やったー!釣れた!!



この歳にして、初めての釣りであります。


なかなか慣れるまで、1匹目が釣れるまでは時間がかかりましたが、少し水深の深いところでアジが釣れてから、コツを掴んだのか自信がついたのか


イサキ3連続‼︎


釣り仕様ではない格好で(持っていたレインコートを羽織りました)心配されましたが、

エサ付けなど、作業が素早いと褒められました笑



この日は雨でコンディションは悪かったので、これで楽しめたのなら大丈夫と。





頑張りましたね。


場所は熱海港でしたので、ずぶ濡れとなり各自温泉へ

冷えた体がすっかりぽかぽかに。



漁港の居酒屋さんに集合すると、先ほどのお魚が捌かれていました。








やはり美味しい!!


自分で釣った魚を食べたのは初めてです。


3時起きはなかなか大変でしたが、頑張ったかいがありました。

そして、漁師さんへの感謝の気持ちがいっそう高まりました。


今度は真鯛を釣るぞ!








今年は桜を楽しむ前に梅を楽しむことが出来ました。


京都の城南宮、しだれ梅と落ち椿です。




梅の香りがこんなに強いものだったとは




中心部から少し離れていますが、この写真以外にも源氏物語に描かれた草花が並んでいます。



たまたま乗った阪急電車は和風の造り


京とれいん雅洛





野生の猿に出会ったり






久しぶりに会う関西の友人との語らいも楽しく。



最後は、シュールなこけしアートです。






昨年は清水寺におられましたが、


またどこかで会えるかしら..

メディア掲載のお知らせ


8月20日発売の東京カレンダー10月号にて、なんと6Pに渡り対談記事を掲載して頂いています。


お寿司特集なので、皆様ご存知のお店が掲載されているかもしれません。よろしければ是非お手にとってみてください。

webでも見られるようです。


対談場所は、初訪問の白金のフレンチ、アルシミストさんでした。関係者の方々には、大変丁寧に対応して頂き感謝です。


ありがとうございました。



こちらも少し前に行った場所ですが、縄文時代の生活が見えてくる三内丸山遺跡(さんないまるやま)。
とても良かったです。



小中高とやたらと何度も習う縄文時代ですが、最近になって色々と遺跡が発掘され、歴史の教科書もアップデートし続けなければいけないようです。

ボランティアのガイドさんの説明を聞きながら散策します。
この遺跡は、青森にプロ野球のための球場を作るために建設を始めたら、遺跡が出てきてしまったとか。

当時、多数決だったら球場建設は進められてしまったかもしれないけれど、当時の知事さんと学者さんが頑張って遺跡のほうを残して整備したようです。

牛も馬もいない時代にもかかわらず、何故か整備された幅12mの道が続きます。
500人の集落は当時としてはかなり規模が大きかったそうです。



※ガイドさん。お写真は許可頂いております。


当時の方が今より3度ほど温暖だったため、海が近かったので、海と山の幸が身近にあったようです。
・・・つまり、今ですと三浦半島みたいな感じなのかな。

お馴染みの縄文式の家は6畳ほどに4、5人家族が住んでいたけれど、我々が想像するお父さん、お母さんとその子供達。ではなかったのだそうです。

というのも30歳が平均寿命の頃、お母さんがいなくなったり、お父さんが遠出したりがしょっちゅう。
いわゆる現代の家族ではなく、協力し合える塊を一単位として、家を守っていたようです。

石器時代とは違い、縄文時代は食べ物を煮ることご出来るようになったので、かなり文化的な食事になったと言われています。



大きな高床式の建物は、昔は倉庫と思われていたけど、かなり大きなものが別途見つかったので、そちらが倉庫で、こちらは住居だろうと。

当時は猪や鹿を食べていて、他にはムササビ、野ウサギ、オットセイ、アザラシなど。
そして、海が近いので海の幸も豊富とで蛤とか。 
しかし寄生虫も多かったのでいつもお腹痛い状態だったのではと。太れない環境だったようです。




ちなみに発酵するニワトコの種子が大量に出てきたので、お酒を飲んでいた可能性が高い!?


