一般開業医からみた慢性頭痛 その10 研究会 | 頭痛 あれこれ

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 「慢性頭痛」は私達の日常生活を送る際の問題点に対する”危険信号”です。
 このなかで「片頭痛」は、どのようにして引き起こされるのでしょうか。
 慢性頭痛改善は、「姿勢」と「食生活」の改善がすべてであり、「健康と美容」のための第一歩です。

 現在、頭痛に関する研究会は、日本全国各地で定期的に行われています。ただ、どこでどのような研究会が行われているのかということに関しては公にされていません。
 このなかで、公開されているのは北海道の北見公一先生が主催される「北海道頭痛勉強会」だけのようです。この会は、トリプタン製剤の製薬メーカー4社が協賛の形で持ち回りで行われているようです。
 そして私の診療する近畿地区では、関西頭痛懇話会があります。この関西頭痛懇話会は、「トリプタン製剤の製薬メーカーの一つである某メーカーが主催されておられる、「近畿地区の頭痛専門医」を対象とした集まりです。
 こうした研究会が、一般開業医にとっては、どのようなものなのかをご存じないと思われますので、その実態を明らかにさせて頂きます。これは、頭痛専門医と一般開業医との関係を理解するためには、極めて重要と考えるからです。


 この関西頭痛懇話会ですが、約12年以上も前に、山口クリニックの山口三千夫先生が発起人となって作られたもので、結成の際に山口先生から何故か私もお誘いをお受け致しました。しかし頭痛専門医の集まりでもあり、私が頭痛専門医でなく一般開業医であり、このため余りにも”敷居”が高い点と、和歌山の田辺市から兵庫まで行く時間を考えても長時間を要する距離にありました(田辺から大阪までも特急で2時間もかかるため)。こういったことと、当時、有床診療所の形態をとっており、わずか19床ではありましたが、この中には、常時目の離せない患者さんは1名は必ず抱えており、たった半日でも医院を離れるということ自体が考えられない世界でした。こういった諸々の事情から、せっかくのお誘いにも関わらず、辞退をせざるを得ませんでした。
 この懇話会に参加するようになったのは、平成19年9月に入院病棟を廃止し、無床診療所になってから時間的に余裕ができたことと、MRの方の熱心なお誘いからでした。


