現在はとても便利になって、スーパーに行けば、パック詰めの食材を何不自由なく買うことができますね。
本当に便利です。
「でも、それでいいのだろうか?」
たまに、そんなことを考えます。
もちろん、それでいいんだと思います。
でも、肉を食べる時に、多くの動物の命をいただいている現実を、たまには考える必要もあるのかな~、なんて思うことがあります。
私は、鶏を絞めたことがあります。
学校が、そちら系だったので、実習で行う機会がありました。
高3のときに、畑正憲さんに憧れて、文系から、そちら系の大学へ方向転換したからです。
そして豚や牛も解体させていただきました。
命を奪う時が、一番いや~な気分になります。
しかし、命がなくなると、ただのお肉という感じ。
解剖実習も淡々と進みました。
そして、ちょうど、その日の夕食は、近くの焼き肉屋さんでもつ煮込みを注文すると、牛の胃の部分が出てきて、「きょう見たのと同じだ!」なんて思いながら食べたのを覚えています。
解剖実習をする前は、肉が食べられなくなったらどうしようなんて思いましたが、まったくそんなことはありませんでした。
でも、それ以来、「肉を食べる時に、命に感謝しないと」という気持ちが・・・
ちなみに、以前読んだ本の中に、子どもたちに“ニワトリさばき実習”をしてもらったということが書かれていました。
2008年の夏、「食育キャンプ」の一環として、“ニワトリさばき実習”が組み込まれていたそうです。
それに関して、ここで、本に紹介されていた子どもたちのコメントを紹介しますね。
「にわとりが殺されるとき、とてもあばれていました。とても痛かったと思います。何も悪いことをしていないのに殺されると思うと心が痛いです」
「最初、にわとりをしめていたので、とてもかわいそうで見ていられませんでした。でも、一生見ることができないと思ったので見ました」
「生きていたニワトリは針金で首を絞められて死んでしまいました。かわいそう、と何度も思いました。でも、ずっと見ていて目がなれてきました」
確かに命をいただくのは、心が痛かったり、つらい経験だと思います。
でも、そんな体験によってきっと子どもたちは何かを得たようです。
実際に“ニワトリさばき実習”を体験した子どもたちのコメントを見ると、命に対して感謝を表す必要性に気づくようです。
「かわいそうだと思ったけど、私もこのトリを食べているので、人間は食べないと生きていけない、と思いながら見ていました。お肉は筑前煮にして食べました。いつも私たちが食べているニワトリ、ありがとうという気持ちを忘れないようにしたいと思います」
「解体してわかりましたが、一羽のにわとりからとれる肉はほんの少しでした。と言うことは、今までたくさん食べていた肉は、たくさんの命をいただいていたことになります。僕の命を支えてくれていた鶏に感謝します。肉を残すということは、命を大切にしないこととわかりました」
お子さんに“ニワトリさばき実習”をさせてくださいなんて言いません。
でも、何らかの形で、命の大切さ、食べることの大切さを感じられるような機会を作ってあげることも必要なのかもしれません。
それによって、お子さんは、きっと何かを学ぶのではないかと思います。
参考図書
「すごい弁当力!―子どもが変わる、家族が変わる、社会が変わる 」
佐藤剛史著