久しぶりに気持ちがわくわくするような本を読みました。

知人より頂いた「本能寺の変 四二七年目の真実

著者は明智光秀の子孫:明智 憲三郎氏

本能寺の変に続く山崎の合戦の後、明智残党狩りの手を逃れた光秀の子、於寉丸(おづるまる)の血筋を引く。
1947年生まれ。72年に慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程修了後、三菱電機株式会社に入社。
一貫して情報システム分野で活躍。
現在、株式会社第一情報システムズ常務取締役を務める。
会社勤めのかたわら本能寺の変の研究・調査を続け現在に至る。
明智光秀公顕彰会会員。土岐会会員

明智光秀の子孫だからどうこうと言うのはないのですが、
内容が非常に面白い!!

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本能寺の変 四二七年目の真実
1600円


今まで当たり前のように定説として広まっているものを
覆すように、根底から事実から一つ一つ積み上げており
現実性があり理屈の通っている内容で解説してくれています。

歴史は勝者によって作られる」と言うのがよく分かります。

今まで英雄視してきた秀吉、家康など 確かに結果として残しているので、
英雄・偉人には変わりはないのですが、
その政治背景・戦略などが現代の経営にも非常に結びつき面白いです。

最近でも大義名分を掲げて公良い事をに言っているような人がいますが、
結局は自分の利にならないことはやらない
不利益になることは言わない・やらない
と言うのがよくあります。

ボクはそれは経営者として当たり前のことだと思いますので、
全く批判ということはありません。

自分の利のため、自分の都合のようの良いようにするのは
当たり前のことです。

それと全く変わらず、
英雄・偉人と呼ばれていた彼らも一経営者として見ることが出来ます。

理屈っぽいのが好きなボクとしては、
非常に面白かったです。
理系、理屈っぽいのが好きな人には是非とも読んでもらいたいですね。

ちょこっとだけ内容を紹介すると、
基本的な流れ
光秀が謀反を起こし、信長を討つ
その後中国地方から戻ってきた秀吉に光秀は討たれる
秀吉の天下取りが始まる
ここは事実として変わらないのですが、

それに纏わる
1.光秀の謀反の動機
一般的には怨恨と言われていますが、
当時の日本を代表する武将が個人的な感情や好き嫌いで衝動的に重要な決定をしたのか?
当時の武将は領国の司法・行政・立法を統括する責任者で現代で言えば、日本を代表する企業の経営者、閣僚クラスの政治家・都道府県知事を合わせたような重い責任を負った公的な存在の人が、
絶対成功すると言う目算を立てずに行動するのか?

2.信長はなぜあれほど無警戒で本能寺にいたのか?
用意周到だった信長が2-30人ぐらいの供回りしか連れてこず、裸同然でいたのか
最も近距離にいた光秀の軍勢に完全に心を許した状態でいたのか?
絶対に謀反を起こさない自信はどこから生まれたのか?

3.光秀はなぜ安々と本能寺の変をやってのけたのか?
本能寺を急襲し、二条城に居た嫡男信忠を殺し、安土城まで一気に占拠できたのか

4.用心深い家康の安土城訪問とその後の上洛がなぜあれほど無警戒だったのか?

5.光秀の政権維持策は?
謀反を成功しても政権維持が出来なければ意味がなく、
生き残るために起こす謀反である以上、生き残れる策を立てて政権維持の策も確信があったはずです。

6.本能寺の変後の家康は、なぜすぐに織田領になっていた甲斐・信濃を侵攻したのか?
しかもなぜ、誰からも何の咎めも受けていないのか?
織田領を攻めたということは織田家に敵対した事に他なりません

7.秀吉の「中国大返し」は何故あれほど成功したのか?

これらを信憑性のある証拠と論理的な推論によって犯罪捜査のように突き詰めていっています。

これが今まで小説やドラマなどで当たり前のように言われ、
広く事実として思われた事が、
実はそうではなかった!!
これは勝者によって作られていたのだと言うことになります。

事実は小説よりも奇なり

非常に面白かったです。

紹介して頂いた方、ありがとうございました。

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本能寺の変 四二七年目の真実
1600円