11月13日金曜日の夜、19時45分ごろに私はパリに着き、そこから荷物を取り出して空港からタクシーに乗ったのは20時20分ごろでした。

タクシーの運転手さんはまだ若く40代くらいのおじさん。
「ご旅行だったんですか?」
「ええ、まあ…」
「どちらまで?」
「日本に帰ってました。」
「そうですか」

丁寧な物腰で、気さくに喋りかけてくれる運転手さん。そのままタクシーは高速道路に入り、フランスの夜の風景の中を走り始めました。

「どの道から通りたい、などのご希望はありますか?」
「えっ?」
「どこかお好きな経路はありますか?」
「えっと………」
「ああいや、お客さんの中にはこの道を通ってほしいって希望のある人もいらっしゃるので。」
「ああ…、それじゃ、このあと部屋で待ち合わせがあるので、できるだけ早く着く道にしてください。その他は特にどれでもいいです。」

タクシーは渋滞することもなく夜の道路をスイスイと走り、私は、その日から入居するアパートの部屋の鍵を開けてくれる人との連絡に没頭し、しばしの間車の中は静かに。
やがてサン・ドニに入り、辺りは少し明るく、車の量も増えて、タクシーは渋滞の中で止まりました。
すぐ脇にはサッカーのスタジアムが、煌煌と光を放っていました。

「お客さん、サッカーは好きですか?」
「いやあ…、まあ、嫌いではないけれど、ファンというわけでも。」
「ああ、それじゃ僕とおんなじです。でも今日はフランス対ドイツ戦があるんですよ。これはもう永遠のテーマですよね。ワールドカップってほどのものじゃない親善試合でも、フランス人全員もう沸き立ってますよ。ほら」

運転手さんが窓を開けると、スタジアムからものすごい歓声が。

「まだ9時でしょ。始まってもないのにこれですよ。」
「すごいですね…」
「ほら、あっちにもあんなに行列になって。」

見るとイルミネーションに照らし出されたスタジアムへの道を、たくさんの人が手をつないだり連れ立ったりして、どんどん競技場の中に吸い込まれていくようでした。

「あー、だから渋滞してるんだなあ。こっちはこの先進みそうもないですよ…
 レピュブリックから回ってもいいですか?」
「あ、はい大丈夫です」
「お客さん一刻も早く家に帰りたいって感じだもんね。じゃそっちから行きましょう」

赤いブレーキランプの連なる道を外れて、タクシーはレピュブリック方向へと進路を変えました。
徐々にパリの風景になってきて、やがて映画館やバーなどが連なる界隈へ。
赤信号で止まった道の向こう側ある映画館。そこにもたくさんの行列が出来ていました。

「ほら、あっちもすごい行列ですよ。僕たちみたいに、サッカーに興味が無い人は、ああやってガールフレンドを誘って映画を見に行くんですよ。」
「金曜日の夜ですもんね。いま何をやってるんでしょうね?」
「さあ…、僕は映画も別にそんなに詳しくないから。
 ……あ。」

赤信号が青になり、発進した車の右側に立っていた女性を運転手さんは横目でちらっと見て

「あれ男ですよ。」

私は思わず耳を疑って、「Il est un homme」が何かフランス語の言い回しで別の意味があるのか、あれは人間だとか、人間らしいとかそういう意味じゃないかとしばし逡巡したあと、思い切って尋ねました。

「…え、何とおっしゃいました?」
「ああ、さっきあそこにいた女性。あれ、男ですよ。」
「えっ?」
「ぼく、タクシーの運転手になる前はモードで働いていて、たくさんの女性の服を着せて来たからわかるんです。上手に装っても、やっぱり男らしさが出ちゃうんだなあ。」
「はあ、そうなんですか…すごい」
「まあもう週末だしね。まだ9時か…いまは平和だけど、このあと1時2時になったらこの辺りも酔っぱらいだらけになりますよ」

キラキラと輝く街並、繁華街を楽しそうに歩くカップルやグループ。そして夜の喧噪の中に消えて行った、あの女装した彼……
もう一度見ようと振り返ったものの、あっというまにその彼(彼女)もきらびやかな街並にまぎれていってしまいました。
さすがパリだなあ、と思ったのを強く覚えています。

