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メンタルヘルスブログ 発達障害
先日、相変わらずの長文で“その3”まで引き延ばした
教育相談のご報告。
我ながら、妙に“もの分かりの良い保護者”ヅラ
していたな~と思う私
…でも、特別支援を“受容れる”ことで
その本人を含めた、周囲みんなが“楽”になる、って
なんだかちょっと実感した感じなんです。
○●○●○●○●○●
保育園の頃と比べて感じるのは
“気楽さ”です。
何って、後ろめたいような・後ろ暗いような
そんな“引け目”を感じることが、少ない。
それは、支援級を選択したことで
半ば強制的にというか、自動的に
「うちの子は障害児」
…と全面的にカム・アウトをしたことになるから、
っていうことなのだろうと思います。
多分。
そして、そうすることで仲間が出来たから。
それも、同じ立場の。
ここで言う「立場」と言うのは
*発達障害を持つ子の親という認識がある。
*支援級でお世話になっている。
*そのことを、OPENにしている。
…って云うことです。
うちの子はワケアリっ子なの。
だから、色々困っていることがあるの。
心配だし、不安なの。
…なんてことを、“基準:ベース”として
話しが出来ます。
これは…凄いことです
ちびの懸念浮上から卒園まで
病んでしまうほどに悩み苦しんだ頃。
“あの子って、違うのかな?”
“あの子は、何だかそうなんじゃない?”
…なんて、嫌~な目で子供たちを見ていました。
…。
……“同じ立場のヒト”を見つけたくて。
子供が発達障害(かもしれない)と悩み、
どうしたらよいのかと苦しみ、
なんでうちの子が、と悲しんでいるヒト。
そんなヒトを探していました。
…見つかりませんでしたが
いま、私にはそーゆう“仲間”が居ます。
特別に親交が厚いとか、ものすごい信頼感とか
そーゆうのじゃありませんが。
そ。
もっと、淡々としています。
でも、こと“その系”の話しになれば
遠慮とか気遣いとか、ほぼ不要です。
ベースが同じだから、「ある」っていう前提で
話しが出来ます。
これって、…本当に凄いことです
だって、たまたま偶然会った時に、世間話しみたいに
話せるんですよ。
「もう、うちいま荒れちゃって大変なんですよ~。」
とか。
「交流が嫌で途中で帰ってきちゃったらしくて~。」
とか。
極・普通の話しみたいに、出来るの。
…凄いですよね
「それ、あるあるあるあるあるある…」なんですよ。
勿論、どの子もそれぞれなのですが
ベースの特性的なものは似通っているし、
逆に“あって当然”っていうベースなので
引け目は感じない、というか。
意気投合して・一致団結して、
目標に向かって邁進ーっっっ!!!
…なんて云う、能動的なヒト達では無いのですが。
でも、“同じ悲しみを共有している”感は、
あるように思います。
あまり良い言い方では無いのですが
1号君ママの物凄い拒否感。
あれは、特別支援そのものに対する、
拒否感な訳じゃないんでしょうね。
特別支援を受ける・受けなくてはならない、
その背景的なものへの拒否感。
…つまりは、子供の障害受容ってとこに
どうしても行き着いちゃうんですが。
私はどうだったかなー…。
保育園年中の頃。
担任のH先生からトラブル報告を受け
その話の中で出た
「ちび君、ちょっと他のお子さんとは違う面があるんです。」
なんて一言が、全ての始まりでした。
私の発達障害業界(?)への一歩?
調べていく中で「違う!」…という確信は、
逆に無かったです。
一旦、H先生が「そんなこと無いですよ~!」なんて
性格の問題だ、なんて云われた後も、
私の中では逆にほぼ確信に近づき。
「…大丈夫だよね」とそのまま見過ごせず、
自らハマって行った感じ。
臨床心理士やその系のプロから
「確実にそういったものを持っているお子さんです」
なんて告知されちゃあ、否定しようが無いし
そうなんですよね~。
受容云々とかってのは、未だに何とも云えませんが
なんとなく気楽になってきた、ってのはあります。
それは、意識改革が出来たとかのものじゃなく
環境がそうなってきたので、それに準じて
気持ちもそうなってきた、というか。
…凹むのは相変わらずですが。
受け容れる・容れないということとは別に
“そうである”という事実に慣れてきた?
