12月21日と22日は偶然にも黒田官兵衛・長政親子の誕生日に当たるわけですが、この親子の逸話はいろいろあります。
黒田官兵衛はとても倹約家として知られ、自分のものを家臣などに与える際、絶対タダではものをあげたりしなかったと言われています。
その事について家臣は
『何故我ら家臣に売り渡すのですか?どうせなら下賜されればよろしいでしょう』
と言ったところ、官兵衛は
『やりたいのは山々だが、物には限度がある。
貰えなかったものは不平感が募るだけだ。
だから売り払っているのだ。
こうすれば銭のないものや銭を失いたくないものは買わないから、多少なりとも不公平にならずにしようと思っているのだ』
と説明しています。
当然これは罪人にも行っていて、罪人がお腹が空けば、縄を解き、買い物をさせそれを与えてからまた縄で縛ったそうです(縄を時々解いていたのは縄の跡を残さないようにするため)。
しかし、兵を集めるときは金を惜しまなかったと言われ、支度金を二度受け取ろうとする者に対しても何も言わずに笑いながら与えたと言われています。
また、秀吉は官兵衛を高く評価していると同時に、その才を恐れたとも言われています。
秀吉は家臣に
『自分に代わって次に天下を治めるのは誰だと思うか』
と尋ねたところ、家臣たちは徳川家康や前田利家など有力大名の名前を挙げていきましたが、秀吉は官兵衛の名前を挙げ、
『官兵衛がその気になれば、すぐにでも天下を取ることができるだろう』
と言っています。
家臣たちは
『官兵衛殿は10万石程度の大名に過ぎませんので、とてもそのような事は考えられません』
それを聞いた秀吉は
『官兵衛に100万石(家康や利家と同じ石高)を与えたら途端に天下を奪われてしまう』
これを聞いた官兵衛は『我家の禍なり』と直ちに剃髪し如水と号したといわれています。
また、官兵衛は死の間際重臣の悪口を一人一人に言っていたと言われています。
悪口を言われ、重臣たちは怒り、子の長政にこの事を告げます。
長政はこれでは長年仕えていた者たちが黒田家を離れてしまうのではないかと思い、父官兵衛に重臣たちの悪口を言う事を辞めてもらうよう寝室へ行き、そのことを告げると官兵衛は
『重臣に悪口を言っているのはお前(長政)のためだ。
自分が悪口を言えば自分を慕っていた家臣たちは、自分から心が離れていき、それはお前を慕っていくことになる。』
それを聞いた長政はそこまで黒田家のことを考えているのかと感動したと言われています。
また、官兵衛は当時としては当たり前に行われていた家臣たちの追腹(自刃して死後主君に付いていく事)を禁止しています。
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