おべんと あらため なんとなく?備忘録

おべんと あらため なんとなく?備忘録

過去記事は下の娘の高校時代のお弁当。
ときどき旦那もキャラにぎりorお絵かき弁当を担当してました(^-^;

と、あっという間に子供たちは社会人に・・。
そして在宅の仕事をしながら、父の身の回りの世話をする日々にシフト。

どれもこれも頑張ります!

5年ほど前、枚方の京阪園芸さんに寄ったとき、

ふと目に入ったのが、ポポーというアメリカでは野生らしいアケビの一種の鉢植えと

セレージャという実はアメリカンチェリーみたいだけれど、そうじゃない実が出来るという鉢植え。

 

二つとも家で育てることにした。

が、なかなかこれが実にならず。

というか、セレージャはいまだに花を咲かせたことがない。

 

ポポーは2~3年前から花は咲かせるものの結実させることがなかった。

花は春先に咲き、最初は緑色からやがて紫色になり、下向きに花が咲く。

大きさは3センチほどだろうか・・。結構おおぶりの花。

 

そしていつもは花の茎の根本からぽろぽろ落ちていくのに、

今年は一つだけ花のあとめしべが恐竜の爪みたいになり、そこが膨らんできた。

これで3~4センチというところだろうか。

 

暖かくなるとともに少しずつ大きくなってくる。

 

初めてのことなのでいったいいつ収穫するのかも分からず、

とりあえず育つのを見守っていた。

夏には10センチちかい大きさ。

 

そうしたら、先週。実が枝から落ちていた。

 

鉢についていた説明書きによるとバニラの味がするとか・・。

包丁で切ってみる。

 

実の硬さはマンゴー。味はメロンとマンゴーを足した上の濃い感じ。

 

種の大きさは柿くらいかな。

1つの実に4~5個の種。

で、出てくるかどうかはわからないけど、種を水に浸して発芽するか待っている。

 

初めてのポポー。想像以上に美味しかったです。

来年はもっと出来るといいなぁ。

5月末に上の娘が男の子を出産し、

二人のばあばとなりました。

 

前回、下の娘のときに長年の願いだった

ベビードレスを一緒に作ったのだけれど、

今回も上の娘と一緒に作りました。

 

型紙は一緒で、飾りやリボンは上の娘の好みで・・。

 

これで十分、私の夢が叶いました。

私のわがままに付き合ってくれた娘たちに感謝!!

 

そして先週、娘と赤ちゃんは帰っていき、通常運転に戻りましたが、

いきなり静かになって、家の中ががらんとして、

なんだか不思議な感じです。

 

もともとそうだったのにね。

 

今は撮りためていた録画を隙間時間に順番に見ています。

 

今日見たのはBSプレミアムでやってた

国宝 鳥獣戯画。

44メートルもあって、4巻ものとは知らなかった。

そして平安~室町時代の絵なのに、ウサギもカエルもサルも、

あんなに表情豊かに笑い顔ばっかり描かれているとは知らなかった。

 

まだまだ知らないことだらけだわ。

 

半月ほど前のことだったか、

日曜朝9時ごろに父宅の雨戸を開けに行ったところ、

父宅前で私の同級生の弟君と70代後半と思われる年配の女性が立ち話をしておられた。

 

「あの・・」と、弟君。

「この方、ご存知ですか?

