前回のブログで飛行機乗れて、イタリアへ行って来たこと書きました。

 

それはそれは素敵な経験でしたが、印象深かったのは事件です。

 

私ってあり得ない程の方向音痴なのですが、イタリアで2回ほど迷子になりました。

しかも陽が落ちて位時間に。

 

そのうちの1回が笑えます…

現地でツアーを探して英語ガイドのバスツアーに参加。

これだけでも凄いでしょう、日本では出来ないのに💦

 

最後の晩餐を見るツアーだったのですが、最後の晩餐を見終わって外に出たら、

何とツアーに置いていかれちゃった。

しかも暗い、そして遠い異国で一人。

 

それでも自力で地下鉄に乗って、知人の家まで帰れました。

深呼吸しながら、でも発作を起こさずに済んだ。

 

そして知人に話したら、大笑いされて、私も笑ってました。

 

自分に拍手です‼︎

 

実は後日、救急車のお世話にもなってしまった。

発作じゃないけどね。

実は2020年の1月から2月中旬まで1ヶ月間ミラノに滞在していました。

ずっとヨーロッパに行きたかったけど、

地下鉄も乗れない私が飛行機に13時間も乗るなんて想像しただけで恐ろしかった😅

 

知人が住んで居るので行きは一緒に行って、

帰りは一人で帰ってねぇ〜❗️って感じです。

 

凄く怖くて行く前は、前日まで行かれない理由を考えてました。

結果、無事に帰国。

しかも昨年のミラノって私の帰国後すぐに、外出禁止になった所です。

運が良いやら、悪いやら。

 

帰りは一人で13時間のフライト✈️

 

飛行機に乗る時はいつも人任せで、どこのゲートへ行けば自分の飛行機が居るのかも分からず、

言葉も中学生英語程度の実力で、

それでも頓服も使わず、発作も起こさず無事に帰国しました。

 

不思議ですよね。

 

パニック障害が治ったのか?と聞かれたら、治ってはいない。

と思う。

でも出来る事は少しずつ増えてきて、私の中では普通の事になって来た。

出来ない事が普通。

できたらラッキー‼️

久しぶりの投稿です。まぁ日記替わりですからね。

このブログを開いてくれた兄も亡くなり、

私のこんな性格の元になっていた母も亡くなってすっかり寂しくなりました。

 

生きてる時は大嫌いだった母の事も、

今は嫌いではありません。

 

二人とも良い思い出だけを私に残してくれました。

 

つくづく…

生きてる人が一番怖い。そんな風に思うこの頃です。

 

以前にも書いたことがあるかもしれないけど、

私の『夢』と言うか『なりたい者』は

『平均的で普通な暮らしをしている人になること』

 

半世紀以上を生きてきてのに

そんな事は幻想だと分かっていても

やっぱり憧れてしまう『普通な暮らし』

 

幼少期に起こった色々なことは私の選択ではないから仕方ない。

そしてその時に、私の心にへばりついたのが『普通』という呪縛だと思う。

 

幼少期の私は明らかに普通とは違っていたと思うけど、

成長とともに、人は個性が芽生えて多様性があって

『普通』という定義は難しくなってしまって。。。

 

現実の私は普通じゃないけど特別じゃない。

周りを見渡したら、知らぬ間に皆大人になっていて

良くも悪くも、普通なだけで生きてる人は居ないと気づく。

 

私の頭の中は、まだまだ思春期の頃の幻想を半分持ち合わせてる。

 

私を生き辛くしているのは、そんな物です。

 

それでも人は生きていかれる。

私が今の自分を褒めてあげられる唯一の事・・・

『それでも私は与えられた時間を生きて行くだけの強さを持っている』

 

それで十分有難いです。

久しぶりの更新。

 

パニック障害やめました。

人生のほぼ半分を共にして来たけど

もう止めることにしました。

 

パニック障害になったばかりの人には

『この人何言ってんの?』って感じですよね。

なかにはそんなに長いこと治らないの?って絶望させちゃったも。

 

