こちらも少し前に行った場所ですが、縄文時代の生活が見えてくる三内丸山遺跡(さんないまるやま)。
とても良かったです。
小中高とやたらと何度も習う縄文時代ですが、最近になって色々と遺跡が発掘され、歴史の教科書もアップデートし続けなければいけないようです。
ボランティアのガイドさんの説明を聞きながら散策します。
この遺跡は、青森にプロ野球のための球場を作るために建設を始めたら、遺跡が出てきてしまったとか。
当時、多数決だったら球場建設は進められてしまったかもしれないけれど、当時の知事さんと学者さんが頑張って遺跡のほうを残して整備したようです。
牛も馬もいない時代にもかかわらず、何故か整備された幅12mの道が続きます。
500人の集落は当時としてはかなり規模が大きかったそうです。
当時の方が今より3度ほど温暖だったため、海が近かったので、海と山の幸が身近にあったようです。
・・・つまり、今ですと三浦半島みたいな感じなのかな。
お馴染みの縄文式の家は6畳ほどに4、5人家族が住んでいたけれど、我々が想像するお父さん、お母さんとその子供達。ではなかったのだそうです。
というのも30歳が平均寿命の頃、お母さんがいなくなったり、お父さんが遠出したりがしょっちゅう。
いわゆる現代の家族ではなく、協力し合える塊を一単位として、家を守っていたようです。
石器時代とは違い、縄文時代は食べ物を煮ることご出来るようになったので、かなり文化的な食事になったと言われています。
大きな高床式の建物は、昔は倉庫と思われていたけど、かなり大きなものが別途見つかったので、そちらが倉庫で、こちらは住居だろうと。
当時は猪や鹿を食べていて、他にはムササビ、野ウサギ、オットセイ、アザラシなど。
そして、海が近いので海の幸も豊富とで蛤とか。
しかし寄生虫も多かったのでいつもお腹痛い状態だったのではと。太れない環境だったようです。
ちなみに発酵するニワトコの種子が大量に出てきたので、お酒を飲んでいた可能性が高い!?
さらに、ここではないですが、別の遺跡では犬を埋蔵していたこともわかり。
食糧難の時代でも、犬は家族だったんですね。
縄文人とは仲良くなれそうだ!
ガイドさんが一番熱く語っていらしたのが、縄文時代は土偶、つまり女性の神様。
盛土と呼ばれる不用品が集まっている場所があるけれど、感覚的にゴミ捨てではなく、神様に返す。送りの場という考え方に近いと。
土偶は女の人で、お祈りの内容は、生活密着型で平和。
赤ちゃん専用の集団のお墓もあるのですが、またここに来てくれる。そんな祈りの声が聞こえるそうです。
旅人はいつでもウェルカムな文化だった。
縄文遺跡の周りは開けていて、お客様をおもてなししたのであろう高床式の立派な家もある。
弥生時代は必ず塀やお堀がある。
外は敵だったから、戦い合う文化
埴輪は男であり、戦いに勝つこと、やっつけることを祈っていた。
それにくらべて縄文は素晴らしいんだ!と。
なるほど。
当時の女性は、イヤリングをして、化粧もしていた。髪も結って、ブレスレット、ウエストポーチにどんぐり、粘土に赤い漆の土器を使っている。文化的ですよね。
さて、そんなことで、野球場の代わりに、ほのぼのとした教科書に載っているような、小ぶりの縄文式の住宅が立ち並ぶ公園をイメージして遺跡を展示する予定だったそうなのですが、
ここでまさかの、高さ推定14.7m樹齢200年の立派な栗の木の柱の根本が等間隔に6本出てきてしまった。
これは、小さな家などではなく、かなり巨大な建造物なあることを示している。
それを復元しようと、そのサイズの栗の木を探すも日本に6本も無く、ロシアのソチから寄贈してもらい復元出来たのだそう。
寄贈なので無料ですが、輸送コストはかなりのもの。
皆んなに来てほしいので、みなさん帰ったら三内丸山遺跡のことを皆んなに話してね。
そうすれば来年は2倍の人が来るからと。
世界遺産になったのがコロナ禍ですもんね。
是非見に行って頂きたいです。
青森駅や新青森からはバスもあるので、車を運転しなくても行ける場所にありますよ。
そんな遺跡ですが、あまりに発掘された遺跡が大量なので、それらを調査するお金も人も足りないのだそう。
実際に調査している作業場が館内にあり公開されています。
働く人は落ち着かないと思いますけど、その光景も圧巻で見る価値あります。
私が個人的に印象に残っているのは、先ほどの謎の14.7mの建造物。
12月21日つまり冬至にこの建造物に行くと、真っ直ぐに夕陽か落ちるようになっていると。
つまり、ピラミッドか作られた同じ時代に、縄文時代も東西南北、暦の概念はしっかりあったということなんです。
ただし、青森の12月12日は心していかないと、当時のような気候ではないので、大変です。
館内に貸し長靴もありますが、、、やはり暖かい時期がおすすめです。
地球温暖化の先輩である縄文は、人と争わず、食べ物を、そしてあらゆるモノを大切に使い1万年続いた時代。
学ぶところがありそうです。