葉をいただき、また東西女子野球部のみなさまを

はじめ、ブログでの交流を通じてたいへんお世話になり、また仲良くしていただいていたみなさまが、

アトムのために追悼記事を書いてくださいました。


なんとお礼を申し上げたら良いのか・・・感謝の気持ちは言葉では言い表せません。


まだなかなか心の整理がつかず、お一人お一人にお礼をお伝えできていないことをお詫びいたします。




このブログの主役はアトムです。


すごくつらいけれど、最後まで前向きに、懸命に闘ってくれたアトムのがんばった姿を、みなさまにも

お伝えしたいと思い、記録として残していきます。


とりとめのない文章になってしまうと思いますが、どうぞお許しください。



今日は最後の3日間のことを書きます。


10日の土曜日に内視鏡検査を問題なく終えて、月曜日か火曜日にも退院できる目途が立った矢先の

翌日曜日の朝、再び誤嚥性肺炎を起こしてしまい、夕方ちょうど私たちが面会に行った時に酸素室に

入りました。


もしかしたら、日曜日の夕方の面会の後そのまま退院になるくらい元気になっているかも、と期待して

いた分、家族のショックは大きかったです。


月・火曜日のお昼に3人で会いに行った時には、酸素室のガラス越しに5分程度の面会でした。


月曜日は普通に伏せた状態で気持ち良さそうに寝ていましたが、火曜日に行った時も寝ては

いたものの、ちょっと目がとろんとしていて、枕替わりのタオルから頭も落ちていました。


でも、ぐっすり眠れることは良いことですし、日中も先生が夜中に何度か見回りをしてくださった時も、

自分で寝る位置を変えたり、おしっこもちゃんと酸素室の隅っこの方にするようにがんばっていたり

状態は落ち着いているということでした。


肺炎と闘うのに不可欠な白血球の数も、月曜日にはかなり減少してしまっていたのが、火曜日の

午後にはずいぶん回復していたそうです。



そして、14日の水曜日の朝。


この日は病院の休診日で、午前中に電話をして様子を伺うことになっていました。


朝いつも通り起きて出社の準備をしていた7時55分に、父の携帯が鳴りました。


「突然呼吸と心拍が停止して、蘇生措置を行っているのですぐに来てください」と。


さらに、病院に向かっている途中で、「蘇生が難しい状況なので、これからお体をきれいにします」

という連絡が入りました。


病院に着いた時、アトムの体はまだ温かかったです。


先生によると、この日の夜中も明け方も、動くと少し呼吸が荒くなる程度で状態は落ち着いていたのが、

最初の電話の2~3分前に突然呼吸が止まってしまったということでした。


先生がアトムの体をきれいに整えてくださった後で再び診察室に入ると、そこにはまったく苦しんだ様子も

なく、今にも起き出しそうな穏やかな寝顔をしたアトムがいました。


お近くにお住いのsweetyさんが、病院に駆けつけて最後のお別れもしてくださいました。

sweetyさん、寄り添っていてくださって本当にありがとうございました。)



車の後部座席で母と2人でアトムを膝に横たえて家に帰る途中、近所のお散歩コースを回って

帰ってきました。


アトムにも見えていたかな?


家に帰って真っ先に、家の中でもアトムが一番好きだった母のベッドに寝かせてあげました。








眠っているようにしか見えない、安らいだ穏やかなお顔でした。



アトムが帰ってきてから、両親といろいろな話をしました。


アトムは本当に親孝行で、12月に母が10日間入院していた間、夜は私と寝ていましたが、

その間あれだけ続いていた嘔吐を1度もしませんでした。


そして12月末に最初の肺炎で入院した時も、実はかなり危険な状態だったのに、がんばって

乗り越えてくれました。


あの時万が一のことがあっても、両親はインフルエンザで倒れていたので何もできませんでしたから。



最後の半年、心から信頼できる素晴らしい先生と巡り会うことができ、最善を尽くして治療にあたって

いただいて、最期を看取っていただくことができました。

(昨年の6月に今の主治医の先生と出会っていなければ、早晩アトムは命を落としていたと思います。)


それに、アトムはうちの子になって幸せだったと絶対に思ってくれている(家族全員溺愛でしたから!!)と

いう自負もあるので、3人とも後悔の気持ちはありません。


アトムが抱えていた消化器の問題は、手術では治すことができない神経的な問題で、今後は嘔吐を

防ぐために、更にたくさんの薬を飲み続けていかなければなりませんでした。


両親からは、アトムがそんなつらい思いをしないように神様が楽にしてあげたのではないかと言われます。


それは頭ではわかっているんです・・・けれど・・・


あまりにも突然の急変で、心の準備がまったくできていませんでした。


そして、これから毎日誤嚥に注意しながら、つらい投薬をしていかなければならないけれど、それでも

私はアトムと一緒に闘うつもりでいたから、チャレンジさせて欲しかったというあきらめのつかない思いが、

この3日間ふとした瞬間に頭をもたげて苦しくなってしまうのです。


この試練を糧にして、人間としてひと回りもふた回りも大きくならなければいけないと思いながらも、

悲しくて、さみしくて、不安で、この苦しみを乗り越えられる自信が今はまだ持てません。


時間が解決してくれるというけれど、それも想像できない。


こんな弱音を吐いて、またみなさまを心配させてしまって申し訳ありません・・・。



もちろん、アトムともたくさんお話ししました。


3週間大好きな家族と離れて、本当に本当によくがんばったねと、いっぱい褒めてあげました。


この日すごく不思議なことがあったんです。


アトムが帰ってきてから、家の中が極々小さくですが、断続的にカタカタと揺れていました。


地震もなかったし、近所で工事をしているわけでもなかったのに。


アトムと話している時にふと気付いて、「アトムなの?」と話しかけたら、部屋の壁がパンって鳴ったんです。


きっと、アトムが大好きな家に帰ってこられた嬉しさで、家の中を駆け回っていたんだと思います。


たまたまだったのかもしれませんが、こんな風に考えて心和んでいる自分がいます。




お礼が遅くなってしまった上に、ずいぶん長くなってしまって申し訳ありません。


金曜日から仕事にも復帰しましたし、少しずつ普段の生活に戻していきたいと思います。


明日は近所の神社でアトムの慰霊をしていただいてきます。


告別式のことなど、またご報告させていただきます。



みなさま、本当にありがとうございます。