実は、私も片頭痛持ちでした | 頭痛 あれこれ

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 「慢性頭痛」は私達の日常生活を送る際の問題点に対する”危険信号”です。
 このなかで「片頭痛」は、どのようにして引き起こされるのでしょうか。
 慢性頭痛改善は、「姿勢」と「食生活」の改善がすべてであり、「健康と美容」のための第一歩です。

 私も、20 代後半から、片頭痛に悩まされていました。呉共済病院での5年間の臨床研修を終えた時点で、以後 10 年間共済組合等連合会に奉職するという契約をすれば、1カ月間の海外研修と称して、1カ月間自由に海外旅行ができる制度(現在なお存在するかどうかは知りませんが、当時の国家公務員等共済組合連合会にはありました)がありました。 私も、この制度を利用して、世界一周の旅行を計画して、その海外旅行に行きました。発症は、最初の訪問国のギリシャのアテネでした。羽田空港から、24 時間のフライトを終えて、お昼の食事に出た食前酒の赤ワインを飲んで食事を終えた1時間後に、今まで経験したことのない激しい頭痛に襲われ、その後の見物どころの騒ぎではありませんでした。翌日以降も、昼の食事の度の食前酒の赤ワインを飲む度に頭痛に襲われ、以後は食前酒は飲まないようにしました。

 海外旅行が終わってからは、重症患者を受け持たされて、3日3晩徹夜をすることが、日常茶飯時の病院でしたが、これが終わって一息ついて酒を飲む度に、激しい頭痛に見舞われていました。当時は糖尿病に関する一般的な知識が乏しかったためもあり、糖尿病性昏睡で入院する患者さんが多く、受け持ちになると、患者さんが覚醒するまでは、一睡もできないことがザラでした。頭痛発作中に、患者さんが急変したりすると、パニック状態になる程、まさに地獄の苦しみも味わいました。

 最近では、平成 19 年5月に肺炎で、白浜はまゆう病院に入院した時は、突然の入院でもあり、4人部屋に入ったのですが、4人部屋というのは、軽症の患者さんが入る所ですので、狭い部屋に4人の患者さんと、付き添いの人、見舞客が多く出入りされ、酸素濃度が低下していたことに敏感に反応し、激しい頭痛に見舞われ、そのまま意識を失い、気がついた時には、個室に移されていた経験があります。

 また、子供の頃は、海水浴に行った際に小舟に乗った時とか海釣りに行って舟に乗るとよく船酔いをしていた記憶があります。
 また、学生時代は、当時家が島根県の松江市にあり、大学は広島市であったため、休暇中に、夜行バスで広島から松江まで帰っていましたが、バスに乗るのに、最後部座席に乗ると必ずといっていい位に酔ってしまい、おまけに頭痛も出現し、着くまでの5時間が地獄のようであったのが想い出されます。
 以前、Windows が発売された頃、大阪の日本橋に中古のパソコンを買いに、特急のくろしお号に乗って往復を度々していましたが、空腹で乗車すると必ず酔ってしまい、帰宅してから頭痛を頻繁に起こしていました。空腹と電車の揺れ(とにかく特急くろしお号は揺れます)が関係していました。

 私の場合、睡眠不足が一番関係があったようで、以後、自分の片頭痛がどのような状況で起こるかを全て把握し、それらに対処して、現在全く片頭痛は起こらなくなりました。

 今回、ネットで「片頭痛は医療機関では治せない、自分で治すものである」というブログを偶然見つけました。これを、きっかけに、ネット上で「自分で片頭痛を治した」という体験談を集めまくりました。その結果、有料のサイトは5カ所、ブログは3サイト見つけました。

 その、片頭痛を治す方法は、私がこれまでしてきたことと、患者さんに指導してきたことと全く変わりはありませんでした。うまくいかない理由は、本人が治す意志がなかったということでした。自分で、片頭痛を起こらなくするという意志さえあれば、無くせるということです。

