弥勒寺山城跡(蔵出し、和歌山市秋葉町) | ゆきまるのブログ

ゆきまるのブログ

風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございますニコニコ

夜勤明けの休み…得意げぐぅぐぅ

よく寝た~\(^O^)/

でも、明日早出だわショック!

さて…

今日も蔵出しひらめき電球

4年前の秋に撮った城跡ですが、一番最初に行ったのは小学生の時、遠足で行きました長音記号1走る人

その時は携帯も無く、この山が城跡だと知りませんでしたが中腹にある県営水泳場にもよく泳ぎに行きました(今は建て直されて綺麗になっていますねニコニコ

201010260914001.jpg

弥勒寺山城跡家『日本城郭大系』より
天正5年(1577年)、雑賀衆により築城。築城以前に浄土真宗弥勒寺(雑賀御坊)があり、弥勒寺は鷺森(現・浄土真宗本願寺派鷺森別院)の前身となった寺院で天文19年(1550年)に黒江御坊(現・浄国寺)から機能を移した。

織田信長による紀州攻めに対抗するため、雑賀城を本城として弥勒寺山全体に城を築き、その周囲に無数の城砦を築いた。二列に編成した鉄砲と弓の二段攻撃により緒戦こそ織田軍を退けたが中津城(現・JR紀勢本線紀和駅周辺)が落城すると降伏して和睦するも翌年には離反して本願寺に従っている。

弥勒寺は羽柴秀吉による紀州征伐後に寺の機能を鷺森御坊に移したことにより衰退。江戸時代に至り、寛政5年(1783年)に秋葉権現社を山頂に建立したと『紀伊国名所図会』に記されている(現在は南側に移築)。

現在の秋葉山の名は秋葉権現を建立したのを機に改名されたようだが、別名では弥勒寺山・御坊山とも呼ばれており、山頂には顕如上人の碑があり、公園として整備されている。

中腹にある県営水泳場までは車で入って行けます長音記号1車DASH!

駐車場駐車場に面したところに登山口がありますニコニコ

201010260914000.jpg

201010260914003.jpg

左右に別れていますが、どちらから登っても山頂に繋がっています長音記号1走る人

201010260914002.jpg

201010260915000.jpg

階段を上がるとしばらくは舗装した急な坂が続きますひらめき電球

201010260919000.jpg

201010260923000.jpg

しばらく行くと地道になります。途中に2度分岐があり、案内板も無いので注意が必要です長音記号1走る人

201010260925000.jpg

この先が市民の丘になりますニコニコ

201010260928000.jpg

201010260929000.jpg

201010260933000.jpg

201010260927000.jpg

市民の丘ひらめき電球
展望台や遊具等がある憩いの場となっています。

201010260930000.jpg

城跡の案内板ひらめき電球
市民の丘の隅に設置されています。

201010260937000.jpg

山頂に続く石階段ひらめき電球
原形は留めていないので足元に注意してください。

201010260935001.jpg

山頂ひらめき電球

遊具が無ければもう少し広く感じましたガーン

201010260934000.jpg

201010260935000.jpg

顕如上人の碑ひらめき電球

唯一この碑だけが史跡と思わせるものでしょうかニコニコ

また、秋葉山には通路に沿って梅園がありますニコニコ

201010260931000.jpg

201010260938000.jpg

秋葉山梅園ひらめき電球『わかやま新報』より
昭和51年(1976年)に当時和歌浦在住であった北畑長左ヱ門氏、北畑忠次郎氏、北畑良三郎氏(3人とも従兄弟同士)が山の荒れ地を整地して、紅梅・白梅・しだれ梅など220本を植樹して和歌山市に寄贈した。

この梅園の存在は散策に来るまで知らなかったですねガーン

顕如上人の碑と南側の秋葉山大権現以外は目立った史跡が無い城跡ですが、年代の若いものでも時が経てば史跡になっていくのですから、梅園とはいえ後世に残して行って欲しいですねニコニコ

最後に遠景ですひらめき電球

akibasan.jpg

201102021226000.jpg

春には桜桜も咲く良い山ですニコニコ