 これまで私としては、呉共済病院では、何とか「頭痛医療」には参画している積もりではありましたが、成和脳神経内科医院となってからは、入院を廃止するまでは、「頭痛医療」そのものは独断と偏見に満ちたものでしかなかったのかも知れません。ところが、この「関西頭痛懇話会」に出席させて頂いたお陰で、以前の感覚を取り戻すことができたように思っております。当時から、立岡良久先生、木村充先生、高瀬靖先生がおられ、その後、竹島多賀夫先生が参入されました。この中の高瀬靖先生は、私が呉共済病院に勤務していた時代に、国立呉病院に勤務されておられ、当時から「セデスGによる薬剤乱用頭痛」の多かった時代を経験され、この経験を基にして、日本では有数な「薬剤乱用頭痛」の大家になられました。
 こういった状況で、「関西頭痛懇話会」のお世話になった結果、私なりに平成23年に「片頭痛治療の新たな視点」という冊子を作成するに至りました。当時、「関西頭痛懇話会」での論客とされる樋口真秀先生がおられました。この頃から、樋口先生は片頭痛を”多因子遺伝”という観点から考えておられました。「片頭痛治療の新たな視点」は、片頭痛とセロトニンとストレートネックの関与から述べたものであり、私も片頭痛を”多因子遺伝”という観点から考えておりました。先生にこの冊子をご覧頂き、ご批判を請いました。そのなかで、「片頭痛とストレートネック」に関する現実のデータがあればさらに説得力があるのではというコメントを戴きました。そこで当医院開院以来の「片頭痛とストレートネック」に関する成績をまとめました。先生の論文の「三叉神経の感覚伝導路および第2頚神経との収束。兵庫県医師会雑誌:53(2)2,2010」も拝借させて頂きました。この成績をまとめると同時に、当時の頭痛専門医は「片頭痛とストレートネック」についてどのような見解をお持ちなのか知りたくて、現在日本頭痛学会で主導的な立場にある先生方と近畿地区の「頭痛専門医」全員にアンケート調査を御依頼申し上げました。この中で、平成24年1月に先生自身にも同様のアンケート調査を依頼するための手紙を差しあげた時に、奥様から突然の先生の訃報を知らされました。まさに信じられない思いでした。
 余りにも突然のことでもあり、先生への追悼の意を込めて、関西頭痛懇話会での席で発表を考えました。自分で考えても、余りにも突飛な演題ですので、あくまでも「話題提供」のつもりで・・」
 現在、頭痛研究者の見解では、「頭痛とストレートネック」はエビデンスなしというのが一般常識です。このため、今回のような「片頭痛とストレートネック」ということ自体が論外とされておりましたし、現在も同様なのですが・・。
 この「片頭痛とストレートネック」に関する成績をまとめ上がったのが3月下旬でした。
 この懇話会の演題発表の取り決めがどのようになっているのか全く分からなかったため、この某メーカーの当医院を担当されるMR(以下、MRと省略させて頂きます)にご相談申し上げました。この時点が3月下旬のことでした。ところが、その年の4月に予定されていた懇話会は、発表演題は既に決定されており、それも演題数が多く、時間的に割り込める余地がないということでした。特別講演として某大学教授の「片頭痛、不思議で・神秘的な頭痛」が1時間組まれ、一般演題が4題で、1題15分の持ち時間でした。
 このため、懇話会冒頭で「亡くなられた樋口先生に対する黙祷を行う」予定が組まれており、黙祷の後の追悼の辞を私が述べる中で、この「片頭痛とストレートネック」に関する成績に関しての発言の時間が許されましたが、それもたったの1分間とのことでした。確かに、この懇話会の世話人をされておられる先生も、この「片頭痛とストレートネック」に関する成績がどのような経緯で作られたものか(樋口先生との共同研究のようなものでしたので)ご存じであったため、このような形態もあって然るべきかとも考えました。しかし、・・
頭痛研究者の見解では、「頭痛とストレートネック」はエビデンスなしというのが一般常識とされる時代的な背景のある段階において、ただ単に「片頭痛とストレートネック」に関する成績だけを提示することでは、「私のような専門医でもないたかが、開業医立場」から発言したとしても、「開業医の戯れ言」としか受け止められないことは、火を見るよりは明らかでした。大切な点は、なぜこのような調査を行うに至ったかの「思考過程」が重要と考えておりました。説明するとすれば、1時間かけてもまだ時間が足らない程のものです。それ程までに長期間にわたって熟慮に熟慮を重ねた末の結論だったはずです。このようなことを説明するには、文献的考察は必要不可欠のものであることは当然のことです。一介の開業医の単なる「思いつき」の考えではなかったはずです。こういった作業抜きでは、到底納得して頂けないものと考えておりました。
 このため1分間の発言でなく、もっと説得力のある方法はないものかと考えました。
 それは、これらの考え方と成績を述べたものを文書にしようと考えた次第です。
 それが「頭痛とストレートネック 第1報」でした。当日参加者には製薬メーカーから薬のパンフレットを入れた袋がいつも配布されておりました。そこで、この文書をこの袋の中に一緒に入れてもらうべく出席される方々全員に配布できるように用意させて頂きました。このような形態を取る限り、懇話会の議事進行には何ら影響はないのではと考えました。しかし、この提案もなぜだか却下されてしまいました。この却下されるまでに、懇話会の前に開かれる「世話人会」の意見も二転三転した挙げ句の結論でした。


 後で振り返ってみれば、この成績を出す前に、同時に行った「頭痛とストレートネック」に関する考え方のアンケート調査を近畿地区の「頭痛専門医」全員に行ったことに対して、関西頭痛懇話会の世話人会の了承を経ることなく行った点が、却下の理由かもしれません。
 このような経過を辿り、1分間の発言では、ただ単に誤解を生むだけのことにしかならないとの判断により、MRの方に説明の上、今回は会には不参加を伝えました。
 こういった経緯から、4月の懇話会での発言は断念しました。
 そして、MRの方には、次回の11月の懇話会の席で、「頭痛とストレートネック」という演題で発表させて頂きたいと申し出ました。
 その結果、11月の懇話会での発表に照準を合わせて、9月30日までのデータを追加して、再度まとめ直しました。その成績は、「頭痛とストレートネック 第3報」として、一応「論文」として作成した上で、11月の発表に備えておりました。
 ところが、問題の11月の懇話会が行われる時期になっても、MRの方は当医院を訪問されることもなく、結局、発表の機会は消滅してしまいました。
 このため、このような”考え方”は日の目をみることはなくなりました。
さらに、この1件以来、平成24年4月以降は、この某トリプタン製薬メーカーのMRの方は一切来院されなくなり、現在に至っております。