 ちょっと道が分からなくなってしまったらしいんです。

 住所はおっしゃるんですが・・」

 

住所からすると1kmほど離れたところから歩いてこられた様子。

でも自分がどこに行こうとしているのかも分からない様子。

ご自宅の電話番号も分からなくて、

ご家族と一緒に住んでおられるかどうかもよく覚えていない様子だった。

 

で、近所の交番に弟君が電話をして、お巡りさんに来てもらうことにした。

 

そこへもう一人ご近所のおばちゃんが出てこられた。

 

「あれ?半年ほど前にも道が分からなくなったって、

 ここに来られましたよね?覚えてはりません??」

 

とたんに女性の顔色が曇る。

 

おばちゃんは普段から世話好きの方で、父も随分お世話になったので、

悪気は全くなく、たぶん、前回のことを話せば

いろいろと思い出すのじゃなかろうかと思われたようで

何度も

「前回も道を忘れたと言ってはったよ。

 住所も言ってはったよ。覚えてはらへんかなぁ?」

と繰り返される。

 

でも女性はますます自分が分からなくなったことに不安が増したのか、

「申し訳ありません。ご迷惑をおかけして」

と、お詫びとともに住所を繰り返して話される。

 

おばちゃんが何かを思い出させようと、一生懸命、前回の話しをするのも分かる。

その一方で女性が分からないなりに、周りに迷惑をかけてしまっている。という

気持ちも痛いほどわかる。

 

弟君が

「じゃ、すぐにお巡りさんが来られると思うので、

 あとは僕が待っときます」

と、言ってくれたので、私も父宅の用事を済ませて帰宅した。

 

すれ違いざまにお巡りさんがバイクでやってきた。

 

そやわな。パトカーでおうちまで送られたら、ご近所に目立って仕方ないわな。

でもそしたら、あの薄着のままご家族がお迎えに来られるまで寒空の下なんやと思うと

やっぱり断られても、何か羽織るものを父宅から持ち出してくれば良かった。

と、後悔。

 

その日の夕方。今度は父宅の雨戸を閉めに行く最中。

ときどき見かける年配男性。

 

少し小柄な父と背格好が似ていて、豊かな白髪も良く似ていて、

後ろから見ると、毎回、一瞬見間違えそうになるくらいの方。

 

あっ。と、思いつつ、いやもう父はグループホームに入ってもうすぐ丸二年やし。

歩行もままならなくなってるし、

コロナで面会中止になっていて去年の9月ごろから全く会えてないし。

 

いやほんと、もっと元気なときに、もっといろいろしておけばよかった。と、

今さらながら・・。

 

今となっては、父宅の雨戸の開け閉めや空気の入れ替えと

たまに室内、ちょこちょこ庭の掃除するくらいが関の山。

 

年配の女性も、父にそっくりな男性も、父も、

みんなみんな風邪をひかんようにね。

気が付けば4か月近くブログをアップすることもなく、

年が明けたどころか、もう1月も終わり。

 

去年は10月の終わりに父が入居するグループホームから連絡があり

父の高熱が引かない。ということで、救急搬送されたけれど、

コロナではなく、尿路感染症で10日ほどで退院出来た。

 

11月からはグループホームも短時間の面会が可能になり、

4月の入居以来、直接会うことが出来るようになったけれど、

父は私のことも分からないことが多く、職員さんに「この人だれ?」

と、聞いていたが、会う回数が増えると少し分かってきた様子。

 

12月末には上の娘、そして下の娘が孫娘と一緒にそれぞれ帰省してきたので、

4人で父に会いに行ったら、孫娘に反応してくれた。

 

そんなわけで、年末年始は娘たちと孫娘の5人が思いがけず揃ったので

どこにも出かけることなく、自宅でゆっくりした。

 

迷惑だろうが、おじい猫はされるがままで虎のかぶりものをかぶらされる。

 

そして日常が戻ってきたここ最近。

困ったことが起こりつつある。

 

掃除機。 紙パックを替えてもあんまりゴミを吸わない。

洗濯機。 風呂水を吸ってくれない。水量設定が勝手に少なすぎたり多すぎたり。

一気に壊れるのはやめて・・。

 

そして父宅の庭木の剪定をしていたところ、細い幹を小さく切り分けていた

我が家で一番古い電気製品のジグソーが急にぐらぐらしだす。

 