 どうすれば、片頭痛を起こらなくするかは、簡単なことです。それは、自分で起こらなくする手段を自分で行えば済むことです。

 片頭痛医療における医師の役割は、極めて限られたものです。頭痛発作時の対処法、さらに発作回数を少なくさせること、変容性片頭痛の治療、位でしょうか。
 片頭痛を根本的になくす方法をいくら指導したとしても、患者さん自身が「治してしまう」という強固な意志がない限り不可能です。実行するのは患者さん自身だからです。

 この点糖尿病の治療と相通じるものがあります。いくら薬を使っても、食餌療法、運動療法抜きには、治療はうまくいきません。
 頭痛発作時の状況を客観的に分析して記録するしか、片頭痛をなくす手段はありません。患者さんの意識には、このような面倒くさいことをしなくてもMRIを撮影すれば原因が分かると思っておられるのが実態です。
 患者さんに 24 時間べったり医師がそばに付いておれば話は別でしょうが、このようなことは到底不可能であることは理解して頂けると思います。
 発作時の状況は、患者さん自身しかわからないことを認識する、これが「片頭痛治療」のスタートであり、いつまでもここから抜け出していないため、いつまでも治療が進まないのです。
 薬を服用しておれば治るというような病気ではないことを肝に銘じておく必要があります。


 ですから、上記のように、ネット上に「片頭痛は医療機関では治らない」とのブログが出てきても、何ら不思議でないような気がします。 


私の片頭痛を検証する



 この点に関して、色々な角度から、検証したいと思います。


 まず、「遺伝」というか「家族歴」についてです。


 私の、両親には、全く、頭痛を訴えることはありませんでした。
 私の父親は、山梨県山梨市の「ぶどう農家」の長男でした。ところが「医師」になりたいとの夢が諦めきれず、京都大学に入学し、以後、山梨の家の跡継ぎは、次男である「政彦さん」に譲り、独自の生活をしたようです。結局、「医師」にはなれず、教師の道に進み、大阪の堺市に居を構え、以後の生活が始まりました。私の記憶では、大阪での生活は記憶にはありません。母親も、山形の出身としか聞いておりませんでした。
 その後、父親の勤務の関係で、大阪から四国の高知県、さらに島根県の松江市に転居した関係で、私の親族といえる方には、顔を合わすことは全くありませんでした。このような状況ですので、母親の関係する一族とも全く面識はありませんでした。
 ところが、一昨年、母親が死亡し、私の家の「お墓」は山梨県の山梨市にある関係で、本年3周忌を行いました。それが終わってから、父親の次男の「政彦」さんも既に亡くなられており、政彦さんの娘さんと雑談をする中で、極めて激しい頭痛を繰り返されておられることを、本人の口から知らされ、「医師」として、「片頭痛」かどうかあれこれ、お聞きして、「これは紛れもなく、片頭痛」と考えた次第です。
 このように、両親には、頭痛がないと、「遺伝性なし」と短絡的に判断されます。それに、わたしのような、極めて特殊な家族関係にある場合、二親等の頭痛の状況など知る由もありません。
 このような、私のような状況を踏まえた上で、家族歴の有無を確認する上で、問題は山積しているようです。どこまで患者さん「家族には頭痛はない」ということが、信用できるものかどうか・・


私の「片頭痛」を発症するまで・・


片頭痛は、ある人の言をお借りすれば、幼少期から発症すると申され、一生治らないもの、と確信されておられる方々が如何に多いかということを実感しております。
 私も、「片頭痛体質」を受け継いでいることは、過去のことを振り返り、納得しました。