さらに、ここではないですが、別の遺跡では犬を埋蔵していたこともわかり。
食糧難の時代でも、犬は家族だったんですね。
縄文人とは仲良くなれそうだ!

ガイドさんが一番熱く語っていらしたのが、縄文時代は土偶、つまり女性の神様。
盛土と呼ばれる不用品が集まっている場所があるけれど、感覚的にゴミ捨てではなく、神様に返す。送りの場という考え方に近いと。
土偶は女の人で、お祈りの内容は、生活密着型で平和。

赤ちゃん専用の集団のお墓もあるのですが、またここに来てくれる。そんな祈りの声が聞こえるそうです。





旅人はいつでもウェルカムな文化だった。
縄文遺跡の周りは開けていて、お客様をおもてなししたのであろう高床式の立派な家もある。

弥生時代は必ず塀やお堀がある。
外は敵だったから、戦い合う文化
埴輪は男であり、戦いに勝つこと、やっつけることを祈っていた。
それにくらべて縄文は素晴らしいんだ!と。
なるほど。

当時の女性は、イヤリングをして、化粧もしていた。髪も結って、ブレスレット、ウエストポーチにどんぐり、粘土に赤い漆の土器を使っている。文化的ですよね。

さて、そんなことで、野球場の代わりに、ほのぼのとした教科書に載っているような、小ぶりの縄文式の住宅が立ち並ぶ公園をイメージして遺跡を展示する予定だったそうなのですが、

ここでまさかの、高さ推定14.7m樹齢200年の立派な栗の木の柱の根本が等間隔に6本出てきてしまった。
これは、小さな家などではなく、かなり巨大な建造物なあることを示している。




それを復元しようと、そのサイズの栗の木を探すも日本に6本も無く、ロシアのソチから寄贈してもらい復元出来たのだそう。
寄贈なので無料ですが、輸送コストはかなりのもの。
皆んなに来てほしいので、みなさん帰ったら三内丸山遺跡のことを皆んなに話してね。
そうすれば来年は2倍の人が来るからと。

世界遺産になったのがコロナ禍ですもんね。
是非見に行って頂きたいです。
青森駅や新青森からはバスもあるので、車を運転しなくても行ける場所にありますよ。

そんな遺跡ですが、あまりに発掘された遺跡が大量なので、それらを調査するお金も人も足りないのだそう。
実際に調査している作業場が館内にあり公開されています。
働く人は落ち着かないと思いますけど、その光景も圧巻で見る価値あります。








私が個人的に印象に残っているのは、先ほどの謎の14.7mの建造物。
12月21日つまり冬至にこの建造物に行くと、真っ直ぐに夕陽か落ちるようになっていると。

つまり、ピラミッドか作られた同じ時代に、縄文時代も東西南北、暦の概念はしっかりあったということなんです。




ただし、青森の12月12日は心していかないと、当時のような気候ではないので、大変です。
館内に貸し長靴もありますが、、、やはり暖かい時期がおすすめです。



地球温暖化の先輩である縄文は、人と争わず、食べ物を、そしてあらゆるモノを大切に使い1万年続いた時代。
学ぶところがありそうです。



だいぶ前の話になってしまうのですが、長崎と佐世保にお伺いする機会がありました。

 

その際にせっかくなので少し観光。

 

軍艦島です。

 

 

あのアパートの3階に5歳まで住んでいたんですよ。

という現地の方が色々と当時のことをお話してくださいました。

この建物は日本の鉄筋アパートの最長老で大正5年に建てられたそうです。

 

現在の姿は廃墟となっているため、その見た目の感じや建物の密集具合から環境の悪さを懸念してしまうのですが、残っている映像に映る子供たちの顔は生き生きとしていました。

子供はその環境で工夫して遊びを生み出すんですよね。

 

 

当時の軍艦島の人口密度はまだどこも超えていないそうです。

香港なんかも良い勝負かなと思いましたが、ダントツらしいです。

この時代に感染症が流行らなくて良かったですね。

 