見ると、バリバリに割れかかっている。

多分、四半世紀は働いてくれたであろうジグソー。

ありがとう。長い間。

というわけで、まだ父宅庭にはかなりの長さのものが

切り倒したまま、たくさん残っているので、新しいのを買った。

ありがとう。コーナンさん。これからよろしくリョービさん。

ほんで掃除機と洗濯機はもうちょっと頑張って・・。

この前の日曜、朝早くから少しお出かけした。

 

夫婦や家族で車で出かける時、

よくやるのが、通ったことのない脇道を通って目的地に向かう。

という遊び。

 

今回はそこで大量に道路わきに落ちている栗を発見。

 

自然の柴栗。

 

丁度時期が良かったのか、ぽろぽろといがが落ちてくる。

はい。拾いました。拾えるだけ。

 

そのまま久しぶりに奈良の室生寺に。

 

ここで一番楽しみにしてたのは門前にある草餅。

 

朝早いご褒美はつき立てのほっかほかで柔らかいお餅。

私は漉し餡のほうで。

 

そして山の芋も売っていたので、それも買った。

 

晩御飯は栗ご飯と山の芋をすった。

 

味付けは塩だけの新米の栗ご飯。

本当に美味しかった!!

 

そして父宅の金木犀も満開になり

 

昼はまだまだ暑いけれど、秋も着実にやってきてるね。

 

 

 

7月にベビードレスを仕上げ、

8月初旬に無事、娘は女の子のお母さんになった。

 

産まれる1時間ほど前に、とても美しい夕焼け。

 

どうかどうか素晴らしい人生になりますように・・。

 

そして、5日後には母子ともに退院。

 

自分の子育てのときは、あれだけ3時間おきの授乳がしんどかったのに、

娘のサポートながら、なんとかほぼほぼお手伝い出来ている。

老化で睡眠時間減ったか?

 

それとも、ババ馬鹿発生か??

赤ちゃんの可愛さにメロメロ。

 

が、1か月検診を母子とも問題なくクリアして、

9月中旬には、我が家から娘たち家族の家へ帰っていった。

 

ぷにぷにしたほっぺや手足を触れない寂しさはあるけれど、

私にはそれを紛らわす仕事があってまだ良かった。

 

ちょうど、里帰りと同じ時期に仕事用のFAXとコピー機が同時に

危うくなってきた。

一日たりとも無い状態では仕事が出来ないので、事前にと家電量販店に行くと・・。

 

知らなかった・・・。

 

コロナで半導体の生産量が落ちているから、車の生産が出来ないという

ニュースは知っていたけれど、

まさかのFAXやコピー機もほとんどが軒並み1か月以上待ちの状態。

 

選択する余裕もなく、とりあえずすぐに手に入るものを購入したが、

FAXは取り寄せでぎりぎりセーフだった。

いやはやこんなことになっているとは。

 

そんな、まだまだ落ち着かないコロナの状況の中、

どこへ出かけるでもないので、ぼーっと玄関先のオリーブを眺めてた、とある日。

 

葉っぱの先にある門柱に変なものがいくつものっかっている。

大きさは長さ1cmくらい。直径は5mmくらい。

手りゅう弾のような縦横のぼこぼこの模様がついている。

 

 

なんだこれ?

と、思ったら、自主規制しますが、

超巨大はらぺこあおむしでした。

胴回りの直径は1.5cm。身長は10cmほどでしょうか?

りっぱなうんちだったようです。

 

巨大な蝶になるのか蛾になるのか分かりませんが、

とにかくうんちの巨大さと精巧さにびっくりした次第でした。

 

そのあとは砂利の下に歩いていったので、

どうなったか不明です。

何やったんやろ?あの子は・・。

 

そして今日は父宅でむかごを取ってきました。

晩御飯はむかごご飯。

 

むかごって炊くと、なぜかマヨネーズの匂いがするんよね。

山芋の子供やのにね。

不思議。

今年初めての鱧の湯引き。

梅肉と酢味噌で頂いた。

美味しかった。

 

