自分のジェンダーの問題に向き合える場所がない

もう私にとっては過去のこと


でもとてつもなく切なくなることが多くて


やっぱり私は高校生の頃から20年とかたっても中身が伴って成長していない


とてつもなく


切ない


綺麗になりたいとか、可愛くなりたいとか


そんな気持ちが私の中にもあって


でも現実に既に普通の女性として会社勤めをして


そんな気持ちが消化できない自分がとてつもなく苦しくなる


そんな時に死の誘惑を受ける


でも今若くても、今歳をとっていても


かならず時間は一方向に進んでいく


そんな達観に辿り付くまで


あとちょっとな気もする


自殺しちゃいけない状態になった


それも苦しく感じる時もある


私はMtFだから、10代とか、20代とか、若いMtFの子がいたら


アドバイスできると思う


決して時間を無駄にしないで


お願い

とりあえずまた年を越してしまいました。

あけましておめでとうございます。


と誰に向けて言っているのか分からないな。

なんかここに今まで書いてきた事を簡単に保存しておく方法はないかと考えてます


学生の頃テキストで書いてた日記と、その後さるさる日記で書いてたことと全てバックアップなしですっぱり消してしまったのですが、なんか思い返すとまた読んでみたくなったりして


若いころの日記ってそんなもんなのかもしれませんけどね


そんでもってここも閉店したいなぁと

鬱じゃないんだけど最近引きこもりがちになってしまっているというか、一旦外に出れば普通の暮らしなんだけど、なかなか外に出るまでのハードルが高いような生活になっている。


きちんとお化粧することも稀になってきた


仕事はしなきゃいけないんだけどね。

とりあえず暮らせてしまえるようになったので、まずは資格をきちんと取って行こうって思って長期安定フルタイムの仕事を探すのを敢えて避け、短期の仕事でお小遣い程度を稼ぐようにしている。


いつか花開くときがくるんだろうか。


年齢って信じられないスピードで進んでいくけど、自分の中でまだそんなに歳だと思わないなら回りに流される必要はないんじゃないかって思えて来た。


生きている以上楽しんだもん勝ち、充実した人生を送ったもん勝ちなんだよね。

今私を取り巻く環境がものすごい変化を遂げようとしているのに、ここでは書けないので苦しいです。


いい加減卒業するべきなのかなぁと言い続けて、そのままだらだらと放置していますが、TSである自分の気持ちをさらけ出したい感情がある一方で、一応埋没して生きているので身元が割れたらまずいというのもあり、本当に悩ましい。


全く違う自分として情報を発信していくのと敢えて表に出て情報を発信していくのとどちらがいいのか。。

後者は今の段階でできる勇気はないけれど、結構考えてしまうところで、結局何も書けない状態にフラストレーションがたまっている気がします。


とりあえず、TSである私はここにいて生きているよ。


それしか言えません。

カウンセリングの先生と話すとき(というとカウンセリングそのものなんだけど)

「生きているのって大変」って共通認識だったりして、結局みんな同じなんだなぁと変な関心をしたりしています。


逆にそう思わない人っているのかな?

だらだらとここも放置してしまっていますが、フラストレーションのはけ口にするには匿名なのであまりに制約が多く、とりあえず時々書きたいことを書いていると言う今までと変わらない状態。


先日白骨死体で見つかったニューハーフさんの事件の報道でやっぱり違和感を感じました。


豊胸手術の跡が見られる男性。


確かに戸籍とか染色体とかでいえば男性なのかもしれないけれど、古い写真を持ち出して「男性」と呼びさらしものにする。


彼女に何があったのかは分かりませんが、「人」とか「人物」って言い方できないものかな。


与えられた性がそのまま心の性なら何の問題も無いけれど、それが逆の状態にある私達のような人間にとって元の性で扱われる事の不快感、屈辱感、劣等感、絶望感、悲壮感・・・

そういうものは記者さんたちには理解できないのかな。


MtF TS の、戸籍変更前の人間に押された「男性」というスティグマ。


亡くなった彼女に対して、あまりにも残酷な追い討ち。


何も出来ないけれど、心の中で許せない気持ちを持ち続けたい。


そしていつかそれを改めさせるようなことをしたい。


その苦しみが分かる者の努め。

血縁関係を言うとちょっとややこしいのだけれど、父の叔母にあたる人が道で転んで大怪我をして入院した。

付き合いと言う意味ではそう親しくはないのだけれど、緊急連絡先が私の父になっているため、私も父をサポートするために病院に行った。


ちょっと認知症が入った感じの状態と言うことなので、私は旧名で:「○○だよ~」というと、「おお~、いい男になった」と何度も言ってくれた。


べつにショックじゃない。なぜかこのおばさんなら許せるのだ。

昔からそう。本人いわく、あたしが男みたいだからっていう、豪快な人。


それでも老いて、親戚兄弟もほとんど亡くなって痛々しい。


一人で一度お見舞いに行ったら「こんだ彼女連れて来いよ」「いい相手なら所帯持ちな、あたしが見極めてやっから」とのこと。


その嫁さんに私がなっちゃっているんだけど(^^;


血縁は無いけどほとんど最後の長老


出来るだけのことはしたい

実家の荷物を整理することになり、久しぶりに手の届かないくらい奥にしまい込まれていた小学校の卒業アルバムが出てきました。


なんか中学校とか高校に比べると現実離れしている感じがしてすんなりとページを開くことができ、昔の、今とは全くつながらない姿をした自分と久しぶりに出会いました。


作文には6年間の思い出が綴られていましたが、自分を指す一人称が全く無い文章でした。

それにやはり当時から現実離れした世界で生きていたのがよく分かる文章で。。


今になってようやくあの頃の自分と分かりあえたような気がします。

キリスト教の教会に行ってみたり、本を読んでみたり、カウンセリングで認知行動療法というのを受けてみたり

生きる努力と生きる意味を見つけることを始めて、少し変わりました


根本的な解決というのはないのだと思うけれど、ヒントはたくさんあります


生きています