…いや、ご存知の通り、その割りにゃあ
凹み過ぎなんですけどね
一年ごと。
一ヶ月ごと。
一週間ごと・一日ごと・一時間ごと。
ちびに慣れてくる、というか。
障害云々というよりは、彼の成長に伴って、
様々に変わってくるその様と必要な対応。
療育に通っていた頃、O先生から言われた
「ちび君の成長に伴って、必要な支援も変わります。」
…そうなんだよな~…と、やっと実感しています。
「いつまでも、同じレベルのフォローが必要なのではない。」
とも、おっしゃっていました。
声の掛け方も・促し方も・用意の仕方も変わるし、
周囲も変えていかなくてはならないのだと。
そのたび、「初」に直面することになるんだわ…
なんて、ちょっとゲロゲロ思いましたが。
でも、これって定型も非定型も同じことなんでしょうね。
“その子の個性と思って…”なんて
第三者からの気休め(慰め)の言い方だと
ずーっと思ってきましたが、これについても
なんとなーく、「…そうなんだよな~」って
思うえることがあるようになってきました。
CMじゃないけど、
「ひとは環境で変わる」
「環境で、ひとは変わる」
…だと思います。
ちび本人だけではなく。
親の私たちも、そう。
障害を受け容れるってことは、なかなか難しい。
そうである、っていう事実を認めるってことが
=イコール「受容」ってことでは無いですから。
でも、それはそれとして。
その子に苦手があることを認める。
その苦手を、少しでもフォローする為の
“ツール”を探す。準備する。使う。
それが環境を整える、ということで。
きっとね。
なんだかんだ云いながら、そこそこ
平穏(?)な生活を送れているからこそ
そう考えることが出来るんですよね。
でも、色々な意味で、OPENにすることで
HELP!を求めることも出来る。
…これは、大きいです。
ちびだけでなく、そう、私たちにとって
物凄く大きな意味があると思います。
色んな意味で、「手形入手」的な意味でも
“ご両親がとっても理解のある…”なんて
よく云われる我が家。
ある意味、発達障害児を抱える家庭の模範的な姿と
映ることがあるようです。
嬉しいです (笑
何が、って云われたら、
だって、それってきっと
“定型基準から見た支援のあるべき姿”
なんだろうと思うから。
つまり、“普通のおうち”から見た、こうあるべき姿
なんじゃないかな、って思います。
…またまた卑屈っぽいですが
でも、逆を言えば、それってその“普通の方々”から
理解を得られやすいというか。
ご協力を仰ぎやすいというか。
そーゆう“形”なんじゃないかな、って思うんです。
行政的な何がしかの支援はとても重要ですが、
現実の生活の中で最も重要で大事なものは
ちびをとりまく、“普通の皆さん”(周囲)の
理解と協力ですからね。
特別支援を受け容れることで
(我が家の場合は、求めて求めてGETしたんですが)
“周囲への”HELPを求めやすく、そして
“周囲からの”HELPを出しやすくすることが
出来る環境を少しは作れているのではないかと
思います。
ちびにいつも言っていること。
「困ったな~と思ったら、すぐ言ってね。
じゃないと、先生もちびちゃんが困っていることが
分からないから。」
必要なときは、素直にHELPを出すことの大切さ。
“知っていれば…”・“云ってくれれば…”
なんてこと、実際に多いですから。
世の中では。 (笑
助けてあげれるけど、助けていいのかどうか分からない。
余計なお世話なのかもしれない。
…そんな風に、思ってしまいがちですから。
ひねくれた考え方ではありますが。
助けが欲しいと思うのなら、助けを貰いやすい、
周囲が助けを出しやすいように
こちらも接していく必要があるな、って思います。
特別支援を受け容れるというのは
子供への実際の“お助け”がある、ということ
だけでなく。
そういった、様々な意味・方向での
環境を整えるということに繋がっているんだな、って
思います。
凹み癖のある打たれ弱い親ですから
“助けてくれる手がある”って思えないと
沈んだままになりそうで我ながら怖いです
OPENにしてくこと。
堂々と、HELP!を出していくこと。
これからも、その姿勢は崩さずにいこうと思った
交流級担任との面談でした。
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