三女の入院決まったのは1月31日でした。

前にも書いたように、朝から吐き気あり、小児科連れて行くと点滴されて。
小児科の先生から紹介された病院に午後から受診して。
そこですぐ入院になると言われました。

次の日が長女の誕生日で。
病院から帰ってきて、夜に、日記をそれぞれ書いたんですが
三女が長女に「明日、誕生日なのに入院になってしまって申し訳ない。」と書いていたのを見て、涙してしまいました。

三女にとって入院は
私が付き添いで病院に居てくれて
入院したら私とずっと一緒に居られる。

そんなふうに思っていて
ちょっと入院したいとさえ思っていたようです。

実際、次の日病院行ったら
私とは引き離され、コロナで面会も無理。
1人で病室で、行動制限もあり。

こんなはずじゃなかった!
と後悔の嵐だったようです。

そして、それが退院するためにどうしたらよいか?
といろいろ考えて行動する原動力になりました。

この頃の三女

朝は小さいおにぎり
朝か夕方にジュニアプロテイン
昼は給食(たぶん味噌汁をちょっと飲むくらい)
帰ってからカントリーマアム2枚
夜はちょっと白米。おかずちょっと。

それも全部食べてはいなかったようです。
後から告白してくれましたが
プロテインも全部飲まず流してたり
カントリーマアムもちょっとかじってティッシュに包んで捨てていたり
ご飯はわざとこぼして犬に食べさせたりしていたようです。

私は食べていたと思っていただけなんですね。
ほんと何にも見えてませんでした、三女のこと。

この頃の三女はいつも目はうつろで
夜は熟睡できず、何回も泣いて起きて。
寒くて寒くて寝れなかったんでしょうね。
常に横に居て手を握ってました。

ほんとに赤ちゃんに戻ったみたいで
私が居ないと不安で不安でたまらないようでした。
仕事行っていてもLINEで
早く帰ってきてね。
と、よく送ってきていました。

休みの日は一緒にどこでもついてくるのですが
ずっとうつろな表情で、ただ私と手を繋いで歩くだけでした。

正月は私も休みだったのでずっと一緒だったので
ちょっと落ち着いてました。
学校始まると毎日泣きながら行っていました。
休みなさいと言っても家で何すればいいかわからない。
と。
常に何をすればいいかわからない。ばかり言っていました。
何かしてないとダメな人みたいに感じるのか
ゆっくり休みなさいと言ってもできず
ずっと不安なようでした。
そしてすぐ赤ちゃんのように泣いていました。

本当に三女はギリギリで生きていました。
2020年の12月に私が泣きながら電話した小児科受診しました。

そこの小児科は小児神経発達外来というのがあるとホームページに書いてあったので、もしかしたら診てもらえるかも。と思い、泣きながら電話したのでした。

その頃の三女は相談室の先生から、
「三女ちゃんは口で言うのは苦手だから気持ちを書いてみたら?」と言われて、毎日日記のようにその日やったことや、その時の気持ちなどを書いていました。
それは相談室の先生に見せて、先生からお返事あったり、交換日記のようにもなっていました。
三女はその中で、家で体重測るのは禁止していたので、毎日気になって、私や相談室の先生には内緒で、保健室の先生に体重を測ってもらっていたのを告白していました。
どうしても気になってしまう。ちょっとでも増えているとがっかりして、減っていたらホッとすると書いてありました。

小児科受診すると、話を聞いてくれたのはおばあちゃん先生でした。
ゆっくりゆっくり私達の話を聞いてくれました。
日記の話をすると見せてほしいと読んでくれました。

先生は三女に
「ほんとに頑張り屋さんだね。頑張って頑張って頑張りすぎてるね。もう少し力抜いていいんだよ。」と
優しく言ってくれました。
私はそれを聞いて涙しました。
私には三女が、そんなに頑張っているのがわかっていなかったからです。。
母親なのに全然三女のことがわかってない自分に腹が立ちました。
三女はうつろな目でぼーっとしていました。。

12月後半にはうつろなのと学校行くのが嫌で泣くので、早目に冬休みに入りました。
休みに入り、お姉ちゃん達と家で過ごしていると、少しは落ち着いているように見えました。

