早大入学後には打力を評価されて外野手に転向したものの、1年秋に投手復帰。4年時には早大では織田淳哉以来となる投手での主将に就任。チームを東京六大学野球秋季リーグ戦優勝、明治神宮野球大会準優勝に導いた。リーグ通算23勝を挙げ、2度のベストナイン(05春、06年秋)と最優秀防御率(05春)のタイトルも獲得。日本ハムには希望枠で入団している。
日本ハムでは1年目は1軍登板がなかったが、翌08年に1軍デビューを果たし、9試合に登板(0勝0敗、防御率5・40)。3年目の09年には自己最多となる12試合に登板し、0勝0敗ながら防御率3・07とまずまずの成績を残した。しかし、10年は1試合の登板に終わり、11年にサイドスローに転向したものの、1軍の登板機会がないまま、12年オフに戦力外通告を受けた。
今年から2軍マネジャーを務めていたが、逮捕容疑となった事件を起こしたのは6月下旬。船橋市の路上で、歩いていた女性に乱暴するなどしたという。入団時に背番号「17」を与えられた元エリート選手が、なぜそんな愚行に走ったのだろうか…。
なーにやってんだこの馬鹿は...
こういうのはしっかり裁いてねホント...