新型インフルエンザ・ワクチンの優先順位 後編 | シャイなおっちゃんの日記(不定期)

新型インフルエンザ・ワクチンの優先順位 後編

 この土日にテレビを見ていて、少し考えが変わってきた。


 私はワクチンを万能薬のように思っていたようである。ワクチンを打ちさえすれば、新型インフルから身を守れるかのような錯覚を起こしていたようである。これもパニックの一種であろうか。ワクチンは、副作用が恐いということもあるし、症状の重篤化を抑えることが期待できるというものである。それでも、社会防衛のためには、勤労者世代にワクチンを投与して、社会活動を停滞させないように、その可能性に期待しなければならない。


 少し考えは変わったが、基本的な考え方は変わらない。私が言いたいことは、誤解を恐れずに端的に言えば、勤労者世代(主婦を含む)を犠牲にしてまで老人たちを救おうとすることが果たして正しいことなのであろうか、ということである。働き手を失えば、高齢者福祉を実現しようにも、その財源が取れないではないか。


 パイの大きさは小さくなっているのに、それを食べる人の数は増えている。こういう場合、どうしなければならないか。答えは一つしかない。一人分の食べる量を減らすのである。あるいは、食べる人の人数を減らすのである。解決策はどう考えてもこのどちらかしかない。


 もう一つ、少子高齢化対策として是非ともやらなければならないことがある。少子化への対処には限界がある。女性が働きやすい職場、妊娠・出産が足かせとならない職場は是非とも実現させなければならないが、それは職場の労働生産性の低下とセットである。男性の家事分担もセットになるからでもある。しかし、生産性の低下を前提として労働環境を考えなければ、女性の社会進出と安心できる出産を確保することはできない。そして、託児所や保育園や幼稚園などの子どもの養育環境を充実させることも大変重要である。とはいっても、これで出生率の改善を図ることには限界がある。


 労働生産性を下げるということは、勤労者世代の社会的負担のキャパが低下するということである。端的に言えば、年金や医療費などの老人福祉にかかる負担を賄えないということである。


 少子化の対策としては労働環境の改善が急務であるが、それだけでは足りない。高齢化への対策は、はっきり言って、老人の数を減らすしかないのである。逝くべき人には気持ちよく逝ってもらおう。その上で、年金・医療費の受給額を減らすしかない。老人に食い尽くされてしまうような社会はいらないのである。


 こういう話をすると、必ず来る反論はこうである。自分の身内の話として、本気でそんなことが言えるのか、と。私は、子どもたちの未来を守るためであれば、自分の父親の命など供出しても少しも惜しくはない、と断言しよう! なに?痛みを伴ってない? よくご存じで・・・。


 日本は、メタンハイドレートなど期待すべきエネルギーはあるが、これが実用化されるのは10年以上先の話であるし、基本的に資源小国なのである。日本の富は、未だに、付加価値の高い工業製品を外国に売りつけることで外国から搾取しているのであって、その恩恵でいわゆる豊かな生活を享受しているのであるから、労働生産性が低下する以上、生活レベルが低下することは避けられず、したがって、当然、老人たちの生活レベルも低下せざるを得ないのである。


 それが当然であるのに、どの政党も高齢者の生活を保障することを公約に掲げている。なぜか? なぜどの政党も高齢者に媚びるのか? それは、高齢者の投票率が高いからに他ならない。つまり、政治家たちは、日本の将来など考えているわけではなく、どうすれば自分が選挙で当選できるかしか考えていないのである。少なくとも、当選のためなら必要な将来へのビジョンなどには目をつぶるのである。


 さて、ワクチン接種の優先順位は来月に決定されるらしい。私は、子どもと妊婦は優先して(副作用は恐いが)、そして、社会を守るために勤労者世代(主婦を含む)を次順位とし、老人世代に関しては、その数を減らすためにも、政治的に劣後させるべきだと思うが、みなさんはいかがお考えであろうか?


(終わり)