 それは、片頭痛になる人間は幼少時から、ある特徴があることを、東京女子医科大学の清水俊彦先生が指摘されておられます。私も、その通りでした。

 私が、小学生の頃、父は、松江市から日本海側の海水浴場に、夏休みには連れて行ってくれました。海水浴場にいくと、小舟に乗せてくれて、遠洋まで行って、海を見せてくれたのですが、必ず、船酔いして、楽しむどころの騒ぎではありませんでした。
 その後、広島大学の医学部に入学し、夏休みとか冬休みには、実家の松江市にある家に帰っていましたが、当時の「国鉄」の料金を考えますと、私鉄の「夜行バス」が料金が安いことを知り、これを利用したことがありました。ところが、運転席に近い所に座席が確保できた時は何も問題はありませんでしたが、時に、最後部座席しか、明いていなかった場合は、最悪で、車酔いで、到着するまでの5時間は「地獄の時間」でした。途中で、下車したくても、真夜中の中国山脈の中に取り残されるかと思えば、我慢するしかありませんでした。


呉共済病院に勤務して


私が、広島大学医学部を卒業する年度は、昭和 43 年でした。この当時は、「インターン制度廃止運動の最終年度」の最後の仕上げの時期にさしかかっていました。この運動を継続する関係から、なぜだか私がその先頭に担ぎ出されていました。決して、思想的な背景があった訳ではありません。純粋な感覚で、指導してきたように思います。
 最終的に、インターン廃止が決定された後、医学部卒業後の「臨床研修」をどのようにするかという問題が残されていました。当時、「青医連 広島支部の委員長」として「医局講座制打破」をスローガンに掲げ、「入局拒否」を唄って行動を持続しました。この間、自殺者を3名を生み出したことを反省し、私も、考えを改めると同時に、当時、既に、結婚までして一児のある身でしたので、すべて投げ出す覚悟で、国家公務員共済組合等連合会 呉共済病院の内科に、入り込みました。

 当時の呉共済病院は、院長が笠潤一郎、内科医長が岡田啓成で、内科医員 20 名で、500 床の総合病院で、内科は 200 床でした。まさに、野戦病院と形容されるような病院でした。
 当時の内科は、人工透析を全国に先駆けて行っておりました。まだ、最初の時代でしたので、血液透析機はキール型でしたので、除水効果が悪く、肺水腫を併発している場合は、血液透析が終わった夜間に、腹膜透析を併用して行っていました。このため、夜を徹して透析を繰り返していました。このようにしても延命効果は1カ月前後でした。また現在のように内シャントでなく、外シャントでしたので、血栓でよく閉塞し、このため、夜間に「シャント掃除」に呼び出されていました。
 当時の呉地区は、人口 20 万人で、当院以外に、総合病院の国立呉病院があり、交代で、救急の当番をしていました。この時代は、肝硬変の昏睡もしくは食道静脈瘤破裂による吐血、糖尿病性昏睡、脳卒中などの意識障害、心筋梗塞の救急が大半を占めておりました。
 このため、呉共済病院に勤務と同時に、静脈切開、気管切開、ゼングスターケン・チューブの挿入等々の手技を徹底的に叩き込まれました。だいたい、毎日、救急車で5,6名は救急搬送されてきました。研修1年目は、この救急患者を、上の先生方と一緒に診せられ、入院後は「受持医」として、20名前後受け持っておりました。
 また、内科医長の診察が隔日にあり、この日は「予診係」をさせられました。
 さらに、重症の患者さんが多いため、殆ど毎日、誰かが亡くなられ、死後は病理解剖を義務づけられていて、解剖の度に、その所見を記載する「シュライバー」をさせられました。このような状況でしたので、受持患者 20 名のうち、4,5人は重症患者で、24 時間、気が抜けない患者さんばかりでした。そして、受持患者の状態報告を、必ず内科医長に報告しなくてはなりませんでした。さらに受持患者の「臨終の宣告」は、必ず「内科医長」
が行うことになっていましたので、例え夜中であっても連絡するようになっていました。
 このような「報告が遅いと」罵声を浴びせられることは日常茶飯事のことで、「患者は死なないもの」といった考えで、報告が遅い、遅いと怒鳴られ、患者さんが亡くなられようっものなら「人殺し」と罵られる毎日でした。何も、東も西も分からない「研修時代」ですので、これが、どれだけのストレスになっていたか計り知れないものがありました。
 このような毎日でしたから、殆ど、昼も夜もない状態で、まともに家に帰ることは、殆どありませんでした。睡眠も1日に、3,4時間寝れればいいところで、毎日の「規則正しい生活」とは全く無縁の世界でした。これが、毎日で、日曜日などは全くないに等しい状態でした。ですから、病院の他の職種の方々が、毎朝、「おはようございます」と挨拶されても、自分にとっては「朝という感覚がなく」朝の挨拶どころでなかったため、職員からは、「変人」と思われていたようでした。
 このような生活の連続であるため、上の先生方は、30 歳になると「判で押した」ように自分の故郷に帰って、お父さんの医院の手伝いをされていました。


