だいぶ前の話になってしまうのですが、長崎と佐世保にお伺いする機会がありました。
その際にせっかくなので少し観光。
軍艦島です。
あのアパートの3階に5歳まで住んでいたんですよ。
という現地の方が色々と当時のことをお話してくださいました。
この建物は日本の鉄筋アパートの最長老で大正5年に建てられたそうです。
現在の姿は廃墟となっているため、その見た目の感じや建物の密集具合から環境の悪さを懸念してしまうのですが、残っている映像に映る子供たちの顔は生き生きとしていました。
子供はその環境で工夫して遊びを生み出すんですよね。
当時の軍艦島の人口密度はまだどこも超えていないそうです。
香港なんかも良い勝負かなと思いましたが、ダントツらしいです。
この時代に感染症が流行らなくて良かったですね。
当時では珍しいカラーテレビがある近代的な住宅。島の中で映画館ありお祭りあり。
パチンコ屋さんが出来たら、みんな働かなくなっちゃって、閉められてしまったけど、そのあとに出来たパチンコ屋さんは三菱重工によるもので、三菱重工の島に住み、三菱重工で働いて、儲けも三菱重工に吸い取られていたんです。と笑っていました。
もちろん楽しい話ばかりではなく、痛ましい事故もあり、1974年の炭鉱閉山まで、色々な方の思いが詰まった島ですね。
病院や学校・寺院・神社・派出所や映画館・理髪店などが立ち並び、島の施設だけで何不自由のない完全な都市として機能していた。
とあるのですが、唯一無かったものがあり。それは火葬場とお墓だそうです。
本当はもっと近くで見てみたいところでしたが、アスベストの影響や倒壊の危険から今は自由に立ち入ることはできません。
さらに、令和3年の条例改正で、波高の計測所が出来て厳しくなってしまい、なかなか上陸出来なくなってしまったそうな。
条件は、
風速が 5m を超える時
波高が 0.5m を超える時
視程が 500m 以下の時
私の乗った船は、以前は90%は上陸出来ていたそうですが、条例改正後は30%見込みに。実際は50cmの波というのがハードルが高く、すぐに超えてしまうので、もっと確率は低そう。なかなか上陸できないようです。
前日、前々日は上陸どころか出航もしばらく出来なかったらしいので、これでもラッキーなほうなのかもしれませんが、
これぐらいの波なら前は降りてましたと船長。
やはり、行ける時に早く見に行かねばですね。
向こう側が見えている。
グラバー園には西洋料理発祥の地が。
美しい場所でした。
水のある風景はよいですね。
佐世保ー長崎の移動時間がかなりあり、慌ただしかったので、次回はもっとゆっくりお伺いしたいと思いました。