極限状態でなければ得られないもの。
そういうものが、確実にあると、うちは思ってる。
それを体験する、体験しないは大きな違いだ、と。
人間なんて、基本的に「しんどいことは嫌」なわけで。
言われもせず、試験もない状態で、死ぬほど勉強する人は、どれくらいいる?
なんでも、一度は限界を突破しないと、見えないものがある。
無理、ってほど楽器の練習をするとか。
剣道の朝稽古を通いづめするとか。
小説を書きつめるとか。
今の若い子に、そういう体験が少ないんじゃないかと感じたのは、警察学校でだった。
面倒臭い、
楽したい。
がんばってる奴は馬鹿。
警察学校では、誰かが手抜きすると、罰を受けるのはそいつではなく、リーダー。
スクワット1000回とか。
そんなバカな罰を与えるからおかしい、って考えるのは、浅はか。
スクワット1000回やらせるのが問題じゃない。
自分の手抜きが、他人に迷惑をかけるってことを、手抜きしたやつに教えるためにやってる。
手抜きしたやつに、「マジでスクワット1000回やったんですか、お疲れ様~」なんて、軽く言われたことがある。
「そういう奴が、部下にいるということを知っておけ」
それもまた、学校での教育なわけ。
最初の頃は、リーダーの教育期間。
そのうち、みんなの教育期間がやってくる。
そこで、ようやく目覚めるんですよ。
自分がやっていることの愚かさに。
個性を大事に、じゃなく、他人を思いやる、チームプレイが、いかに大切かを知る。
他人を思いやったチームプレイじゃなきゃ、人一人やれることなんていかに小さいかがわかる。
会社だってそう。
チームプレイを乱す人間は、迷惑なわけ。
だって、会社は、チームプレイで利益を上げるための集団なんだから。
個人の自己実現を果たすための場所じゃない。
でも、一般生活では、生き死ににかかわるくらいの、極限状態でのチームプレイの大切さを知る瞬間なんてないでしょ?
なんでも、自分、自分、自分。
宮崎県知事の言わんとしたことは、そこよ。
たぶん。
彼も、軍団の頭として、集団をまとめてきた実感があったんでしょう。