海外旅行での出来事


このような5年間の研修医時代が終わった時点で、今後、さらに呉共済病院に 10 年間奉職するという契約をすれば、1カ月間、「海外研修」と称して「海外旅行」ができる制度が当時の「国家公務員等共済組合連合会」にありました。
 私は、勤務当初から、5年の研修期間が終われば、「神経学」を専門に診療するつもりで、それまでに、「脳血管撮影の手技」を身につけるまで準備していたために、迷わすに、この契約を結びました。そして、世界一周の海外旅行を計画しました。
 皆さんも初めての「海外旅行」をされた方は経験されていると思います。昭和 50年の時代です。旅行の1カ月前から、飛行機が墜落しないかとか、外国語が喋れないのに大丈夫だろうかとか、行く先々の治安は大丈夫だろうかと、際限もなく、あれこれ考えて眠れないことも度々でした。
 このようにして「海外旅行」に出発しました。最初の訪問国はギリシャのアテネでした。羽田空港から 25 時間のフライトでした。機中は、狭い座席に座り、この間歩くことは、トイレ以外にはなく、寝ようにも、殆ど眠ってはいなかったように思います。
 アテネに到着したのは、現地時間の 10 時頃でした。昼まで観光をして、昼食の時に、昼間から食前酒にワインが出てきたため、珍しそうに口にしました。昼食後、さらに観光が始まったのですが、バスに乗って間もなく、今まで経験したことのない激しい頭痛に見舞われました。このため、その後は観光どころの騒ぎでなく、おとなしくバスの中にいるしかありませんでした。その日の夜頃には、何とか治まりましたが・・
 翌日も、昼食時のワインを飲むと再度、激しい頭痛に見舞われました。
 これで、ワインがよくないと思い、次の日からは、ワインを飲まないようにして、以後旅行中は、頭痛は起きませんでした。
 これが、私の最初の片頭痛発作でした。


その後の片頭痛発作


旅行から帰ってきても、例えば、糖尿病性昏睡の患者さんを受け持って、3日3晩徹夜をして、やっと患者さんが覚醒して、その晩、「祝杯」をあげると激痛に襲われます。(睡眠が十分であれば、いくら酒を飲んでも大丈夫なのですが・・)
 最近では、睡眠時間には注意しているためか、殆ど起きなくなってはいるのですが、時々、土曜日の午後から大阪での「講演会」に出席するため、診療終了後、特急くろしお号で行くのですが、この帰りの時間が遅くなって、空腹のまま、帰りの電車に乗車すると、
帰宅後、必ず、発作に見舞われます。どうも、空腹と、電車の揺れがよくないようです。
 特急「くろしお号」の揺れのひどさは、有名です。


 以上が私の片頭痛の概略です。



 私の場合、発症前の約5年間の全く不規則な生活に加え、睡眠不足、食事もまともに摂取していない状態をもとに発症の準備状態が作られたように思います。
 そして、発症直前には、25 時間の狭い座席に閉じこめられ、気圧の変化、これまでの「地獄のような生活」から解放されるという安堵感、そして現地に無事着いたという安心感に追い打ちをかけるように「ワインを飲んだ」ことが直接の引き金になったようです。
 これだけの「誘因」が加われば、発作が起きても、決して不思議ではないと思います。

