1日早いが・・・。 | シャイなおっちゃんの日記(不定期)

1日早いが・・・。

 私の高校の修学旅行は長崎・平戸であった。


 2日目は長崎の原爆資料館の見学だったのであるが、私(たち)は夜通し騒いでいて、ほぼ徹夜だったので、資料館での8mm映像の上映時間中はたまらず寝てしまっていた。


 私たちを案内してくれたバスのガイドさんは、私たちより少しだけ年上のお姉さんで、私は修学旅行後も少し文通していたのだが、資料館での見学を終えた私に、どうでしたか?、と聞いてくれて、私が正直に、寝ちゃったぁ~、と答えたのに、寂しそうにうなずいたのであった。そのバスガイドのお姉さんの顔を見た時、私は、悪いことをしたなぁ、と、本当に反省したのであった。きちんと資料を目に焼き付けておくべきであった。


 ただ、私は、日本が世界で唯一の被爆国だからという理由で核兵器の廃絶を叫ぶのは非現実的だと思うし、いつまでも被害者意識を強調するのは間違っていると思っている。また、日本国憲法第9条を金科玉条のようにいつまでも大切にしているのはおかしいと思っている。憲法9条は、理性的思惟からすれば、憲法的確信にそぐわないという意味において、日本国憲法に反しているのである。つまり、憲法9条は憲法違反だと思うのである。


 戦前の日本が帝国主義的膨張政策を採ったことは、いわば歴史の必然である。現代に生きる私たちは、軍隊を否定するのではなく(軍隊を否定する国家などというものは、矛盾した存在である)、いかにして軍隊を文民統制に服せしむるかを考えなければならないのである。


 広島と長崎に原爆が投下されたのは、アメリカによる核兵器の実地実験という要素はもちろんあるが、戦前の日本政府の1億玉砕政策がおかしかったからである。すなわち、日本に原爆が投下された責任は日本自身にあるのである。そういう意味において、最近になって原爆症患者の救済が進んだのは、遅きに失したとはいえ、当然のことであろう。


 また、トルーマンがあのタイミングで原爆投下を決断しなかったとしたら、日本は、かつてのドイツがそうであったように、現在の朝鮮がそうであるように、アメリカとソ連に分割統治されて、分断国家として存在していたことであろう。そうなれば、戦後日本の奇跡の復興はあり得ず、現在の日本のいわゆる豊かな生活はなかったことであろう。日本人は、現在の雇用情勢に対する不満などはあるとしても、資本主義を根本とし、技術立国として、第三世界に比べれば遙かに豊かな現在の生活水準を捨てる気概があるのであろうか? 私は、不満はあるにしても、現在の日本に生きていることを感謝している。


 さて、共産党は別として、社民党などは憲法9条を堅持すべしという主張のようであるが、本当にそんないい加減なことでいいのであろうか? 日米安保体制の下で米軍に守ってもらっているからこそそんな絵空事を言っていられるだけではないのだろうか?


 この点に関する民主党の見解は曖昧なままのようである。まぁ、労働組合をも内包した寄合所帯であるから仕方ないのかもしれないが、もし民主党が政権を取った暁には、安全保障体制については一体どうするつもりなのであろうか? この問いに対する答えを明確に示してくれるのであれば、来る総選挙での投票に活かそうと思っているのであるが、さて、お答えはいただけるのであろうか?