ちょっと昔ではあるが、小学校お受験の教室の生徒の父親と面談をしていたとき
突然、“吉田先生は昔の日本の画家でソウハクという人を知っていますか?”と聞かれた。
その保護者は学歴優秀で、有名企業から独立して、ベンチャービジネスで成功した言わばエリート街道まっしぐらな人だった。
子供の教育にも熱心で、子供にも色々なことに関心を持ち、経験を積んで立派になってもらいたいと言っていた。
“ソウハクは思い出せませんが、曽我蕭白という江戸時代の画家は知っていますよ”と答えたら、
“ああそれかも知れない”
というので、曽我蕭白について知っていることを話した。
どうも外国人の友達が蕭白を買ったらしい。
その後、“ところでコンテンポラリーアートってなんですか?”と聞かれたので、
“日本でいうところの現代の美術ですね”と言って、現代美術についても説明した。
なぜそのようなことを突然聞いてきたのか?と聞くと、
“日本ではどんなアートが今流行っているのか?”と聞かれてわからないと答えたら、外国人同士で目を合わせてクスッと笑われたそうで、明らかに馬鹿にされたと思ったと言っていた。
高校から美術が選択制で取らなかったのと、中学までは先生があまり熱心ではなかったこともあるが、内職の時間になってしまっていたとのことだった。画廊はもちろん美術館にも殆ど行ったことがないという。簡単に言うと美術は必要ないもので切り捨てて来たものという塩梅だろう。
ところが、海外のベンチャー友達や、取引先の人と会食したりすると、話題の大方は芸術や環境問題で、話題についていけないと言う。“自分はアートは勉強してこなかったからあまり知らない”と言ったら、アートは勉強してから見るものじゃなくて、体験してから学ぶものだと言われたという。その外国人の実業家も(恐らく)曽我蕭白の絵を高い値段を出して買ったのだろう。それを買うためにコンテンポラリーの作品をかなり売ったりしたという話もしていた。
日本の実業家の人達と会うと、経済の話をするのが殆どでアートの話なんてしたこと無い。多少趣味の話はあっても、映画や車、釣り、スポーツくらいで、美術は殆ど出てこない。
外国では仕事の約束をとりつけるときに、その日はどうしても行きたい展覧会とバレエ公演があるから無理だと断られたこともあるという。バレエはまだしも、美術館に行くから約束できないと言われたことも日本人相手では無かったそうだ。
美術をやっている人間からすれば、文化として受け入れてもらいたいがもう無理だろうと社会に対して諦めてしまっている、漫画やアニメ、ゲームには太刀打ちができないものとも思っている。日本は美術家の記念館を作るよりも、漫画家の記念館を作る方が行政もOKを出しやすいような、サブカルの方がメインカルチャーの国なのだ。
美術外の人と美術の話をすると、大抵このような話になる。
美術側の責任もあるが、関心を持ってくれない社会も寂しいものだ。