当時では珍しいカラーテレビがある近代的な住宅。島の中で映画館ありお祭りあり。

パチンコ屋さんが出来たら、みんな働かなくなっちゃって、閉められてしまったけど、そのあとに出来たパチンコ屋さんは三菱重工によるもので、三菱重工の島に住み、三菱重工で働いて、儲けも三菱重工に吸い取られていたんです。と笑っていました。

 

 

もちろん楽しい話ばかりではなく、痛ましい事故もあり、1974年の炭鉱閉山まで、色々な方の思いが詰まった島ですね。

病院や学校・寺院・神社・派出所や映画館・理髪店などが立ち並び、島の施設だけで何不自由のない完全な都市として機能していた。

とあるのですが、唯一無かったものがあり。それは火葬場とお墓だそうです。

 

本当はもっと近くで見てみたいところでしたが、アスベストの影響や倒壊の危険から今は自由に立ち入ることはできません。

 

さらに、令和3年の条例改正で、波高の計測所が出来て厳しくなってしまい、なかなか上陸出来なくなってしまったそうな。

条件は、

風速が 5m を超える時

波高が 0.5m を超える時

視程が 500m 以下の時

 

私の乗った船は、以前は90%は上陸出来ていたそうですが、条例改正後は30%見込みに。実際は50cmの波というのがハードルが高く、すぐに超えてしまうので、もっと確率は低そう。なかなか上陸できないようです。

 

前日、前々日は上陸どころか出航もしばらく出来なかったらしいので、これでもラッキーなほうなのかもしれませんが、

これぐらいの波なら前は降りてましたと船長。

 

やはり、行ける時に早く見に行かねばですね。

 

 

向こう側が見えている。

 

 

 

グラバー園には西洋料理発祥の地が。

 

 

美しい場所でした。

 

 

水のある風景はよいですね。

 

 

佐世保ー長崎の移動時間がかなりあり、慌ただしかったので、次回はもっとゆっくりお伺いしたいと思いました。

 

 

しばらく更新しておりませんでしたが、ようやく学位記授与式、年度末を迎えることが出来てほっとしています。

 

大好きな桜🌸の季節。

出会いあり、別れありですね。

 

 

 

どちらかというとヘッドハンターから転職したときは、マイノリティーの支援がしたくて前職で障害者の就労支援をしており、その取引先であった八洲学園に来たという流れですので、通信制大学もどこかでその延長のような気持ちでおりました。

 

何らかの理由で通学できたなかった方、若いときに通えず、働きながら勉強している方に向けて。

 

しかし、卒業生の充実した様子を見ると、勉強が出来る環境にあるということは、十分恵まれているんだなと改めて感じます。

 

まず、勉強をするというエネルギーが本人に無いといけないですし、

時間的・金銭的な余裕、周囲の理解が無いとなかなか難しく。

通信制は途中で挫折する割合も高いので卒業された皆さんは本当に頑張られたと思います。

 

ウクライナの状況を見ていますと、そもそも国が安定していないと勉強どころではなかったり。大学や図書館、劇場などが次々と壊されている国が同じ時代に存在している。平和な環境にあらためて感謝しなくては。

 

 

実は、今年に入ってから大切な友人らを亡くし落ち込んでいました。

 

そんな中でも楽しいことは沢山あり、同期のゆき(牧勢海)が振り付け、出演した香寿たつきさんのディナーショー。

 

 

 

貴重なお席でしたので、リハーサルを見学させて頂きました。

もう、大感動です。たーたんさん素敵でした。

懐かしいあの頃の思い出や感情が溢れてきました。

きっとお客様が入ったらさらに素晴らしいステージだったのだろうと想像しながら☺️

 

他にも先日は思い出の作品であるウエストサイドストーリーの映画を観て涙したり。

宝塚という場所は本当に宝物となる思い出を沢山作ってくれました。

 

そして、定例の相撲観戦も。

 

新大関の御嶽海関です。

 

 

 

 

有り難いことに、ラッキーが重なり東京場所で三賞を獲得された乗りに乗っている3人の関取(御嶽海・阿炎・琴ノ若)にお会いする機会にも恵まれました。

相撲協会さんに感謝。とてもよい記念となりました。

 

 

 

さて、新しい年度が始まりました。

こうして健康でお仕事が出来ていることに感謝し、より充実した学修の場を築いていきたいです。

今年度も頑張ります‼︎

 

