今日も晴天。 

4月1日より、次男も長男と同じ 認定こども園に入園が決まり、

預かり保育やら 溶連菌やら にかかったりと あっという間に 時間が

過ぎていってます。

長男は、3月までの保育園とは別の こども園に行き出し、昼間は

幼稚園、幼稚園終了後に 保育活動という 全く違う環境で頑張ってます。

ただ、幼稚園には制服があり、なぜかしら、 月・水・金は、制服、

火・木 は体操着となっており、体操着の日はなんなく着替えられるのですが、

制服の日は、 「制服着たくない」等 とぐずぐずで 大変です。

そんな 長男と明日 親子遠足を 楽しんだら、 27日より、職場に復帰します。

約1年前に産休に入ってから あっという間の 1年間でした。

来週から、ワーキングママとして 過ごします。

いや~、まだ卒乳してないし、二人のやんちゃな男の子だし、

先が思いやられますが、

「 日々、今あることは次はない、だから今を大切にしよう 」を

モットーに いろいろとチャレンジしてみようと思います。

2月17日の母の緊急入院から 私の考え方やら生活が変わった。

母は、フィアデルフィア染色体陽性 急性リンパ性白血病とのことで、

約1か月間の治療も終え、3月17日に一時帰宅をした。

なので我が家族 夫、子供2人と 週末に2泊3日で会いに行ってきた。

母の食べたいものを用意したり、片づけを手伝ったりして

あっという間に時間が過ぎていった。

そして、3月25日 約1週間の一時外泊を終え、また病院へ戻っていった。


母は、元気といえば元気だけど、いつもの状態ではない。

家事をしたり、テレビを見たり、買い物したり、日頃 何でもなくしていることの

大切さ、ありがたさ を思い知らされる。

母は、「明るいガン患者を目指す」と 私との別れ際に泣いている

私にそう言った。 ならば 私は 「明るいガン患者の家族を目指そう」と思う。


母の病気が判明してから 3回 会った。 

会うたびに いろんなことを気づかされる。教えられる。

今、自分にできることは やろう。

日々の暮らしを大切にしよう。

精一杯 いろんなことを楽しもう。  と。


またしても 母に 「ありがとう」だよ。 いろんなことを教わっているよ。


  




昨日も朝に雪降ったり、雨降ってたのに、今日もか・・・。

昨日の昼間、兄から珍しく電話がきた。

仲が悪いわけではないが、やはり電話でお話をするなどほとんどない。

嫌な予感・・・

「 落ち着いて聞いて、俺も さっき お父さんから連絡が来たんだけど、
お母さんが緊急入院したと。 白血球の数値がものすごい高いから、
詳しくは分からないけど、白血病の疑いらしい 」と。

2月初め位から 唇がしびれるとかで、脳神経外科に行ったりして、
脳には異常がないと言われたりしていたが、
昨日の朝に体全身が痛いとのことで病院へ行き、そのようになったらしい。

いろんな思い、想い、思い出、言われたこと、けんかしたこと、
心配されたこと 等が どんどんでてきて、泣いた。

すぐに 父からも電話があった。 詳しくは分からない、検査中だしとのこと。


夜にまた 兄から 電話がきた。

「 母は、急性リンパ性白血病で、すぐにどうこではないけど、2年から3年、
入院して退院してを繰り返しながらの生活みたいだよ 」 と。

父も家に帰っているらしいので、電話をして状況を聞いた。


私が泣いたり心配をしたところで 状況が変わるわけではない。
でも、ふとした時に涙がでる。二人の子供の前でも声をだして泣いてしまった。


今日の朝、母から電話がきた。
「 心配をかけます。すみません。元気だから大丈夫だと 」

田舎の長男の嫁として、介護やいろんなことをやってきた。
私と兄を育ててくれた。二人とも子持ちの母、父になっているのに
未だにいろいろと心配してくれてる。孫の心配までもする。

電話でいろいろと短時間だけど、お話をした。
「 母親が泣くと子供が心配するから、泣くのはやめなさい。」と

そうだ。今日はもう泣くのはやめよう。私が泣いてもいいことはない。
二人の子は、私の母が笑って育ててくれたように、
笑って育てないとと思う。

やっぱり、母にはかなわない。全身痛いのに私の心配を
まだしてる・・・。



今から 長男の保育園のお迎えだ。今日は 笑ってお迎えにいくぞ・・・。