 私自身の場合は、このように振り返ってみて、発症前の5年間の生活がなければ、恐らく、片頭痛は発症しなかったのではないかと思えてなりません。
 実際の患者さんを診察する場合は、頭痛が何かということばかりに気を取られ、発症前の「生活状態」までには、注目していないのが実情ではないでしょうか。
 このような意味で、私の片頭痛を掲載しました。
 

片頭痛の原因を見つけるために


 片頭痛の原因を見つけてくれるのは、現在、あなたの「主治医」では到底不可能と考えます。と言いますのは、医療機関に初めて受診する場合の注意点として、「あなたの頭痛の状態を、正確に伝える」という項目が、必ずネット上、記されております。
 これを基に、医療機関に受診された時点で、いろいろ問診されます。あらかじめ、診察前に、「問診表」に記入を求められる施設も多いかと存じます。
 これらの、問診にしても、問診表にしても、短時間で「片頭痛の診断」にまで持って行こうとする意図で行われているに過ぎません。
 ということは、「あなたの片頭痛の原因が何か」ということには、直結していません。 結局、診察医は「国際頭痛分類 第2版」の基準に適合するかを確認して、「片頭痛」の診断を行っているに過ぎません。このような、診断過程で、たった5分前後で、行えるのか、という疑問をいつも、私は、持っております。

 頭痛専門医の中には、1日 300 人前後診察されておられる方が、おられるようです。単純に計算しても、24 時間フルに診察しても、1人当たりの診察時間は、5分以下という計算になります。このような診察時間内で、どのような「診療」がなされているのでしょうか? ここが、私にとっての最大の疑問点です。
 私も、これまで過去 40 年間、片頭痛患者さんを診せて頂きました。私の経験では、5分以下の「診察時間」では、到底十分な説明は不可能と認識しております。

 片頭痛の原因追及までには至らないという理由を、今回は述べさせて頂きます。


 それは、片頭痛を起こして来た背景に関する「問診」項目が欠落している点です。
 片頭痛の診断に関する「問診」あるいは「問診表」で、ある意味では、診断可能でしょう。これは否定しません。しかし、あなたの「片頭痛の原因」を探ることにはなっていません。そういう私自身も、このような点までは、次の患者さんの「待ち時間」を考慮して省いてしまうことが日常茶飯事のことでした。ときに、時間的な余裕のある場合に、お聞きすることもありますが、決まって、患者さん自身は、お答え下さいません。
 このような状況にありますので、「初診時」には確認できない項目で、ここに「片頭痛の原因」を探る方法論に、ある意味で「難しさ」を感じております。


 私が、片頭痛の原因を探るための方法として考えていることは以下の点です。


 それは、18 歳以降に、片頭痛を発症された方に関しての「確認事項」です。

 片頭痛を発症する前の、数年間の間に「ライフスタイル」が変わっていなかったか、ということです。このような生活様式の「変化」を初診時に「お聞きしても」即座にお答えされる方は、ほとんどいらっいません。しかし、ここを「省いてしまえば」あなたの「片頭痛の原因」を探る糸口は途絶えてしまいます。
 もともと生まれつきのものであるという「先入観念」に捕らわれる限り、原因の探索の道は閉ざされてしまいます。


 以上のような、「診療場面」を考慮して、皆さんにお願いしたいことがあります。

 それは、あなたの片頭痛が発症する前の、数年以内に、「ライフスタイル(生活様式)」 に変化はなかったかを思い出して、もしあれば、どのようなことがあり、それが現在でも続いているかどうかということです。
 これが、明らかになれば、原因探索の道が開けると考えます。

 これは、私自身の「片頭痛改善」を考えた上で、お勧め致します。