 


シティーハンター、観劇しました。
コロナもあり、本当に久しぶりの宝塚観劇でした。

80年代後半の新宿を舞台に繰り広げられる世界が本当におもしろい。
これはスミレコードでしょ!という場面も上手いこと演出していますね。
演出は、かつて本当にお世話になった齋藤先生でした。



ご一緒したお友達はヤングなので(笑)、昭和の小ネタがわからないようで、あとでお節介にも解説してしまいました。

舞台の上で所狭しと活躍する舞台人の数。
1回では見切れない情報量。
やはりオンラインでもなく、班交代でもないフルメンバーのパワーはすごいですね。

お芝居だけでなく、とにかく踊って踊って踊りまくるショーも素晴らしく、久しぶりに観劇出来たこともあってか大袈裟ではなくほろり。

終演後、座席を3段階に区切って、順番に劇場から出るルールなのですが、みえている範囲では全員がルールを守っている。
大相撲の場合は7割ぐらいでしょうか。正東西向と分けてお楽しみ抽選会を開催してなんとか。
東京宝塚劇場は座席の前後が狭いので身動きが取れないというのもあるかもしれませんが、宝塚ファンのマナーの良さに驚きました。本当にファンの方に支えられていますね。

少し前は色々な公演が中止になるなどして悲しいニュースも沢山ありましたが、どうか千秋楽までなんとかと、無事を祈るばかりです。



凄い時代になりました。これは、良い意味で。
こちら日本橋・小伝馬町エリアに6/22にオープンしたばかりの分身ロボットカフェDAWN。


友人よりクラウドファンディングの存在を教えて頂き、微力ながら参加。
ALSなどの重度障害があり外出困難な方の新しい就労の形を追求しています。

ただ生きるのではなく、どう生きるのか。
それは障害者に限らず全ての人の課題だと思います。



我々の担当のテーブルは、秋田の新人の方。
コーヒーを運んでくださったのは島根のベテランの方。
AIではなく、実際に人が動かしているロボットだけに、色々お話出来ました。

遠隔での仕事となると、これまではひたすらデータ入力であるとかコミュニケーションを使わないものが多かったのではないかと思いますし、それには手を動かす必要が。
接客という新たな仕事の選択肢が増えたことは凄いと思います。



疲れないように時短勤務が多いようで、50名のスタッフがどこか別の街で遠隔で働いているようです。

所長のオリィさんもこの日はうまくロボットを動かせない新人さんのサポートをしているようでした。



カフェコーナーの前に視線で文字を入力する体験をさせて頂きました。
コツを掴むと意外とスムーズ。
視線だけで入力し、それを発声させることもできるので、アレクサなんかを動作させると、手足や言葉が不自由でも、部屋の中の家電を動かすこともできる。



何かのドラマであった動けないお爺さんが目だけで遺言書を作成するシーン。
もうドラマの中だけではないんですね。

ソフトと機材の費用も思ったより抑えられていて、かなり現実的でした。


いわゆる見本市として企業が技術の進歩を見せる場ではなく、常設の店舗として実用化されているところも素晴らしいと思いました。


予約なくても入れるスペースもありますが、予約をしたほうがベストです。
是非体験してみてください。


大変な世の中になってしまい、投稿を控えておりました。

オンラインで舞台を観る日が来ようとは。


テレワークである分、歩けるときはあるこうと心掛けているのですが、そうした中ではまっているのがカメラです。

昔の一眼レフは重かったので中々持ち運び不便でしたが、ミラーレスを最近購入。だいぶ軽くなりましたね。


写真は過日、水辺にて。

久しぶりの開放的な風景に顔がほころびます。


禁酒法時代、ワインもなんだか貴重な存在に。



かつての日常がそのまま戻ってくるということは無いのかもしれないですが、

早く皆と乾杯したいです。


今はとにかく皆さまの健康を祈っております。






今年は静かに新しい年を迎えました。
昨年は本当にありがとうございました。

毎年、年末に感謝の気持ちでお伺いする神社⛩です。

皆さまのご多幸とご健勝をお祈りいたします。