 この会は、トリプタン製薬会社の某メーカーが主催かもしくは後援されており、何時も高級ホテルの一室で行われていました。そして、この会はこれまでも説明していますように年2回開催されておられるようで、あくまでも頭痛専門医を中心としたクローズドの会のようで、一般開業医にはアナウンスされていない集まりでした。「クローズド」といったことで思い出される、笑うに笑えない話があります。
 初めて参加したある年の懇話会でのことです。MRの方にこの会の案内状を頂いて、出席したことがあります。この時は、大阪の有名な高級ホテルの一室で行われることになっていました。ところがホテルに着いたものの入り口がどこか分からずにマゴマゴしているうちに開始時間に10分ばかり遅れて会場である一室に到着する羽目になってしまいました。ところが会場に到着しても、問題の一室の扉は閉じられ、その部屋の前の受付は片付けられて何もなく、それどころか誰一人おりませんでした。また張り紙や掲示すらありませんでした。このため再度、ホテルのインフォーメーシヨンでお聞きしたのですが、このような催しはされていないとの返事でした。そこで、MRの方から頂いた案内状を提示して、確かにここで行われているはずだからと念を押してやっと、30分後にホテル内の関係部署に連絡を取ってもらうことでやっと会場内に入れたことがありました。
 このようにホテル内でも明らかにされていない程、”クローズド”の会であることが納得されました。どうして、このように「隠密裏」に行う必要があるのかと疑問に思いました。まさに、不可思議な研究会だと感心した次第です。


 毎年年2回は開催されるようですが、このうち11月に行われる会は、日本頭痛学会総会の直前に行われており、この会では総会で発表される先生方の演題ばかりで、あたかも総会での発表の予行演習を行っているようなものでした。
 全く開かれていない、閉鎖的な研究会でしかない印象でした。
 例年4月に行われている会での演題の募集がどのようにしてなされているのかは全く不明でした。演題も、トリプタン製剤に関与したものでないと受け付けないとの世話人会での申し合わせでもあるのでしょうか? このように考える限り、一昨年度のことも理解されると考え、今では自分で慰めている昨今です。
 しかし、どのような事情があったかは全く不明ですが、このように親身になって懇親会への出席のために便宜を図って頂いたMRの方が、一昨年4月の一件以来、ぷっつりと一切訪問されることがなくなりました。
 このため、一昨年4月以降は、懇話会には出席することも不可能となってしまいました。
このようにMRの方が一切訪問されなくなって、関西頭痛懇話会への参加の道も途絶えてしまいました。これは、何時、どこで行われるのかが知らされることがないためです。

 こういった点から見る限り、やはり、和歌山県の田辺市は日本全国からみれば”離れ小島”のようです。
 和歌山県下には現在、和歌山県立医科大学の神経内科の先生が頭痛専門医として1名しかおられない”過疎地区”です。学会、さらに一昨年結成された頭痛協会は、「一つの医師会に1名の「頭痛専門医」を・・・」と宣言されています。このような状況をどのように考え・打破されていくのでしょうか?
 現実に、頭痛患者さんを診療している「一般開業医」は”つんぼ桟敷”に置かれているというのが「頭痛診療」の実態のようで、このような現状が厳然として存在することを、どなたもご存じではないようです。
 結局、一般開業医は文句を言わずに、学会が作成したガイドラインに従って、患者さんを診なさいということのようです。

 こうして見る限り、一般開業医が慢性頭痛の臨床研究を行うことは”以ての外”(論外・言語道断)ということに尽きるようです。このように排他的な世界のようです。