3/19(土)モロッコからジブラルタル海峡を渡ってスペインへ

今日でモロッコは最後。
この旅のメインイベントであるジブラルタル海峡を渡る日がきた。

朝7時、フェズ駅から一等電車に乗り、タンジェに向かう。
同じコンパートメントの女性社長風の人がPCから大音量でモロッコ音楽を流していて、
強制的に聞かされていたので頭の中がどっぷりアラビアンになってしまうガーン

モロッコでは、公共の場で着信音が鳴ったり携帯電話で話したりは当たり前だが、
音楽まで大音量で流さなくても…。

タンジェに到着。


この日のお天気は、今までの人生で一番と言って良いほどの快晴合格

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このタンジェの街、アフリカ大陸の海の玄関口で、
数年前までは密輸やスパイが横行する、危うい場所だったらしい。

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街中の旅行代理店で、スペインはアルヘシラス行きのフェリーチケットを購入。
港までは無料バスが出ているというので、バス乗り場を教えてもらい移動する間、
かなりの客引きに囲まれる。
あまりに警戒しすぎて、自分のバスのポーターにもチップをあげ忘れる。
ゴメン汗

バスで50分ほどで、新タンジェ港に到着。
今日はここからフェリーに乗って出国し、スペインのアルヘシラス港に泊まろうと思う。
この日だけは、船の時間が分からず、宿を予約していなかった。

ガイドブックによると、
空路で入国し、海路で出国する日本人旅行客が、
タンジェ港で出国できないトラブルが多発しているとのこと。
旅行者と出入国管理者とのコミュミケーション不足が原因のようだ。
上記ルートで出国する人は、日本大使館の電話番号を控えておくよう警告してある。

出国を止められたら、私が大使館に電話するの?
それとも大使館に電話してって言えばいいの?

まずい。私、アラビア語もフランス語もできない。
しかも、今日は土曜日で大使館はお休みではないか!?

ちょっとした緊張感の中、新タンジェ港で手続き開始。

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世話になる係員に、ボンジュール・ムッシュウ☆とさわやかに挨拶をしてみる。
早速係員から質問が。

「モロッコには戻るのか?」
「いいえ、船でスペインに行ってから、ポルトガルまで移動して、
そこから飛行機で日本へ帰ります」

「もうモロッコには来ないのだな?」
「来ません!!」

ここで、係員が残念そうな表情に変わる。

「え~、これが最初で最後のモロッコなの?
砂漠は見たの?モロッコにはイフレンとかステキな場所あるんだよ~」

なんだ、ただの世間話だったのか。
あなたの立場でそういう会話、紛らわしいんですけど( ̄▽+ ̄*)

「また来ますよ!今度は砂漠に行きたいな」

心配したトラブルも全くなく、無事に出国してフェリーに乗船。

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アフリカ大陸を後ろに見ながら、船はどんどん北に進む。
大西洋と地中海の境を今走っているのだなと思うと、嬉しくて嬉しくて
何度もデッキに出て旅情に浸ってしまうのだ。

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英国領ジブラルタルが右手に。
さすがイギイス、交通の要所を押さえていますね。
船からザ・ロックが見えました~

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そしていよいよ、スペインへ上陸。
アルヘシラスの港の前にあるホテルに飛び入りで部屋を借りて、夕食へ。

たった1時間ちょっとの移動なのに、国の雰囲気がこうも変わるものかと。
信号機があるし、小さな道では、車は止まってくれる。

この旅行中、日本人である私は、
今回の東日本大震災のお見舞いの言葉をかけてもうことが多かった。
英語が話せない人も、一生懸命何かを伝えようとしてくれた。

どの人も、まっすぐであたたかい眼差しをもって、
日本はきっと立ち直れるって信じている、神のご加護を、と、
国や宗教を超えて、励ましの気持ちを届けてくれた。

アルヘシラスのレストランのウエイターさん、
私が日本人だと知ると、どこからかキリスト教のポスターを持ってきて、
くるくる丸めて私にくれた。

「日本のために、どうか持っていってくれ。
きっと、神が守ってくれる…」

元気づけようと見せてくれた笑顔が忘れなれない。
人々に対する好意や愛情がなければ、絶対にできない美しい表情だった。

モロッコ&ヨーロッパ旅行記⑦へ続く