さて、あと1か月ほどで初孫が産まれる予定。

ずっと前からやってみたいことがあった。

 

亡くなった母が私に作ってくれたウエディングトレスをリメイクして

娘と一緒にベビードレスを作ること。

 

と、いっても中学の家庭科のパジャマ以来、

らしきものは作ったことがない。

 

母が洋裁を仕事としていたので、

ちょこっとコツなどは教えてもらった記憶があるが、

その記憶も定かではない。

 

けれどやってみるものやね。

ギャザーの寄せ方やバイアステープの端の処理も思い出せたし、

「不器用やし・・」と不安がっていた下の娘も

一生懸命、一針一針ミシンを手回しで(電動で進みすぎて歪むのが怖かったらしい)

無事出来上がった。

 

ビジューは私のドレスから

 

 

レースはそのままケープに

 

 

重ねてこんな感じ。

とても可愛くなった。

 

母子ともに元気でありますように・・。

 

その後も少しずつ父宅の片づけをすすめ、

捨てた袋は100を超えた。

 

そして父宅庭のツツジ・サツキは、6月に剪定しなくてはならないので、

平日の仕事前に1時間半だけ、脚立に乗って、枝切りバサミやのこぎりで

枝を切り落として袋詰めを時間を切ってやっている。

 

涼しいけれど、丁度、蚊も活動する温度帯なので、

長袖・長ズボン・網をかけた麦わら帽子・首にはタオルの完全防備でやっているのだけど、

やっぱり暑いよね。

 

6月初めは一重のクチナシが

 

そのあとからムクゲ

 

八重のクチナシ

 

と、咲き出した。

クチナシも花が落ちたら、剪定時期。

夏までにもうひと頑張り必要。

 

と、今朝も庭仕事をしていたら、近所の方から

「お駄賃」

と、これはアマリリス?

とても綺麗なのを頂いたので、自宅に持ち帰った。

 

一人で片づけているのを見てくれている方もおられて、

少し報われた気がした。

 

我が家の玄関先のブルーベリーは少ないけれど、収穫終了。

ヨーグルトにでも入れようかな・・。

父宅。ドクダミも咲きだした。

 

と、いうか、一昨年くらいから、

父は大好きだった庭の手入れもしなくなり、

結局、私が時間がある時にしかやらないがために

今年のドクダミは居場所をさらに広げ・・。

 

いやちょっとそれは困る。

 

そして去年か一昨年、同じくずっと父宅にあったグミの花も初めて見つけたが、

新たに見つけたのが柘植(つげ)の花。

そやった。濃紺の実はいつも見てたのに、

実があるということは当然花もあるということやわね。

小さい小さい5mmもあるかどうかというような小さい白い花。

知らなかった。

これからも、まだまだ発見があるかな。

 

自宅では鉢植えの小梅が、かれこれ9年かけて、

ようやく本当にちゃんと育って収穫できるようになった。

と、いっても、100g

ジップロックで梅シロップを作ってみている。

ちょっとずつ氷砂糖が溶けてきて、らしくなってきている。

 

さて、建って半世紀以上経つ実家は木造。

 

人の出入りが無いと、朽ちていくのも早いだろうと、

毎朝、雨戸をあけに行き、晴れの日はあちこち薄く窓を開け、空気を入れ替え

雨の日は室内で扇風機をかけ、夕方には雨戸を締めに行きつつ、

朝夕で少しずつ不要物を処分している。

 

この1か月でかれこれ60袋以上、処分したかな。

 

父が働き、ボランティア活動をしていた長い長い期間は

個人情報保護法も始まっていない時代もあったので、

職員名簿が毎年冊子で配られていたし、

シュレッダーの無い時代の仕事場で破棄出来ないマル秘書類は

全部持って帰ってきて、押し入れにしまっているし。

 

というか、昭和30年代のものから書類があるし・・。

 

