1752年に消えてしまった日がイギリスであったというのをご存知でしょうか?
この年、イギリスでは9月2日の次は3日ではなかったんですよね。
えぇ~そんなことありえない…
通常でしたらありえないことですが、9月2日にイギリスで使われていたユリウス暦を改め、グレゴリオ暦を導入したため、誤差が生じていたユリウス暦からグレゴリオ暦に修正を行い、2日の次は14日になってしまい、このようなことが起こりました。


実は歴の改正って今でこそほとんどありませんが(最後の歴改正は1940年にソビエト連邦で行われたらしいです)、結構世界各地で行われています。

当然日本でも歴の改正は行われ、驚くことに日本は12月が2日しかなかった年があるんですよね。
明治5年11月9日の事なのですが、


『太陰暦を廃止し、太陽暦を採用します。』


と明治政府が公布し、12月2日の次が3日にならず1月1日の元日へとなってしまったのです(これを明治改暦と呼んでいます)。
その間24日という驚異的なスピードで改暦が行われ、社会的に混乱に陥ります。
これには明治政府の陰謀があったらしく、翌年の明治6年は閏月があり、13ヶ月ある予定でしたが、この改暦により閏月がなくなり、月給制となった官吏の給料を12回支給すれば済み、また明治5年が2日になると12月の給料を支払わなくて済むという(身勝手な)目的があったようです。
今の時代にこんなことが起これば間違いなく暴動騒ぎでしょうけどね(;^_^A


ただこの改暦には1つ欠点があり、ユリウス暦とグレゴリオ暦の違いに


『西暦の年数が100で割り切れ、400で割り切れない年を閏年としない』


という旨がグレゴリオ暦にはあるのですが、当時の明治改暦にはこの要素を取り入れてはいませんでした。
つまりこの改暦は『日本独自のユリウス暦』と言うことになります。
わかりにくいですね(;^_^A
例えとして、


2000年は4で割り切れ、100で割れかつ400でも割り切れます。
そのため2000年には閏年として2月29日があったと思います。
では2100年はどうでしょう。
2100年は4で割り切れ、100で割り切れます。
ここまででしたらこれはユリウス暦にあたります。
では400ではどうでしょうか?
お分かりだと思いますが400では割り切れません。
そのためグレゴリオ暦では2100年は閏年にはならず、2月は28日で終わります。
自分の目で確かめるのが一番かもしれないので携帯やパソコンのカレンダー機能で2100年2月をポチッとクリ~~~クです。
多分28日で終わってると思いますので(;^_^A


そのため明治改暦が行われた25年後の1898年5月11日、この欠陥に気づいた明治政府は勅令『閏年二関スル件』を公布し修正されます。
こう見ると日本の改暦はてんてこ舞いって感じがしますね。




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