今でも地下鉄はなるべく避けるし、地下道は嫌いだし、飛行機一人で乗れないし

一人で遠くへ行かれないし、薬は必要です。

 

だけど自分なりに発作になる前にコントロールする術をみつけたり、

若い頃のように、何でもかんでも全部元通りになんて

欲張りじゃなくなったのかも知れない。

 

そもそも28歳で始まったパニック障害。

52歳のパニック障害がない自分はどうか?なんて想像が出来ない。

同世代の友人たちも、更年期障害で似たような事になってたりして

 

つまり今の自分の状態が、私の52歳としての普通の生活。

薬は飲んでるけど、たまには忘れたまま1日過ぎてることもある。

 

知らぬ間に、弟は高血圧の薬を服用し始めてた。

私は幸い心療内科の薬以外は必要ない。

 

きっと自分のなかで、折り合いがついた。

 

そして、もっと大きな課題を発見しちゃった。

それは気が向いたらまた書きます。

生きてるだけでお金がかかる。
息吸うだけでもお金がかかる。

病気をしたらもっとかかるから、食べ物はケチケチしちゃダメなんだろうけど…

最初に削るのって食費なんだよね。

バカだ。

久しぶりに小説を読んだ。

桐野夏生の『優しいおとな』ってタイトル

この人の小説って救いが無い。
だから好きだったんだけど、
今の私には救いなさ過ぎて、
また読み直したいよ(><)
かなり久しぶりの更新。
最近どうも鬱気味ショボーン

何でしょうね、通勤の帰宅時に電車の中でも、歩いていても、

情けないほどボロボロ泣いてしまうんですよ。

モコモコのスヌードに顔を埋めて隠しても、隠しきれない。

私の時間は2年前で止まっています。
母が余命を宣告された日から亡くなるまでの2ヶ月をずっとリピートしてます。

外に出かけたくなくて、家に引きこもってます。

何とかしなくちゃ!ってスポーツジムに申し込んだけど、支度を持って出かけても、毎日行かれなくてそのまま持って帰ってきちゃう。

こんな生活から抜け出したいけど、
本当にそう思っているのかな?

このままで居心地いいのかもしれない。
何もしたくない。
何処にも行きたくない。
誰にも会いたくない。

どうして母はあんなに強く生きられたのだろう?
娘の私はどうしてこんなにも生きる事が嫌いなのだろう?

やりたい事がいっぱい有ったのに、生きられなかった母にも、愛娘を遺して先に逝った兄にも申し訳ない。

私が生きているが申し訳ない。

もしも時間を戻せるなら、私は…
母の子宮に宿る前に消えて流れてしまいたい。

そうすれば誰にも迷惑かけずに消えられるのに。
投稿写真

踏んだり蹴ったり(;_q)

ここ数ヶ月、心身ともに不調なのですが、
更に追い討ち!(◎_◎;)

母の形見の指輪。
仕事中にぶつけて、石が取れて無くなった。
∈( TT_______ TT)∋
直すの高いかなぁ…

#無くなった #形見 #指輪


優しくない人々
今日はとても悲しくなる出来事に遭遇しちゃいまいっした。
職場の最寄り駅の改札を出たら白杖をついた50歳くらいのちょっとお洒落な男性が見えました。ウエスタンぽい服装で・・・
そんな服装のせいか分からないけれど、電車から降りた人々がその男性にぶつかるんです。スマホ見てたり、その光景を眺めていたり、全く我関せず(>_<)
白杖の男性はあちこちからぶつかられて方向感覚を失ったようで、電柱にぶつかったり、自動販売機にぶつかったり。それでも私が声をかけるまで誰も声をかけることをせずに、遠巻きにみながら、避けていくんです。
声をお掛けすると、『駅に行きたい』と。ほんの2~3m先が駅なんです。私は男性を駅の正面の方へ体の向きを直して『あとは真っ直ぐです』とお伝えしました。
私は自分が始めて発作を起こした日を思い出しちょっと悔しい気持ちになりました。
#悲しい#白杖#歩きスマホ#発作