かといって、処分する判断力も、もうずっと無かったのだろう。

自宅に居たときから、「書類、ほかそうか?」と言うと、

「大事やから触らんといて!」って怒られるし、何もかもがそのままやったのを、

ここんところ、1つ1つ、確認しながら、

そのまま燃えるゴミで出せるか、古紙回収か、シュレッダーかを分けて捨てている。

 

父、几帳面やったので、本来ならそのまま捨てられるものも、

書類・冊子の全ての表・裏表紙に自分の判子を押している。

めずらしい苗字なので、そのままゴミに出すと、ヘタすると身バレするから、

捨てるのも一手間かかる。

 

絶対に開けんといて。と、言われた押し入れにはいくつかの空箱だったり。

母の名前と遺品と書かれた小さな箱。

開けたら、中学・高校の生徒手帳とか、折り紙の切れ端大量とか。

 

折り紙て・・。

 

他には洋裁をやっていたので、その端切れが数枚とか。

50年以上前の服が数着とか。

それが大きな段ボールにちょこっと入っていたり。

 

どう考えても、誰も着ないよ。

 

これらの為に、この押し入れは10年ほど前、

開き戸を折れ戸に替える工事を、ぼったくり金額でやってもらっていた領収書も出てきた。

きっともう何が何やら分からんようになり始めていたのかもしれない。

 

そして戦前生まれの人、あるあるだろうが、

とにかく捨てるのを嫌がった。

 

趣味はそれほど種類は無かったけど、

それに対する量が、それぞれかなりのもの。

そやわね。60年以上かけて残してきたものやものね。

 

私としては早くあらかたのものを処分し終わりたい。

 

まずは、父がグループホームに入る前日に壊れた薄型テレビと

いつか高く売れるかもしれへんからと、どうしても手放さなかった

ブラウン管テレビを処分したい。

 

そしてテレビ台も処分したら、手が届かなかった、動かせなかった

埃まみれの床を掃除したい。

掃除機が入れられないコンセントの差込口も

埃がたまって、火事にならないだろうかとずっとひやひやしている。

 

そのテレビの処分も、下弟が知り合いのテレビ引き受け業者さんまで

「来週持って行くわ」と、言ってかれこれ1か月。

 

埃による火事が怖くて、早く片づけたい。掃除したい私。

急ぐことと違うと思い、掃除にあまり興味がない下弟。

 

テレビ2台は、どこに持って行こうが、リサイクル料金は決まっているので、

もう父が懇意にしていた電気屋さんに持って帰ってもらうことにした。

 

そして父が大切にしていたアップライトピアノ。

これも、ずっとピアノの後ろ側のドアを閉めたままだったので、

少しカビが出始めている様子。

 

慌てて下弟の了解を得、引き取り業者さんに相見積もりを出した。

これ以上、劣化させるのはピアノも可哀そう。

 

あ、ピアノの引き取りは、

絶対に相見積もりをしたほうが良いと思いました。

引き取り金額がピンキリです。

製品番号の調べ方はネットで載っています。

 

あとはオーディオセットをどうするか。

リビングに置いてあったスピーカーは、

つないでみたらちゃんと鳴った。

 

今は無き山水電気のスピーカー。

どうやら1970年代のものらしい。

古いオーディオ引き取り専門業者さんもおられるらしい。

 

と、知り合いに言われる。

「そんなに片づけて、処分してやけど、

 盆暮れ正月とか、お父さんは自宅に戻ってきてお泊りしないん?」

 

いやもう、正直、グループホームさんから

「睡眠薬飲んでも、二日に一回は夜中、寝られなくて起きてはります」

と、言われて、下弟も

「コロナがおさまったら、正月とか1日だけ俺の家に連れてきて、

 ご飯食べるとかの外出はいいんやろ?

