
昼から和歌浦へ



どこに行っても桜満開

この分ならしばらく大丈夫かな?

雨

境内に駐車出来るとは思わなかったので、また今度になって素通りしてきたところへ散策


【令和2年4月9日画像差替】

養珠寺
『額田版紀伊国名所図会』より

承応3年(1654年)、紀州藩主徳川頼宣が生母お万の方の霊牌所として建立。開基には甲斐国身延山久遠寺の日護上人を請じたことから始まるとされ、寺の南西には妙見山があり、その山頂に万治3年(1660年)に妙見堂が建立されたと伝わる。
山麓にあった津屋集落は製塩が盛んであり、津屋川沿いには塩田が広がっていたようで、明治43年(1910年)に廃止されるまで続いたそうです。

境内入口


本堂


辨天堂


釈迦堂

釈迦堂と辨天堂は渡り廊下で繋がっています


石灯籠

1基のみあります



境内


妙見堂へは寺の南側にある津屋公園の奥から城跡山公園(雑賀城跡)に続く階段があり、山頂に妙見堂があります

雑賀城は雑賀衆の鈴木佐太夫重意が築城し、紀州征伐で廃城するまで紀伊国における重要な拠点となった。佐太夫が粉河で討たれた後は次子重秀、三子重朝と受け継がれていき、その血筋は重朝の子である重次が徳川御三家の一つ水戸藩主徳川頼房に仕え、婿養子に頼房の十一子重義が入ったことで一門衆に列し、子孫は重臣の一角を成したという。石高は重次・重義が3000石、家人の不行跡により重春以降は600石となる。
寺は国道に面しており、境内もかなり広く、北東部分が墓地になっています。山門を入って右側にも何かしらの建物(庫裡?)があったようですが今は取り壊されていることもあり、余計境内が広く感じました

さて…
今日はどこへ覗きに行こうかな
