今日は、1月17日です。


あの朝から24回目の、1月17日でした。


あの朝、の私は、まだ高校1年生でした。


それまでに感じたことのない、
地の底から持ち上げられるような、


ドーーーーーン雷


押し上げられるような、
そんな衝撃をカラダ全身に受けて......


でも、育ち盛り、寝ることが仕事、みたいな時だったので、


また、私の家の立地も幸いして、


何事も無かったかのように、
引き続き寝てました......


不謹慎にも、と言うべきか分かりませんが、
夢を見ていました......


食堂のオバチャンに炒められる、
チャーハンになった


そんなアホな、夢を、
あの揺れに任せて、見ていました。


ほどなく、私以外の家族はリビングに集合しており、
私も、起こされることに......


ただ、起きたところで、
テレビは、つきません。
電気も、つきません。
水も、でません。


朝、6時、だったかな。
何かが起こった、それだけを、
パジャマ姿の間抜けな格好で、
ぼんやり家族全員が察知していました。


外の様子が、よくわかりません。


分からないまま、
いつも通りに、
高校へ行く準備を始めました。


唯一、その時、まだ電話が繋がりました。
いつも一緒に登校する、
Kちゃんに電話してみました。


知らぬが仏、とはこのこと。
事態の深刻さをまったく分かっておらず......


Kちゃんの家には、
ソーラー電池のテレビがありました。


呑気に、

今日、学校行くよね? 

と聞く私に、



んーーーー......
けど、大変なことになってんで......ダウン


と、Kちゃんの声は、
いつになく渋く、暗かったのに、


は?なにが?  

とまだわけが分かってない私。
そしてKちゃんは答えました。


あのなーー、
阪神高速がなーーー、
溶けた板チョコみたいになーー、
ぐにゃーーーーって.........



はぁ...............?


すぐさま受話器の口を手で塞いで、
そばにいたオカンに、
ままを伝えました。


んなわけないやろーーー笑


とオカンは信じませんでした。

無論、私も、信じませんでした。


電話協議の結果、
とりあえず高校へ行こう、ということになりました。


高校までは歩いて15分ほどです足あと


住んでいたのは、
田舎の、いわゆるベッドタウンです。
元々、静かな町ではあります。
ですが、冬の朝、の寒さも手伝って、
一段と静けさが不気味な朝でした。


高校へ着きました。


ようやく、そこで事態の深刻さを知りました。


高校へは、電車通学の学生も、先生も多くいました。
ですが、電車が動かないため、半数以上が辿り着いていませんでした。
いや、今思えば、それどころでもなかったのでしょう......


親戚と連絡が取れなくて不安だ、と泣いている子もいました。


あちらこちらで動揺の渦が起きていました。


午後を待たずに、ほどなく休校が決まり、
帰宅することになりました。


帰ると、テレビが、ついていましたテレビハッ


そこに映る街は、
私が知っている、神戸の街でした。
でも、燃えていました。


阪神高速は、Kちゃんが言っていたように、
溶けた板チョコ、のように
ぐにゃりと曲がって地に落ちていました。


映画のワンシーンを見るような、
実感の湧かない光景に、
Kちゃんの的確な表現が、
とても文学的だな、とぼんやり感心した、
それが、私の1月17日でした。


たまたま。山の手の、田舎に住んでいたから、
たまたま。活断層の上に、住んでいなかったから、
たまたま。親類縁者は、無事だったから、
たまたま。の連続で、今日が、迎えられています。
 

あの朝、一緒に、リビングで呆然とした、
祖父母は、もうだいぶ前に亡くなりました。


あの朝、何はなくとも、
時間は、確実に、動いています。


たまたま、の分かれ道は、
あの朝に限ったことじゃなく、
どこに、いつ、訪れるか分からない。


なんとなく、
あの朝以来、死生観が変わった気がしています。


出張帰りの新幹線の中、
ちょっと疲れたなーー、と思いながら、
この曲に癒されています音符

イ・ハイ「ため息」   優しい歌です。


この前の連休は、久しぶりにソウルに遊びに行ってました。
ここでそのことも書きたいのですが、
今日は1月17日だったので、
またソウルの記録は改めます。