そして車はレピュブリックを越えて、バスティーユへ。
私はタクシーから降りると、スーツケースとトランクを必死の思いで5階の部屋まで運び、鍵を開けてもらい、そのままベッドへ倒れ込んで寝入ってしまいました。
家についたのは21時20分。
スタジアムの爆発が21時50分ごろ、そしてほぼ同時刻に、私の通って来たレピュブリック界隈でも、たくさんのテロが起こったのでした。

私はすっかり眠っていて、夜中の1時頃に母からの電話で起こされてニュースを知りました。
まさか、あのキラキラと輝いていたスタジアムで。あの楽しそうに笑っていた行列の人たちが。ちょうど通って来た、あの繁華街で…
これから始まる筈だった金曜日のパリの夜。そのプロローグはあんなにも幸せと自由に溢れていたのに。

昨日、17日にバタクランへ行ってみました。
行って良かったと思っています。私を包んでいた言いようの無い恐怖と不安。事件の現場に供えられた数えきれないくらいの花やロウソク、そしてメッセージや作品などは、静かな悲しみと怒りに加えて、平和への断固とした決意や希望に満ちていました。



Bataclan。



寄せ書きや…



たくさんの花。



ギターと共に供えられた「イマジン」の楽譜。



「フランスの人々のために団結を。原理主義に反対」
というプラカードを持って立ち続けている、イスラム教徒の女性。



掲げられた「愛は勝つ」というメッセージ。
その下には「われわれはムスリム。あなたたちはテロリスト、詐称者」という言葉も。

着いた当日の事件で、まだ4日しか経っておらず、今朝もパリ近郊のサンドニでの銃撃戦があったばかり。オランド大統領は非常事態宣言を発令し、ISISとの戦争状態にあるとも公式に発言。露仏同盟を組んで、原子力空母をペルシャ湾に派遣し、報復としてラッカへの空爆をしているとのこと。
ああこれ戦争なの…?
と、体に落とし込むのも難しいくらい、パリの人たちは日常生活を再開していて、テレビをつけずに街をただ歩いて生活しているだけでは、もう何事も無かったかのようです。

どうしても、震災直後の東京を経験した身としては、あの頃と比べてしまいます。
今回もこれだけ死者が出ていても「自粛ムード」とはならずに、逆に歌おう、躍ろう、フランス人として人生を謳歌しよう、というメッセージの方が強いのは、良いとも悪いとも言えませんがとにかく文化の違いを感じています。まあ、原因の差が大きいのだとも思いますが、それでも。
とはいえ観光施設や公共施設は閉鎖されているし、学校の校外活動も今週いっぱいは控えるとのこと…

帰国を挟んで、これから半年の滞在予定の幕開きは、予想だにしなかったものでした。
正直なところ、不安や心細さはちょっと尋常ではありませんが、幸いな事に、とてもよく気にかけてくれる友達もたくさんいてくれているので、たとえば今週いっぱいは現場からわりと近かったバスティーユの家を離れて遠いところにある友人の家に泊めてもらったりなどしながら、
できるだけ慎重に、それでも感じ取るべきものはできるだけ感じながら、様子をみつつ今のところはこのままフランス滞在を続けようと思っています。
きっと、この時期にここにいること、そして着いた日がこのスタートというこの滞在にも、意味があるのだと思うのです。

「僕はね、ともかく、もうちょっと、残りますよ。僕はね、仕事があるのだ。僕はね、ともかく芸人だから、命のとことんの所で自分の姿を見凝みつめ得るような機会には、そのとことんの所で最後の取引をしてみることを要求されているのだ。僕は逃げたいが、逃げられないのだ。この機会を逃がすわけに行かないのだ。(……)」

坂口安吾の作品が妙に身に沁みる今日この頃。バタクランで思い出したのは『白痴』のこの台詞でした。私はここまで強くはなれないと思いますが、それでも、与えられた仕事にはできるだけしっかりと向き合いたいと思っています。