でも食事はおやつも減らして、飲み物も段々飲まないようにしているようでした。

クリスマスにはケーキも食べましたが、ケーキを皿に分けると、顔を歪めて、ちょっとずつ、ほんのちょっとずつ食べていました。
楽しいはずのクリスマスが、その年はお姉ちゃん達の受験もあり、なんだか暗いクリスマスでした。

#摂食障害#拒食#三女#クリスマス#小児科
9月に入り、病院の予約が近づいてきた頃、
三女が風呂上がって着替えている姿を見ました。
それを見て私は驚きました。
骨と皮でした。
それを見て、早く病院に連れていきたい。
行ったら三女もよくなるはず。
そう思っていました。

やっと予約な日が来て、病院に行きました。
まず、今までの三女のこと生まれてからのこと、家族のこと
事細かに聞かれました。
先生と話をしました。
その病院はオーソモレキュラーを取り入れていて、ビタミンBが減ると不安が強くなる。
ビタミンBを取りなさい。
あとは腸に働きかけるサプリみたいなのや、ビタミンCも。
とかいろいろ言われ高い高いサプリを、たくさん提案されました。
それを飲んで治るならと高くても買いました。

日にち分けて心理テストもされました。

でも、受診しても、食べれるもの食べてね。
そしてサプリ飲んでね。

毎回そんな感じで、私自身が先生のことを信じられなくなってきていました。
そんな心感じてか、三女もその病院に行きたがらなくなりました。

そうしている間にも、三女の体重は減っていっていました。
学校にも行きたがらなくなり、小学校最後の運動会も欠席。
教室にも入れず。保健室や相談室に行くようになりました。

保健室の先生や相談室の先生は親身になり三女に接してくれて
三女もその2人の先生にはいろいろ話せるようでした。

段々弱々しくなっていく三女。
目もうつろで、家にいるときはひたすら横になり動画見たり。
それでも週2回の学研教室は行かせていました。
ちょっとでも学習が遅れないようにと、私が行かせていたのです。
ほんとバカな母親ですね。
三女は生きていくだけで精一杯だったのに。
私の普通を三女に押し付けてばかりのバカな母親だったんです。

日に日に食べる量も減り、どうしたらよいかわからなかった私は、近所の小児科に泣きながら電話して助けを求めました。

その出会いが本当に三女を救ってくれたと思います。
あのとき電話した自分を褒めたいです。

ブログの最初ら辺の記事には簡単に書きましたが

自分の忘備録として詳しめに書いていきます。


コロナが流行り始めた頃三女は6年生になりました。

3月から4月にかけ休校になり。

休校中はお姉ちゃん達と過ごしていて、私は安心していました。

休校明け、クラス替えもあり心配していました。

5年生のとき話せてた友達と同じクラスにはしてもらえましたが、その子が他の子と仲良くなり、段々クラスに居場所がなくなったようです。


月に1回スクールカウンセラーとの面談をしていましたが、あまり改善されず、1学期後半から、食べることを勧めるとかなり嫌がるようになりました。

確かに春休みぐらいから急に筋トレみたいなことを始めて腹筋したりしてお腹が出るのが嫌だと言っていました。

1学期末に保健室で体重測らせたら、明らかに体重が増えていない感じで、スクールカウンセラーにも体重が減っているので思春期外来あるとこを受診したほうがよいと7月に言われ、予約とると9月になると伝えられました。

この時点で確か体重はすでに24キロ強だったような気がします。。

身長も小さくて135センチしかなかったのですが、それにしても少なすぎますよね。


不安で不安でたまらなかったのですが、夏休みはお姉ちゃん2人が受験生で、そちらの塾の送り迎えなどに忙しくて、だんだん笑顔が少なくなっている三女を見守るしかできませんでした。

お姉ちゃん達が塾ばかりだったので、1人の留守番が多かったのも事実ですが、昼には母が帰ってきて2時間ぐらい居てくれるので大丈夫だろうと思っていました。


でも、きっと全然大丈夫ではなかったんですよね。。


9月に入りやっと予約の日が来ました。

私はこれできっとすぐ回復に向かう!と思っていました。


現実は回復どころか段々悪くなっていきます。