 体調とか状況によったら俺の家にお泊りとかも考えるかもしれへんけど。

 まぁ、そんときは俺の家族みんな居て、みんなで見れるときやけど・・」

って言っていたし、私も父と二人で時々外食や近所に車でお出かけ出来たらいいな。

とは思っていたけれど、父宅へ連れ帰って、食事して寝てもらって。

と、言うのは自己中心的かもしれないけれど、全く想定していなかった。

 

と、いう話しをすると、

「それは可哀そうやわ。お父さん、自分のおうち大好きなんやろ?

 そん時だけは身内で寝ずの番で見てあげないと」

 

うーん。かなり年上の方なので、そういう考えなのかもしれない。

親戚一同が集まって、みんなで父のような症状の、

その方のお婆さんの面倒を見ていた。と言っておられたが、

うちでそれが出来るのは、私と下弟の二人のみ。

 

私達姉弟3人で集まることも無いので、

当然、3家族みんな揃って父を囲んだことも無い。

そういう家族の状況もその人とは全く違う。

 

でも、それを言われて、急にテレビもオーディオも処分していいのかどうか

不安になってきた。

言われるとね。ゆらゆらするのは私の悪いところ。

 

ネットで「施設入居 実家片づけ」でググってみると

何らかの理由で退去して自宅へ戻り、本人が大切だと思っているものが

処分されて、ショックを受ける場合も・・と、あり、そりゃそうやわな。とも思う。

 

で、何らかの理由ってどんな理由?と、考えたら、

例えばグループホームで、暴力沙汰・暴言沙汰を起こしての強制退去が

想定されたけど、いや、あの父に限って、それは無いと思う。

家族で一番上品でおぼっちゃまっぽいのが父やったのやもの。

 

今もグループホームのそれぞれ別々の3人の施設の方々から口々に

「お父さん、穏やかな方ですね・・」

と、言ってもらえてるし、どうかそのまま穏やかでいて・・。

 

そして火事を起こさない家にするために、ごめんなさいやけど、

お父さんの大好きなものを、

必要としてる人、欲しいと思っている人のところに

動かせるものは動かさせてください。

 

認知症とはいえ、勝手に処分して、ほんまにごめんなさい・・。

で、いいんよね?

と、ゆらゆらしている。

父宅のグミの実も少しずつ赤くなってきた。

小さい頃は酸っぱい実だから苦手・・と、思っていたけど、

それは取るのが早すぎて、去年、熟しに熟したのを食べたら

まぁ甘いこと。

 

今年も甘くなるまで待とう。

 

母の日には娘たちからそれぞれプレゼントが届いた。

 

上の子はいろんな味ワッフル。

下の子はいろんな味天然だし。

ありがたく頂きます♪

 

そしてこのGWは、数日に分けて、

年に3回草引きしていた家の周りの砂利の下に

防草シートを敷く作業を主人と二人で奮闘。

 

五十肩も痛いし、業者さんに丸投げしようかと

見積もりをお願いしたら、目が飛び出て遠くへ飛んでいきそうな金額。

 

即答で「自分たちで頑張ります」

 

ネットで性能・お値段・レビューを確認し、

届いたものを埋めたいサイズに合わせて線を引き

ハサミで切る。

 

と、ここで活躍したのが、小学校の家庭科で購入した

裁縫箱セットに入っていたチャコペン。

もう40年以上経ってるのに、まだ入っていた。

そして大活躍だった!

 

どうかこれで、大変な草引きから解放されますように・・。

 

そんな人間を横目に猫ズたちはのんびり。

脱ぎ散らかした主人のモコモコ靴下の上で、鼻と鼻をくっつけて

真剣に寝ている。

そう寝ている。

 

変わった子たちww

 

もひとつ楽しみが増えたのは、裏の森にフクロウ類の声。

夜になると時折、ホウ。ホウ。と鳴き声が聞こえる。

ああ、その姿を見てみたいな。

 

これを書いている最中も主人が

「聞こえたっ!!!」

と。

私も窓によってみると、やっぱりホウ。ホウ。と聞こえる。

 

いつか出会えますように・・・。